館野仁(53)桜井純(45) 金密輸容疑で男2人逮捕 韓国から1トン運び込んだか―警視庁

韓国から金を密輸したなどとして、警視庁生活経済課は21日までに、関税法違反容疑などで、職業不詳館野仁(53)=千葉県習志野市秋津、会社役員桜井純(45)=同県市川市国分=両容疑者を逮捕した。館野容疑者は「密輸するつもりはなかった」と否認し、桜井容疑者は認めている。
同課によると、両容疑者は2023~24年、韓国と日本を計216回往復。計約1トンの金(約108億円相当)を密輸して東京都内の金買い取り店で売却し、計約9億8000万円の利益を得たとみられる。

館野容疑者の逮捕容疑は昨年8月21日、金の延べ棒4本(約4600万円相当)をポーチに入れて韓国から密輸し、消費税の支払いを免れるなどした疑い。

同容疑者は同日、韓国から羽田空港に到着した際にポーチを紛失。同空港に落とし物として届けられたことで発覚した。

その翌日、桜井容疑者がかばんに金の延べ棒9本(約1億450万円相当)を隠し、韓国から密輸しようとしたところを同空港の東京税関職員に見つかった。

両容疑者は韓国で延べ棒を預かり、入国時に消費税相当額を納めないまま日本の金買い取り店で換金し、売却代金を韓国に持ち帰ろうとしていたとみられる。両容疑者が韓国出国時に提出した輸出申告に関する書類には、同一の金の販売先が記されており、同課は韓国に仲間がいるとみて調べている。

鈴木湧万(29) 福島県教委 県立高校の男性教諭を懲戒免職処分

福島県県教育委員会は県立清陵情報高校の鈴木湧万(29)教諭を14日付けで懲戒免職処分としました。 鈴木教諭は2025年7月、郡山市内の商業施設の女性用トイレに盗撮しようと侵入した疑いで警察に逮捕され、その後、罰金10万円の略式命令を受けています。

事業者から「公開してはいけない情報が…」市が工事入札の募集資料に誤って“機密情報” 入札を中止しやり直す方針

名古屋市は中学校の工事入札において、募集資料に機密情報の積算金額などを誤って掲載していたと発表しました。 名古屋市住宅都市局によりますと、先月30日に行った中学校2校の運動場整備工事の入札公告で、誤って積算金額とその内訳を記載したデータファイルを掲載したということです。 4日午後4時半ごろ、募集資料を見た事業者から「公開してはいけない情報が公開されている」と指摘があり発覚しました。 名古屋市はこの工事入札を直ちに中止し、改めて入札をやり直す方針です。 名古屋市は「今後は資料を添付する際に複数人でチェックを行い、機密情報が記載されることがないよう徹底する」としています。

【熊本地震】現地で支援の輪が広がる 10年前の地震で被災した高校生「昔たくさんの人が支えてくれたから、今ここに立てている」姉妹でボランティア参加【震度7観測の熊本・宇城市】

熊本で最大震度7を観測する地震の発生から1週間。被災した家屋の多くが未だ手つかずのまま残されています。
熊本県内では8月3日時点で、災害関連死の疑いがある人などを含めて38人が死亡。住宅への被害は1万2276棟に上り、8222人が避難を余儀なくされています。
一方、被災者の生活を支えようと、支援の輪も広がり始めています。
熊本・宇城市でボランティア活動開始 朝から約50人集まる
震度7を観測した宇城市では、2日にボランティアの受け付けが始まっていて、4日も朝からボランティアが集まっていました。
(熊本市内から参加)「近くなので他人とは思えないですし、なにかできることがあれば」
(熊本市内から参加の高校生)

「いま元気な人が元気じゃない人を助けるべきだなと思って」

「体力があると思うのでそれをいかしてボランティアできたらなと」
4日に集まったのは、熊本県を中心に、兵庫県や広島県などから50人程度。混乱を避けるため現在は事前に登録を済ませた人だけを受け付けています。
中には、こんな思いを持つ人も…。
「自分も昔被災したので人のために動きたい」災害ボランティア初参加の高校生
(高校2年生 倉田真歩さん)「益城町から来ました。自分たちも昔被災していたので、人のために動ければいいなと思って来ました」
10年前に熊本を襲った地震のとき益城町で被災した、高校2年生と中学2年生の倉田さん姉妹。今回、初めて災害ボランティアに参加しました。
4日に行われたのは市から要請を受けた場所での活動で、倉田さんたちのチームは支援物資の仕分けなどを担当することに。
全国各地の自治体や企業などから届いた水やおむつ、肌着などが文字通り山積みにされています。
(高校2年生 倉田真歩さん)「荷物がすごく大きいので、それを運ぶのが大変だし、それを開けて仕分けするという作業もずっと同じことをするので」
「人が何人いても困らないくらい」市の担当者が語る現状
こうした支援物資を宇城市内の避難所へ運ぶため仕分けをしていくのですが、市の担当者だけでは人手が足りていなかったといいます。
(宇城市・企画振興部企画課 溝上敬浩さん)「(地震後)最初の2日3日は市の職員だけでしていました。(Q人手は?)全然足りなかったです。1000ケースくらいの水が来たんです。それを10人いないくらいでここから奥に運んだので、腕がパンパンになるような感じで。人が何人いても困らないくらい。マンパワーなのでありがたいですね」
ボランティアに参加して改めて気付く“支援のありがたさ”
10年前、小学1年生で被災した真歩さん。今回ボランティアに参加したことで、支援のありがたさに改めて気が付きました。
(高校2年生 倉田真歩さん)「すごく忙しくて、地震や災害の裏ではこんなにも頑張っている人がいるんだなと。自分が被災したときも、たくさんの人が支えてくれたことで自分がいまここに立てているのかなと思いました」
8月2日にボランティアの派遣を始めた宇城市では、3日間ですでに300件ほどボランティアに来て欲しいという依頼があるといいます。
(宇城市・社会福祉協議会 宮川典子さん)「いち早く被災された方へという思いで、すぐに立ち上がり動き始めた。ボランティアが多く来てもらえればそれなりに対応ができるので、皆さんのお越しをお待ちしているところです」
(2026年8月4日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」より)

「まるで高市早苗のプロモビデオ」BGM付き被災地視察動画に批判殺到、“強烈な違和感”と不必要な謎の演出

8月3日、高市早苗首相が熊本地震の被災地である熊本県を視察した。7月28日の地震発生から6日後に現地入りし、ヘリなどから被災状況を自ら確認。視察の様子を首相官邸が公式SNSに投稿したのだが、その内容に強い批判が殺到している。
「災害を利用してPV」BGM付き動画が物議
視察では、地震後に爆発が起きたことで多くの犠牲者が出た「イオンモール熊本」のほか、煙突が倒壊するなどして被害者が出た「日本製紙八代工場」などを自衛隊ヘリで上空から確認。氷川町にある避難所では被災者らと面会し、励ましの言葉をかけた。
高市首相は視察後、記者団に対して「政府一丸となって震災対応や生活・なりわいの再建支援に取り組む」と述べ、熊本地震を「激甚災害」に指定する方針を表明した。
「さらに、対象地域を特定しない“本激”を適用するとし、200億円を超える規模の予備費の使用を4日に閣議決定しました。激甚災害に指定されると、インフラや農業関連施設の復旧に対する国の財政支援が手厚くなります。
能登半島地震などに比べて被害規模が限定的であることなどから、政府内では慎重論も出ていたそうですが、“やれることはすべてやる”と前のめりな姿勢を見せる首相はスピード重視で一気に判断を進める考えのようです」(全国紙政治部記者)
しかし、一方で物議を醸しているのが、官邸の公式アカウントで公開された“BGM動画”だ。今回の被災地視察をまとめた1分53秒の動画で、X(旧ツイッター)やインスタグラム、YouTubeなどで一斉にアップされた。
「防災服を着た首相が自衛隊機に乗り込むところから始まるその映像には、まるでドキュメンタリー番組かのようなしっとりとしたピアノ曲がBGMとして流れています。動画の最後は、被災者の1人が首相に“全部が全部ありがたかったです”と言う場面で締めくくられており、まるで首相が主人公の作品に。
この内容に対して、“なんで高市早苗のプロモビデオになってるの?被災者を自己アピールのネタにして人として恥ずかしくないですか?”“被災地まで利用してまでやってる感の露骨なアピール、主役はサナ”“このBGMはなんでしょうか?災害を利用してPV作ってるのかとびっくりしました”“映える動画意識してるのか、このような編集に強烈な違和感を覚える”など、疑問の声が多数寄せられています」(同・政治部記者)
動画を確認すると、かなり手の込んだ作りであることが分かる。さまざまなアングルから撮影された映像に加え、一部にはスローモーションのような演出も。視察当日の午後11時台にアップされたことを考えると、「ずいぶん準備がいいな」と受け止められるのも無理はない。
迅速な被災地視察のはずが、思わぬ形で“迅速な演出動画”として注目を集める結果となったようだ。
週刊女性PRIME

わいせつ処分歴ある保育士の情報データベース、活用進まず…全国6010施設が利用登録せず

子どもへのわいせつ行為で処分歴のある保育士の情報を蓄積した国のデータベース(DB)を巡り、こども家庭庁は4日、全国の保育所や認定こども園など6010施設が今年1月1日時点で利用登録していなかったと発表した。
DBは児童らへの性暴力などを理由に保育士登録を取り消された人の氏名や生年月日などが登録され、2024年4月に運用が始まった。今年4月時点で117人が登録され、保育所などは保育士を雇用する際にDBでの確認が義務付けられている。
同庁が今年1月に全国の保育所など約11万施設の活用状況を調べたところ、回答した3万6423施設のうち6010施設(16・5%)が利用登録していなかった。登録している施設でも、「全く活用していない」としたのは5064施設(13・9%)に上った。
同庁は4日、全国の自治体を通じて施設に活用の徹底を促す文書を発出した。

「沖縄と戦争」見つめる旅に終わりはない 写真家・松村久美さん

今年4月13日~6月3日、米軍のベトナム戦争出撃拠点であった1970年代の沖縄を舞台とした写真展が、東京工芸大学の写大ギャラリー(東京都中野区)で開催された。撮影者は、カメラマンとして一貫して沖縄を見つめてきた松村久美さん(79)。松村さんの目に映った、当時の沖縄にはどんな戦争の影があったのか、また写真展を通して伝えたいことを取材した。【青山学院大・米田麗美(キャンパる編集部)】
爆撃機墜落で知る「戦場」の現実
松村さんは47年に生まれ、東京写真大学(現・東京工芸大学)で報道写真について学び、68年に卒業した。松村さんが初めて沖縄に足を運んだのは、大学卒業後の68年11月だ。「八重山諸島の祭事に興味があり、見てみたいという単純な気持ちから2週間の沖縄旅行を決めた」と松村さんは振り返る。
沖縄に着いた次の日の同月19日、観光バスに乗った時だった。ちょうど嘉手納基地の近くを通りかかった時に、カーラジオから速報が流れた。「今朝、嘉手納を飛び立とうとしたB52が離陸に失敗し、墜落炎上して……」。本土から来た観光客は皆、事の重大さを理解しておらず、松村さんも例外ではなかった。「へー、と思って終わった」
観光を楽しんでホテルに帰ると、ロビーにはラジオが伝えた墜落事故を報じる地元紙の写真入りの号外が散らばっていた。写真を見て、超大型の戦略爆撃機であるB52の墜落によって多くの被害が出たのだと理解した。記事を読み、「基地のフェンスのすぐ近くの住宅街にまで墜落機の破片が飛んだ」「ものすごい音がして、住民は戦争かと思い跳び起きた」という内容に衝撃を受けた。「あまりにも沖縄のことを知らなかった、ここはまるで戦場じゃないか」
沖縄移住を決意
太平洋戦争で日本が敗れた後、米国施政下に置かれた沖縄には嘉手納基地などの米軍基地が置かれた。「住民の土地は強制的に接収され、広々とした基地になった」と松村さんは語る。そして米国が本格的にベトナム戦争に参戦した65年以降、沖縄は米国のベトナム攻撃の拠点となり、特に墜落事故が起きた68年の2月からは嘉手納基地にB52が常駐を始め、ベトナムをじゅうたん爆撃するため連日出撃していた。松村さんは、「ベトナムでは、沖縄は『悪魔の島』と呼ばれていた」と語る。
沖縄旅行のさなかに起きた、この予期せぬ墜落事故をきっかけに、沖縄に対する関心が一気に強まった。「自分はあまりにも沖縄を知らない。沖縄の現状を知らなきゃいけない」。大学時代に所属していた報道写真研究室の恩師に相談した。「沖縄に移住して、写真を撮ろうと思います」。恩師の紹介で毎日新聞社のグラフ誌「毎日グラフ」の仕事を確保し、69年には沖縄に移住した。
「圧政」が生む憎悪と国境を超えた親近感
70年12月、松村さんに強烈な印象を残す事件が起きた。コザ市(現沖縄市)で起きた「コザ騒動」だ。米兵が住民を車ではねたが、米軍の軍律維持を担う米憲兵(MP)は事故処理を巡り、騒然とする群衆に威嚇発砲を行った。この行為に地元住民の不満が爆発し、数千人の群衆が米軍車両を約80台焼く事態へと発展したのだ。
コザ騒動の10日ほど前にも、飲酒運転で主婦をひき殺した米兵が無罪を言い渡される事件があった。米国施政下の沖縄では当時、米軍人や軍属による犯罪が多発したが、警察による十分な捜査や司法手続きが行われず、住民が泣き寝入りする事態が多発していた。コザ騒動について松村さんは「米国による圧政への不満が一気に噴き出した」と説明する。
コザ騒動を報じる新聞記事に「黒人街で黒人兵百人がMPの車2台を燃やす」という記述があった。この記事を見た松村さんは「黒人街って何だろう」という思いで、アフリカ系の米兵らが集まるコザ市照屋の「黒人街」と呼ばれるエリアに、カメラ片手に足を運ぶようになった。
当時、アメリカでは黒人差別に抗議し、黒人の権利を主張する公民権運動に火がついていた。これに呼応し、沖縄でも基地内で黒人のアイデンティティーを主張する動きがあった。松村さんの写真展の展示作品の中にも「BLACK IS BEAUTIFUL」(黒は美しい)、「BLACK AND PROUD」(黒人であることに誇りを持とう)と書かれたジャケットを着て歩く黒人の集団が写されている。
松村さんによると、沖縄住民は、そんな彼らに対してある種の「親近感」があったという。「黒人の立場と沖縄の人々の立場が非常にクロスしていた。人種差別と人権無視の中で生きてきた黒人たちと、米軍圧政の中で暮らす沖縄の人たちという、同じ圧政を受けた民族というつながりが親近感を生んでいた」と語る。
松村さんによると、コザ騒動の時、「住民は黒人兵の車を逃がした」という証言があったそうだ。その頃基地内では、ベトナム戦争に反対した兵士による反軍運動や兵役拒否、海兵隊兵士による脱走など、米兵の反乱が相次いで起きていた。
黒人街では、出撃前の兵士の送別会が行われていた。ベトナムに初めて出撃する兵士たちは「二度と沖縄には帰れない」という気持ちで、手持ちのドルを使い尽くす。出撃を待つ兵士たちは「刹那(せつな)的に生きるしかなかった」と松村さんは語る。
自分を見つめ続けて
長い年月をかけて、沖縄にこだわり続けている松村さん。黒人街以外でも、反基地闘争や米軍基地労働者のストライキ、自衛隊の訓練など政治や軍事に関連するものから、ハンセン病療養所である沖縄愛楽園、離島の暮らしや祭事、風俗まで、幅広く沖縄を撮影している。78年には中南米の沖縄移民たちを訪ね歩いた。
まだ女性の写真家がほとんどいなかった時代、「ヤマトンチュ(本土出身者)」であることの葛藤を抱えながら、膨大な写真を撮影した。83年にはエッセー集「片想いのシャッター 私の沖縄10年の記録」(現代書館)を出版するものの、その後一時、沖縄や写真から遠のく。そして2006年から撮影を再開し、今に至る。
沖縄に対する見方は一貫して変わらないという。松村さんにとって沖縄を撮ることは「自分を見つめること」でもあるそうだ。今回、東京で実施した写真展のタイトルは「沖縄から<沖縄>へ 1969-79」。同タイトルには、「沖縄から離れたり戻ったり、沖縄から沖縄への旅に終わりはない」という松村さんの気持ちが込められている。
こだわりが凝縮された写真集
松村さんは、写真展の開催と同時並行で、沖縄での撮影成果を収めた初の写真集「この先の島じまへ 1969―1980 沖縄」(月曜社)を4月に出版した。「沖縄に魅入られて五十余年、なぜこれほどまでにひかれるのか」という思いを、「一つの形にして残したい、と思うようになった」という。4万枚に及ぶフィルムカットの中から写真を選び、撮影年月や場所の確認などに3年の時間を費やした。
松村さんと知己があり、同じく本土出身者として沖縄に関する資料保全・展示活動を続ける、東京都狛江市にある「狛江の小さな沖縄資料館」館長の高山正樹さん。その高山さんは、松村さんを「稀有(けう)な存在」と評する。「本土出身の写真家にとって沖縄は、たとえ大きな要素だったとしても、あくまでも本人の作品の中の一部であることが多い。一方で、松村さんは徹底して沖縄にこだわり、沖縄を撮り続けている」。数十年にわたり沖縄に向き合ってきた松村さんが今、初めて写真集を出すことを高山さんは「松村さんの、沖縄に対する真摯(しんし)な姿勢が表れている」と捉える。
今も戦争に向き合う沖縄
若い世代に向け、松村さんは「写真展や写真集を見ることで、70年代の沖縄をわずかではあるが知ることができる。当時の基地はベトナム戦争に利用されていたが、基地や米軍の存在は沖縄では変わっていない。今現在、石垣島、宮古島、与那国島には自衛隊のミサイル基地などが置かれ、要塞(ようさい)化が進んでいる。昔も今も本土防衛の『捨て石』的な存在であることに変わりはない」と指摘する。
その上で「いつでも戦争の危機は訪れる。70年代の沖縄における戦争を、遠い過去のこととして捉えるのではなく、戦争は今も続いていることだと認識してほしい。若い人たちにも、戦争をひとごとではなく、自分のこととして捉えてほしい」と語った。

警官発砲、包丁男が死亡=威嚇射撃にも応じず接近―大阪府警

4日午後7時ごろ、大阪府河内長野市木戸西町で、「包丁を持った血だらけの男が暴れている」と110番があった。駆け付けた警察官が包丁を持って向かって来た男に拳銃を発砲し、左胸に命中。公務執行妨害容疑などで現行犯逮捕したが、男は搬送先の病院で死亡が確認された。
府警は「亡くなられたことは大変残念。発砲の要件は満たしていると判断されるが詳細については調査中」としている。
府警によると、男は近くに住む無職土屋重吉容疑者(60)。司法解剖の結果、死因は胸を撃たれたことによる出血性ショックだった。弾は体を貫通していたという。
スーパー出入り口付近で暴れているとの通報を受け、河内長野署員5人が臨場し、近くの路上で土屋容疑者を発見。男性巡査部長(32)は包丁を捨てるよう警告したが応じなかったため、上空に1発威嚇射撃した。それでも向かって来たため、同容疑者に向けて1発発射したという。5人にけがはなかった。 [時事通信社]

被災地で渋滞深刻、復旧足かせに 熊本地震、各地で路面損壊

最大震度7を観測した熊本県の被災地で、渋滞が深刻化している。大動脈の九州自動車道が不通となった上、九州新幹線は運休。並行する国道3号に車が集中するが、各地で路面が損壊し、倒壊家屋が道をふさぐ。支援物資搬送や災害ごみの処理の足かせになっており、国や熊本県は、急を要しない場合は一般車両の通過を控えたり、迂回路を活用したりするよう呼びかけている。
同県氷川町の国道3号。追い越し禁止の片側1車線は路面のところどころが隆起していた。車は減速して通過せざるを得ず、後続がどんどん詰まっていく。
県によると、被害が大きかった県南部は特に流れが悪い。路面の隆起や陥没が生じ、倒れた建物が道路にせり出して通行を阻んでいる。他地域から、親族などのために物資を運ぶ車の影響で、交通量が増えているとの見方もある。
九州道は松橋インターチェンジ(IC)―えびのICの上下線、南九州自動車道も八代ジャンクション(JCT)―田浦ICの上下線でそれぞれ一般車両が通行止めに。橋梁の損傷が相次ぎ、1メートル超の高低差が生じた箇所もある。

ベントレーで車7台多重事故 映像に「逃走する男の姿」が 自称インフルエンサー逮捕

車7台に衝突して人にけがをさせたうえ、逃走したとして逮捕されたのは、SNSに高級車を運転する様子などを投稿していた、自称・インフルエンサーの男でした。
【画像】SNSフォロワー数は約55万人 自称インフルエンサーの容疑者
映像に「逃走する男の姿」が
白い煙を上げながら走る高級車ベントレー。ドアが開くと、運転していた男が車を降り、その場から走り去ります。
男が事故現場から逃走する瞬間を捉えた新たな映像です。
車7台に衝突してそのまま逃走したとして過失運転致傷などの疑いで逮捕されたのは、韓国籍の宋竜巳容疑者(49)です。
宋容疑者は自称・インフルエンサーで、SNSのフォロワー数はおよそ55万人に上ります。
高級車を運転したり、ショールームを見て回ったりする様子がアップされています。
事故は3月、東京・八王子市の片側2車線の道路で起きました。
信号待ちをしていた車の列に宋容疑者が運転するベントレーが突っ込み、合わせて7台に次々と衝突しました。
この事故で、30代の男性が首の骨を折るなど、6人がけがをしました。
近隣住民

「ドーンというような音。(被害者は)首を触ったり、車を見ていたりしていた」
宋容疑者は、現場から300メートルほど離れた場所で車を乗り捨てたとみられます。
空き家に潜伏 警察犬発見
その後の足取りも分かってきました。
宋容疑者は市内にある会社の事務所に侵入し、通報されますが、その際ジャンパーを脱ぎ捨てました。
近くの空き家に隠れましたが、ジャンパーのにおいを頼りに警察犬による捜索が始まり、宋容疑者を発見しました。事故の発生からおよそ3時間半後でした。
宋容疑者の供述

「私が運転しているベントレーは外車で、車幅が日本車両よりも大きいので、ぶつからずに行くのは難しいと分かっていましたが、走り抜けるしかないという気持ちで、間を抜けようとしました」

「アクセルを踏み、ハンドル操作しながら、計7台くらいの車にぶつかりながら走り抜けました」
宋容疑者は容疑を認めているということです。
(2026年8月5日放送分より)