薬物巡るトラブルか…イラン国籍の41歳男性の遺体を病院のロータリーに遺棄した疑い 外国籍の男女3人を逮捕

今年4月、愛知県の豊川市民病院の敷地内でイラン国籍の男性が死亡していた事件で、警察は14日、男性の遺体を遺棄したとして外国籍の男女3人を逮捕しました。 逮捕されたのは、イラン国籍で住居・職業いずれも不詳のキャラミ・ナーデル容疑者(48)と、ブラジル国籍で岐阜県可児市のイナハラ・ファビオ・マサユキ容疑者(37)ら男女あわせて3人です。 3人は今年4月、他の者と共謀し、イラン国籍のアリレザ・シャーモラーディーさん(当時41)の遺体を豊川市民病院のロータリーに遺棄した疑いが持たれています。 警察は、シャーモラーディーさんが東名高速の新城PAで複数の男から暴行を受けたあと、車で病院に運ばれたとみて、捜査していました。 警察は3人の認否を明らかにしていませんが、シャーモラーディーさんと3人の間に薬物の密売を巡るトラブルがあったとみて、事件に関与した他の人物の行方を追っています。

「政治の劣化どころではない」元首相・細川護熙が暗澹とする〈皇室典範改正〉駆け足成立の空恐ろしさ

元首相の細川護熙氏は、高市政権に対しては「深刻な危機感を抱かずにはいられない」と指摘する。皇室典範改正問題を中心に、その心情を明かした。
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「政治の劣化」にとどまらない空恐ろしさ
外交では、多数派というよりリーダー個人の責任がより重くなる。昨年11月の台湾有事に関する失言以降、日中関係は悪化したままだ。国民に多大な損害をもたらしていながら、事態の打開に向けて「日本はいつもオープンだ」と口で言うだけで何もしないのでは、無責任の誹りをまぬかれない。一方で高市氏は、トランプ大統領の横では、はしゃいで飛び跳ねてみせる。米中という2大大国に対する距離感やバランスのとり方に、政治的な計算や戦略の裏付けがあるようには思えない。国際舞台で一国のリーダーが自らの責任の重さを知らずに振舞うことは、国を危うくしかねないことである。
今国会で成立した法案の中で深刻な問題を孕んでいるのは、皇室典範改正法案である。この法案は、他のいずれにも増して「この国のかたち」に関わっている。ほとんどのメディアや保守系の学者を含む名だたる識者たちが疑義を呈して、国民の支持も乏しい改正案が、「静謐な環境」という名の下、駆け足でだまし討ちの様な形で成立した。共産党と参議院の立憲以外の野党の多くも賛成に回ったのは、政治の劣化というにとどまらない空恐ろしさを感じさせる。
今回の典範改正は、皇族数確保が目的とされた。そこで、結婚後も女性皇族が皇室に残ることができるようにする案と、旧宮家出身の男系男子を養子縁組で皇族にする案の二案が、衆参の正副議長がまとめた国会の総意とされて、その法案化が政府に委ねられた。
ところが出来上がった法案では、国会の取りまとめを超えて、養子皇族の男子子孫に皇位継承資格があるとされている。また結婚後も皇室に残った女性皇族が住民基本台帳に記載されるとされていることも、二流皇族扱いするのかとの批判がある。
政府は、養子皇族の規定が加わり、その養子皇族本人には皇位継承資格がない旨の規定はあるが、他の部分はいじらないのだから、自動的に養子の子孫には皇位継承資格があることになると説明する。これは明らかに作為である。国会で皇位継承の問題は今回は扱わないとなっているのだから、皇室典範の本則や附則で、養子皇族の子孫については、「別に法律で定める日まで、皇位継承資格を有しない」としたり、「皇位継承資格について検討を加え、その結果に基づいて必要な法制上の措置を講ずる」などとするのが、普通の立法手法である。
また結婚した女性皇族について、女性皇族は皇統譜と住民基本台帳に、夫と子は戸籍と住民基本台帳に記載されるというのは、大きな仕組みを作らないで、部分部分をそれぞれの既存の仕組みにはめ込もうとしているということである。ヨーロッパの王制の国を参考にすればいろいろなやり方が可能で、政府が工夫を怠っている印象はぬぐえない。
これが皇室典範改正「だまし討ち」の正体
法案を書くのは無論役人である。政府法案だから内閣法制局を通るが、当然内閣法制局は右に述べたようなことは指摘しただろう。にもかかわらずこのような法案が出てきたということは、やはり背後の政治的意思の存在を思わせる。これがだまし討ちの正体ということになる。
私が危惧するのは、そのような政治的意思が存在して、2005年の有識者会議の報告書で「国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点があり、採用することは極めて困難である」として否定された案が、いつの間にか息を吹き返し、衆参3時間ずつの審議だけで、多くの国民が危惧するなか、野党も同調して可決されたという事実である。この先、一旦過去に否定されたものでも、甦って時の権力の手で実現されることもあり得るかと思うと、正直暗澹とならざるを得ない。
※本記事の全文(約9000字)は、月刊「文藝春秋」9月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(細川護熙「 緊急提言 皇室典範『たまし討ち』改正は許されない 高市総理よ、日本を壊すな 」)。 全文では、下記の内容をお読みいただけます。

・天皇制が現代国家と共生するために

・目標が明確だった以前の自民党リーダー
(細川 護熙/文藝春秋 2026年9月号)

外国人ドライバーの「重大事故」急増!? 実は8割が「日本の免許」持ちって本当? 背景にある「外免切替」問題とは 警察庁が統計発表

警察庁は先日、2026年上半期における交通事故の発生状況に関する統計を公表しました。これによると、外国人運転者による死亡・重傷事故が近年増加傾向にあり、その対策が課題となっています。
■事故増加の背景には「外免切替」制度の問題を指摘する声も
警察庁は2026年7月末、2026年上半期(1月~6月)における交通事故の発生状況に関する統計を公表しました。これによると、2026年上半期の交通事故死者数は1162人で、前年同時期と比べて1人増加し、ほぼ横ばいの状況でした。
そのような中、外国人運転者による死亡・重傷事故は近年増加傾向にあることが分かっています。
直近5年の上半期における死亡・重傷事故件数をみると、2022年が180件(うち死亡事故は15件)、2023年が227件(22件)、2024年が239件(17件)、2025年が267件(22件)、そして2026年は323件(18件)と増加しています。
また2026年上半期の死亡・重傷事故323件について、運転者を国籍(地域)別にみると、「中国」が86件で全体の26.6%、次に「韓国・朝鮮」が62件で19.2%、「ブラジル」が38件で11.8%、「ベトナム」が28件で8.7%、「フィリピン」が20件で6.2%などとなっています。
これらの国籍の外国人は、そもそも日本に住んでいる人数が多いため、事故件数も一定程度多くなることが考えられます。
さらに、2026年上半期の死亡・重傷事故323件のうち、「日本の運転免許」を保有していたのは266件で全体の82.4%と大部分を占めました。次いで、「国際運転免許」の21件、「外国の運転免許」の4件などと続きます。
つまり、外国人運転者による重大事故が増加した上、その内訳は日本の運転免許を保有した外国人による事故が多いという現状があります。
この背景の一つとして、外国の運転免許証を日本の運転免許証に切り替える、いわゆる「外免切替」によって日本の運転免許を取得する外国人が増えていることが指摘されています。
警察庁が公表している運転免許統計によると、2025年中に外免切替によって運転免許を取得した外国人は6万444人、前年の2024年中は7万5905人と過去最多を記録するなど、高い水準で推移しています。
なお、基本的に外免切替の手続きは、パスポートや住民票などの書類審査を通過した後、適性試験、知識確認、技能確認という流れでおこなわれます。
知識確認とは日本の交通ルールを問う学科試験で、技能確認は運転技能を確認するための試験であり、これらの試験に合格すると、日本の運転免許証が交付されます。
この外免切替の手続きは2025年10月から厳格化されていますが、それ以前は「試験の基準が甘すぎる」「外国人が簡単に日本の運転免許を取得できてしまう」などの批判が相次いでいました。
たとえば現在、知識確認は問題数50問のうち90%以上の正答率で合格という基準ですが、外免切替が厳格化される前はイラスト問題10問のうち70%以上の正答率で合格という比較的緩い基準だったほか、日本語以外の複数の言語で受験できる状況でした。
加えて、書類審査に関しては、観光客のような短期滞在の外国人であっても、一時滞在先のホテルを住所地として申請できてしまう実態もありました。手続きの厳格化後は原則として「住民票の写し」が必要であり、短期滞在の外国人が日本の運転免許を取得できない仕組みになっています。
また外免切替が厳格化される前の2025年5月には、外免切替によって日本の運転免許を取得した中国籍の男が飲酒運転の上、埼玉県三郷市で小学生4人をひき逃げする事件が発生したほか、ペルー国籍の男が三重県亀山市の新名神高速道路を逆走、対向車に衝突して逃走する事件も起きました。
このような状況もあり、手続きの厳格化前に外免切替をおこなった外国人による重大事故の発生も懸念されています。
※ ※ ※
外免切替の手続きをめぐっては、SNS上で「知識確認は日本語で、日本人と同じ95問のテストを受けさせるべき」「厳格化前に外免切替で日本の免許を取得した外国人に対しても何らかの措置をとってほしい」などの声が上がっています。
今後は外国人運転者による事故の発生状況をふまえながら、外国人運転者への交通ルールの周知や制度運用の検証など、必要な対策を講じていくことが求められます。

《17歳の脱出劇》「アンタ、今、200万で売られたから」 旅行先の“売春島”で売られた少女が海を泳いで逃げるまで、売春宿の女将は「本当のお母さんのような存在だった」

三重県志摩市東部に広がる的矢湾(まとやわん)。入り組んだ海岸線が広がる中に、空から見ると”ハート形”をした島が浮かんでいる。その島の名前は渡鹿野島(わたかのじま)。現在は「恋人の聖地」にも認定されている同島には、長らく続いた仄暗い伝統があった。
人呼んで”売春島”。かつてはパブやスナックを装った”置屋”と呼ばれる売春斡旋所が多数立ち並び、最盛期の1980年前後には100人とも言われる娼婦がいたという。
2017年に刊行されたノンフィクションライター・高木瑞穂氏(Xアカウント:@takagimizuho2)の著書『売春島「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社、2019年に文庫化)でにわかに脚光を浴び、アングラ界隈の外側へとその名が知られることとなった。2024年からは、高木氏原作のコミック『売春島1981』(大洋図書)も配信されている。
売春島はなぜここまで人々の関心をひくのか。それは、剥き出しにされた人間の”欲”と、この上なく残酷な”搾取の構造”が存在しているからだろう。
メグミもこの島に売り飛ばされた女性の1人だ。1995年8月、メグミはこの島から一人で泳いで逃げた。彼氏に騙され、200万円で売られた末の脱出だった。同書より、その経緯を一部抜粋して紹介する。【全5回の第1回】
旅行先で私は突然”売られた”
「メグミ、今から旅行に行かへんか」
地元(愛知県)の居酒屋でナンパされて付き合った彼氏の武井(仮名)に誘われこの島に来たのは、7月の暑い日だった。三重県志摩市、ワタカノシマ。初めて聞く名前の島だった。
『N』旅館に入り、美味しい料理を食べているさなか、彼は「ちょっと待って」と言い残したきり帰って来ない。20分後、部屋に入ってきた女将さんが言った。
「アンタ、今、200万で売られたから」
わけも分からずその場でへたり込んだ。
助けを呼ぶ手段もない
そう、私は売られた、大好きだった彼氏に騙されて。これから毎日、私はここでカラダを売って200万を返済しないといけないらしい。女将さんは言った。
「ショート2万、ロング4万。ショートは60分。ロングは泊まりで夜11時から朝7時まで。半分はあなたのものだから」
200万返すには、ロング2万を100日。冗談じゃない。
助けを呼ぶにも、島には公衆電話も見当たらない。もちろん携帯電話なんて持ってない。誰かが警察に捜索願いを出さない限り、私はここで売春するしかないのだ。自発的に働きに来ているコは島の外に出られるけど、借金がある私に自由はない。船着き場は、いかにもヤクザ風の男たち2人に見張られていた。

「アメリカにくっついていれば保守」を名乗れる…石破茂がいまの自民党の”変質する保守”に抱く強烈な違和感

いま「保守」という言葉が大きく揺らいでいる。愛国や伝統を声高に語ること、権威に従うこと、アメリカに追随することまでが「保守」とみなされる風潮がある。しかし前首相・石破茂は「それは本当の保守ではない」と断じる。
のちに自民党政治家になる石破二朗のもとに生まれ、自らも保守政治家の道を歩み、ついに首相の座にまで上り詰めた石破。だが首相になる直前あたりから、自民党内の保守を自認する政治家やネット右翼から「石破は保守ではない」「反日サヨクのリベラル派だ」と非難・攻撃を受け続けてきた。志半ばで退陣し、高市早苗政権のもとでは、反主流派、さらには党内野党のレッテルも貼られている。
石破は、2024年に刊行した著書『保守政治家』(講談社)のなかで、「保守」を以下のように説明する。
「保守というのはイデオロギーではなく、一種の感覚であり、たたずまいであり、雰囲気のようなものだ、ということです。皇室を貴び、伝統文化や日本の地方の原風景を大切にし、一人一人の苦しみ、悲しみに共感する。その本質は寛容です。相手の主張に対して寛容性をもって聞く、受け入れる度量を持つ、という態度こそ保守の本質です」
石破が重視するのは「寛容」だ。少数意見にも耳を傾け、異なる価値観を受け入れる。その意味で、いま一部では「左翼」と同義のように使われる「リベラル」(個人の自由や権利、多様な価値観を大切にする立場)とも本質を共有するとして、「保守とはリベラルのことである」と書いている。
しかし、そこで描いた「保守」は、もはや自民党内では受け入れられないのだろうか。あるいは、自民党そのものが変質したのだろうか。愛国を盾に、意見を異にする人に反日のレッテルを張る。中国と親しく交わればそれを「媚中」と一刀両断する。そんな言説はSNSだけでなく、現実の政治空間でも目立つようになった。石破はこうした姿勢を、保守とはみなさない。
「保守と言うのは、本来、性急な変化を希求する『革新』に対してブレーキをかけつつ、今までの社会の良さを残しながら漸進しようとするスタンスです。保守は、ですからあくまで『ありよう』や『態度』であって、そのものがイデオロギーではありえないし、一定のイデオロギーを前面に押し出して性急な変化を求めるのであれば、それはおそらく『右翼』と言うのでしょう」
長年自民党に身を置き、総理・総裁まで務めた石破に、目先の政局を離れ、石破氏自身が考える「保守」と、自民党のあるべき姿を聞いた――。(前編)
やはり父親(編註:石破二朗)が自民党の政治家でしたから、その影響は大きいと思います。父は、戦前の内務官僚でしたが、内務官僚は寛容で柔軟性があるという意味でリベラルな人が多かったようで、父もそうだった。戦前、ドイツのヒトラー・ユーゲント(※編註:1926年に発足したナチス・ドイツの青少年組織)が来日したとき、父はその歓迎行事を任されました。
その時はよほど不愉快だったのか、極めて不機嫌になって当時の部下に「お前たちよく聞け、こんな奴らと仲良くするとロクなことは無いぞ」と言ったそうです。
また戦後、昭和33年、建設省の事務次官だったとき、大臣祝辞か何かの原稿に部下が「終戦後、はや13年云々」と書いたのを見て「終戦とは何事だ」と激怒した。「戦争に負けたのに敗戦と言わず、終戦という。全滅を玉砕と、撤退を転進と言い換える。そういうふうにしてごまかすと国は誤るぞ」と言ったそうです。
これは父が死んだあと、当時部下だった方たちが思い出として書いて残してくれていたからわかったことです。そういうリベラルな父でした。
もう一つ、父の思い出があります。ガンが見つかり、手術することになりました。私はその前日に病床に呼ばれて、遺言を聞かされ、最後に「あすの朝、お前が田中(角栄)のところにこれを持っていけ」と(大臣の)辞表を渡されました。
なぜ手術が成功するかもしれないのに辞表を出すのですかと尋ねると、「万一のことがあった時に辞表が出ていないと天皇陛下に申し訳がない」と言うんですよ。親から「天皇陛下に申し訳ない」というセリフを聞いて、結構ショックでしたね。明治の人はそういう考え方をするんだと。そういう家に育ちましたから、天皇陛下はありがたい、尊いものだということは子供の頃から叩き込まれています。
中学1年生のときだったかな。父が「これを読め」と渡してくれた本が吉村昭の『戦艦武蔵』と『零式戦闘機』。バリバリの反戦小説というわけじゃないんだけど、戦前あるいは戦中の、帝国海軍の技術の粋を集めて作った戦艦や飛行機、そしてそれを取り巻く人たち、あるいは国家のありようが描かれている。父は何も解説なんかしないけど、読めばいろいろなことが分かりますね。
中学の2年か3年の時、月刊誌の『諸君』が創刊になって、やはり父から勧められたのですが、これも面白く読めた。そもそもそういう保守的な家で育ってますから、あまり疑問にも思いませんでした。高校生の時くらいには、やはり父から「江藤淳というのが面白いぞ」と言われて読みました。
江藤淳の論説にはそのものズバリ「保守とは何か」というものがあって、「保守とはイデオロギーではない。保守の本質はリベラリズムであり、『寛容』なのである」と書いている。天皇制とかこの国の歴史だとか生まれ育った故郷とか、ご先祖様とか、そういう大切なものがあって、それは絶対に守らなければならない。ただ、その大切なものを守っていくために、他者の意見にも耳を傾け、もし改めるべきことがあるなら改める。それでこそ本当に大切なことを守ることができる、と。
なるほどそうなのだと思いました。
保守といえばエドモンド・バークの『フランス革命の省察』がその起源だといわれていて、一応読んだけどあんまりわからんな(笑)。でも、これもフランス革命という急進的な変化を目の当たりにして、イギリスには漸進的な一歩一歩の変革こそがふさわしいとする論ですよね。そのほか、田中美知太郎とか清水幾太郎、福田恆存なども父から勧められて読みました。そうした考え方にもかなり影響されています。
そんなわけで、私はイデオロギー的ではない保守主義の家に育った。だから今でも、右翼的なものに対する生理的な嫌悪感みたいなのがすごくあるんです。一番嫌いなのは、首相官邸の前で、日の丸と星条旗を振り回しているような人たちの主張ですね。これは苦手。親米保守、というけれど、あまりにもその主張の中の矛盾が大きすぎて、何を言っているんだろうと思ってしまいます。
いつの頃からか、自民党内で「リベラル」は“呪いの言葉”となった。安倍晋三元首相や高市早苗首相を支持する「岩盤保守層」の政治家やネット上の応援団からすれば、リベラルとは極左であり、媚中派であり、反日なのだという。
2月の総選挙では、「リベラル狩り」と称して、石破やその盟友の岩屋毅、村上誠一郎らが標的となり、激しい攻撃を受けた。自民党支持者からの誹謗中傷もあった。
しかし石破は、かつて自民党内の一大勢力をなしていたリベラル派こそ「保守本流」だったと断言する。
私の父も政治家になってからは、吉田茂、佐藤栄作、田中角栄という流れです。岸信介でも河野一郎でもない。自民党内でもリベラルな位置です。
私の師でもある田中角栄先生は、特に戦争を嫌っていた。これは藤井裕久さん(元蔵相、故人)がよく仰っていたことですが、角栄先生は「戦争を知っているやつらが(この国の)中心にいる間は大丈夫だが、戦争に行った奴らが中心からいなくなった時が怖い。だからよく勉強しておけ」と言っておられたそうです。
角栄先生は日中戦争にも従軍されたので、一庶民の目で軍とは何か、国家とは何かということを考えたのでしょう。後の日中国交回復や、石油資源をめぐる中東外交などでアメリカの虎の尾を踏んだとも言われたが、単にアメリカに追従するのではなく、自立した外交を模索し続けた。これが、自民党のリベラルな「保守本流」の系譜になったのだと思います。
角栄先生のもう一つの流れは、常に地方が政策のベースにあったことです。保守の基盤は地方、田舎に原点があるという考え方です。これは角栄先生から竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三という系譜につながった。こうした人たちには、いわゆる「右翼」的な要素は微塵もなかった。
角栄先生は、日中国交回復を命がけでやりました。決裂の危機もあったが、粘り強く交渉した。訪中前には石橋湛山元首相のもとを訪れていました。竹下さんは、これも世の中が大反対というなかで消費税を導入し、退陣という結果になった。それでも正しいと信じる政策を粘り強く訴え、納得が得られるまで努力し続けた。政権をかけて実現したのです。これこそが保守本流だったと思います。
田中以来のリベラルな「保守本流」に対抗してきたのが、岸信介の流れをくむ福田派、のちの清和会を中心とする勢力だった。田中派はハト派、福田派はタカ派とも称された。その二大勢力が、振り子のように左右に揺れながらバランスをとってきたことが、自民党の強みでもあった。
石破が初入閣したのは、清和会出身の小泉純一郎内閣だった。振り子が大きく右に振れたようにも見える小泉政権だが、当時の自民党にはどんな空気があったのか。
小泉さんで印象深いのは、イラク戦争後に初めて自衛隊を派遣する時のことです。防衛庁長官だった私に、福田康夫官房長官が「総理訓示の原稿を見てくれ」というので、読んでみると「望んでイラクに赴く諸官は」と書いてあった。
その時に私は「これはダメです。自衛官はたとえ志願したとしても、望んで行くのではない。命令されたから行くのです。『国家の命により』としてください」と言いました。すると福田さんは、「じゃあ一緒に総理に言いに行こう」と言うので、小泉総理にそう言うと、即座に「よし分かった。その通りにする」と。
小泉さんには、そういう懐の深いところがあったし、福田さんはリベラルな人でした。小泉政権はリベラルな福田さんが支えていたから保っていたんだと思いますよ。
安倍政権の後半あたりからでしょうね。一つは拉致問題。これは安倍さんの金看板の一つでしたが、日本人の心の琴線に触れる問題でもあります。ほんとうにお一人でも帰国できるようにしようと思えば、北朝鮮と話し合いをするしかないはずが、不信感を前面に出して敵を外に作ることによって国内の結束を固める手法だが、これが強くなりすぎた。日米関係についても、戦後レジームの脱却を目指されていたはずなのに、根底にある日米安保条約の非対称性はむしろ固定化されていっているのではないかと感じていました。それがどうしても心情的に合わなかったんです。
かつてアメリカの国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスは「合衆国にとっての利益は日本に合衆国を防衛させることではない、日本のどこにでもいつまでも合衆国軍隊を駐留させる権利こそが利益だ」と言っていました。
だから私は、日本が本当の意味で独立するには、憲法を改正して集団的自衛権の行使を国連憲章と同じ態様で認めることが必要だと思っています。そうすれば日米同盟は対称的な「守り合う」関係になるし、基地使用の問題で従属的にアメリカの戦争に巻き込まれることもなくなる。これはアメリカからの独立でもあるんです。
ある時、それを安倍さんに言ったら、激怒して「そんなことは君が総理になってからやればいい」と言われました。やはり、安倍さんは、絶対に異論を許さない、というところがありましたね。日米同盟は絶対だ、親中国はけしからん、みたいなことをやはり総理が言えば、それが自民党全体に広がっていく。安倍さんはそういう人でした。懐の深い人だったとは私は思っていません。
異論を唱える者は許さない、逆らう者は許さないという強烈な個性、高市さんもそういうところがあるんでしょうか。その結果、自民党全体が、とにかく「アメリカにくっついて」さえいればいいんだ、それが保守なんだと言う考え方に傾いてしまったのだと思います。
アメリカにモノが言えない保守、何を守るかがはっきりしない保守。石破がそう批判する「新しい保守」が自民党を覆う中で、皮肉にもその石破自身が、第102代内閣総理大臣に就任した。
旧安倍派を中心とする派閥の裏金問題で自民党が厳しい批判を浴び、岸田文雄首相が政権を投げ出すという未曽有の危機のなかでの就任だった。石破が著書で書いたように、自民党結党以来の危機が、石破に天命を下したのだ。
「保守本流」を取り戻し、自民党を立て直す。その役割を期待された石破だったが、首相になって待っていた現実は、想像以上に厳しかった。むしろ党内では、石破が批判してきた「保守」との亀裂がさらに深まっていく。
次回は、総理・総裁として苦闘した1年間を石破自身がどう振り返り、いま高市政権と自民党に何を思うのかに迫る。(後編に続く)
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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)

高市首相、靖国参拝見送り=玉串料奉納、小泉氏ら参拝

高市早苗首相は15日、自民党の鈴木俊一幹事長を通じ、東京・九段北の靖国神社に党総裁として私費で玉串料を納めた。就任後初の終戦記念日は、参拝を見送る方針。小泉進次郎防衛相と黄川田仁志沖縄・北方担当相、城内実経済財政担当相、小野田紀美経済安全保障担当相は同日、それぞれ参拝した。
鈴木氏は有村治子総務会長、西村康稔選対委員長と共に参拝した。この後、記者団に「首相の英霊に対する気持ち」を踏まえたと説明。党幹部がそろったことについて「靖国神社参拝を受け継ぐ」とした党の運動方針を具体化したと語った。
黄川田氏と城内氏は記者団に「み霊の安らかなることを祈った」などと語った。小泉、小野田両氏は取材に応じなかった。
自民の萩生田光一幹事長代行や参政党の神谷宗幣代表、日本保守党の百田尚樹代表も参拝した。
首相の参拝見送りは、就任を直後に控えた昨年秋の例大祭と、今春の例大祭に続く。自民を代表する保守派で、就任前は閣僚在任中も含め参拝を重ねていた。中韓両国に配慮したとみられる。また、終戦記念日に防衛相が参拝したのは2024年の木原稔氏以来、2年ぶり。 [時事通信社]

溺れて病院搬送された父親(39)が死亡 息子2人助けようと… キャンプ場で水難事故 北海道豊浦町

2026年8月14日、胆振の豊浦町のキャンプ場で男性がおぼれ、心肺停止の状態で病院に搬送された水難事故で、男性は15日、死亡が確認されました。
死亡が確認されたのは、江別市の平床達也さん(39)です。
警察と消防によりますと、平床さんは14日、豊浦町礼文華のキャンプ場で10代の息子2人が遊泳中に流されため、海に飛び込み救助に向かったところ溺れて浜に戻れなくなったということです。
平床さんは、ほかの利用客に救助されましたが、心肺停止の状態で病院に搬送され、15日死亡が確認されました。
息子2人は自力で浜に戻り、命に別条はないということです。
キャンプ場によりますと現場は海水浴場ではなく、遊泳しないよう呼びかけていたということです。
警察は死因などについて捜査しています。

自民・鈴木幹事長ら党役員がそろって靖国参拝…高市首相は見送り、党総裁として玉串料納める

小泉防衛相も…現職防衛相の参拝は2年ぶり
自民党の鈴木幹事長ら党役員は15日朝、終戦記念日に合わせ、東京・九段北の靖国神社を参拝した。高市首相は参拝を見送り、自民党総裁として鈴木氏を通じて玉串料を納めた。小泉防衛相ら閣僚も参拝した。
鈴木氏は参拝後、記者団に対し、「党執行部を代表して参拝した。高市総裁のご英霊への思いは十分承知している」と述べた。高市首相は2024年の総裁選では、首相に就任後も参拝すると明言していた。鈴木氏は自民の有村総務会長、西村康稔選挙対策委員長と靖国神社を参拝した。
党役員がそろって参拝するのは異例。小林政調会長は地元の千葉での豪雨対応のため取りやめたという。
小泉氏の参拝は、現職の防衛相の8月15日の参拝としては、2024年の木原稔氏以来、2年ぶりとなる。中国や韓国が強く反発するとみられる。小野田経済安全保障相らその他の閣僚も15日午前、参拝した。

大規模冠水の千葉・大網白里市 早朝からコンビニ・飲食店などで泥水撤去など復旧作業 再開めど立たず 一部で冠水続く

千葉県を襲った豪雨では、今も一部の地域で冠水が続いています。大規模な冠水被害にあった大網白里市では、きょうも住民が復旧作業に追われています。中継です。
千葉県大網白里市です。こちらのコンビニでは先ほどまで、豪雨の影響で駐車場にたまった泥水をはき出す作業が行われていました。早朝の午前5時から30人ほどで作業をしていたということですが、作業を終える見通しはたっていないということです。
きのう、この場所を上空から撮影した映像です。画面中央に写っているのが、こちらのコンビニで、あたり一面が冠水していることが分かります。
きのうと比べると、きょうはかなりの水が引いたということで、この近くのラーメン店でも朝から復旧作業に追われていました。
ラーメン店の店主 「生樽やドリンク関係、調味料関係だったり、全部廃棄ですね」
私が話を聞いたラーメン店の店主は、「いつオープンできるのか、再開できるのかが一番心配だ」と話していました。

高市首相「反省」再封印=初の式辞、戦争主体曖昧に―終戦記念日

高市早苗首相は終戦記念日の15日、就任後初めて臨んだ全国戦没者追悼式の式辞で、先の大戦に対する「反省」に言及しなかった。石破茂前首相は昨年の式辞で「反省」の文言を13年ぶりに復活させたが、首相は第2次安倍政権から岸田政権まで続いた対応に戻した。保守層にアピールする狙いがあるとみられる。
首相は安倍晋三元首相を含めて歴代首相が使っていた「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」との文言も修正。主体が曖昧な「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」との表現に変えた。「アジア諸国の人々に損害と苦痛を与えた」などの表現も用いず、「(日本は)インド太平洋の輝く灯台として頼りにされる国になれる」と強調した。
「反省」の文言は、社会党の村山富市元首相が1994年の式辞で初めて使用し、それ以降の政権でも定着。しかし、安倍元首相は政権復帰後初となった2013年の式辞から一貫して使わず、菅義偉、岸田文雄両元首相も安倍氏の対応を踏襲した。 [時事通信社]