25人が犠牲になった大阪市北区曽根崎新地の放火殺人事件は、17日で発生から1カ月。犠牲者の一人である現場クリニックの院長は生前、自身のことを周囲にあまり語らず、感情をあらわにすることは少なかったという。だが実際は、患者の言葉一つ一つにしっかりと耳を傾け、誠実に向き合う人だった。遺族は亡くなってから新たな一面を知り、悲しみを一層募らせている。
《来年には医師の免許とってお兄ちゃんなら必ずがんばって受かると信じている》
かわいらしいクマのキャラクターがあしらわれた便箋には、医師国家試験を控えた兄を気遣う妹の言葉がつづられている。約25年前、当時医大生だった「西梅田こころとからだのクリニック」の院長、西澤弘太郎さん(49)に宛てた妹(45)の手紙だ。
兄が漏らした心の内
「まだ保管してくれていたなんてね」。妹はうつむきながら、静かにほほ笑んだ。手紙を見つけたのは、事件から2週間が過ぎた昨年末。兄の存在を感じたくて、兄がかつて使っていた大阪府松原市の実家の部屋に久しぶりに足を踏み入れた。勉強机や棚の引き出しを調べると、ファイルの中に何通もの手紙が丁寧に仕舞われていた。
当時離れて暮らしていた兄宛てに、月に1度手紙を書いていた。返事が返ってきたことはなく、とうに捨てられたとばかり思っていた。手紙の端はところどころ折れ曲がり、何度か読み直した跡があった。「自分の本心を表現するのが苦手だったのかもしれない。会えなくなってから知ることがあまりにも多い」
医師の家系に生まれ、子供のころから医師の道を志していた兄。ここ数年は診療のため、実家の病院と自身が開業した北新地のクリニックをせわしなく行き来し、いつも忙しそうだった。穏やかで人の話を客観的に聞くことができる兄に対し、「精神科医に向いている」と感心しながらも、「そこまで働かなくても」との思いも頭をもたげていた。
「働き盛りの人も心の病気にかかることは多いから」。普段は自身のことをあまり語らない兄が、数年前にぽつりと漏らした。仕事に邁進(まいしん)する心の内に触れたのは、それが最初で最後だった。
患者との「絆」
それだけに、事件後に報道や会員制交流サイト(SNS)にあふれた、兄を悼む患者らの言葉は少し意外だった。《先生には人生を救っていただいた》《不安なときに電話をかけるといつも丁寧に応じてくれた》-。「もっと淡々としている印象だった。こんなに思ってもらえて、愛のある診療をしていたんですね」とつぶやく。
最後に兄を見かけたのは事件の2週間前。兄が北新地のクリニックから実家の病院に車で帰ってきたところだった。運転席で患者のカルテを熱心にめくっていた。こちらには気付いておらず、邪魔をしないように声をかけるのをやめた。いつもの兄らしい姿だった。
「誰よりも患者さんを思い、救いたかった兄だからこそ、事件を悔やみきれないはずだ」。兄の無念を感じるたび、痛いほど強く思う。「同じ悲しみを決して繰り返してはならない」(中井芳野)