横浜市営地下鉄のホーム上から、一覧式の時刻表が消えた。市交通局の業務省力化やコスト削減が目的で、代わりにスマートフォンで時刻を見られる2次元コード(QRコード)を掲出。ただ「高齢者など不慣れな客への配慮が足りない」と交流サイト(SNS)で議論を呼び、専門家もサービス低下を懸念している。
撤去されたのは、全ての列車が一覧になった発車時刻表。従来は各ホームに1~2カ所あったが、同局は11月1日のダイヤ改正を機にブルーライン、グリーンラインの全駅で廃止した。
通院で利用する市内の主婦(75)は「次の電車がすぐ来るので、もともと時刻表は見なかった」と冷静に受け止める。だが、仕事でたまに乗るという沿線の男性会社員(45)は「帰りの時刻を確認するのに便利だったのに…」と不満げだ。
■主な理由は省力化、電光式で代替
同局によると、撤去の主な理由は省力化だ。一覧式の時刻表は、(1)日焼けを防ぐ特殊な紙を使う(2)ダイヤ改正のたびに記述の校正が必要(3)各駅への運搬や張り替えの手間がかかる─とし、撤去により印刷費だけで約70万円のコスト削減効果があるという。
次の発車を示す電光掲示板は全駅のホームにあり、「多くの人が利用している」と同局。2次元コードを通じてサイトを見れば「運行情報や列車走行位置、到着予定時刻も確認できる」と利点を強調する。
利用者からの反応は、12月16日時点で▽反対31件▽賛成1件▽その他2件。スマホを持たない人や操作に慣れない人に対しては「電光掲示板か、駅窓口で配布しているポケット時刻表を見てほしい」と理解を求める。
■私鉄は対応分かれる
コスト削減を目的とした時刻表の撤去は全国的な傾向で、JR西日本が2017年、JR東日本も19年以降に着手。JR東は「(ネットの路線検索サービスなど)発車時刻を知る手段が増えた」と説明する。
私鉄は対応が分かれる。県内では相模鉄道、東急電鉄、京浜急行電鉄、京王電鉄などが全駅で掲出を継続。「安心して利用できるようサービス水準を維持する」(東急)、「快特や特急など列車種別や行き先が多く、電光掲示板がない駅もある」(京急)としている。
一方で、横浜高速鉄道は24年までに、横浜を除くみなとみらい線全駅で撤去。小田急電鉄は「駅ごとに判断し(掲出箇所を)減らした駅もある」とする。
■専門家「時刻表は必要」
ホームから時刻表を撤去した事業者も、改札口付近にだけは残している。国土交通省令の鉄道運輸規程で、発車時刻の掲出が義務付けられているためだ。
同省鉄道サービス政策室は「掲出場所は定めていない」と、改札に限った掲出方法を容認。「利用者の声に応じて判断してほしい」と事業者に任せている。
一方で、鉄道サービスに詳しい上岡直見・環境経済研究所(東京都)代表は「電光掲示板は一見親切だが、必要な情報がいつ出るか分からないことも多い」とデジタルの不完全な面を指摘。特に、直通運転を行う路線は「行き先が多様化しており(一覧の)時刻表は必要だ」と話している。
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エステ店の女性刺した疑い 東京・新宿、客の男逮捕
東京都新宿区のマンション廊下で30代女性を刺したとして、警視庁国際犯罪対策課は30日、殺人未遂の疑いで千葉市花見川区の中国籍の男(35)を逮捕した。同課によると黙秘している。女性はエステ店店長とみられ、命に別条はないもよう。容疑者は客として複数回店を訪れ、店側と料金を巡るトラブルがあったとの情報があるという。
逮捕容疑は29日午後0時10分ごろ、エステ店が入る東京都新宿区高田馬場4丁目のマンションの廊下で、腹や胸など4カ所を刺した疑い。
刺した男はタクシーや電車で逃走し、同日夜、千葉市内のファストフード店にいたところを捜査員が発見した。
週間天気予報 年末年始の天気 日本海側は大雪のおそれ Uターン時に影響も
【 この先のポイント 】
・初日の出は見られる? 最新の見解
・日本海側で大雪、太平洋側も雪が心配
・年始は全国的に寒さが戻る
年始にかけて日本海側を中心に雪や雨が降る見込みです。強い寒気の影響で、Uターン時の移動などに影響が出るおそれがあります。最新情報をこまめに確認し、余裕をもった行動を心がけてください。
初日の出は見られる? 最新の見解
明日31日(水・大晦日)の日本列島は冬型の気圧配置となり、北日本や北陸から山陰にかけて雲が多く、すっきりしない天気となる見込みです。太平洋側では引き続き晴れる所が多いとみています。
冬型の気圧配置が続くため、元旦の日の出は日本海側では楽しむのが難しく、太平洋側ほど見られるチャンスがあります。ただ、関東では沖合いから雲が広がる可能性があり、場所や時間帯によっては雲に遮られる心配があります。
また、沖縄や奄美は湿った空気の影響を受けやすく、初日の出は雲に遮られやすいため、見られるタイミングは限られそうです。
日本海側で大雪、太平洋側も雪が心配
1月1日(木・元日)から3日(土)にかけて、日本列島は冬型の気圧配置が続く見通しです。
日本海側を中心に雪や雨が降りやすく、特に北日本や北陸では大雪や吹雪に警戒が必要です。
太平洋側でも雪や雨の降る可能性があり、路面状況の悪化に注意してください。
年明けのUターンラッシュの時期と重なり、交通機関にも大きな影響が出る可能性があります。移動時間に余裕をもった計画を立てるとともに、出発前や移動中も最新の気象情報や交通情報をこまめに確認すると安心です。
年始は全国的に寒さが戻る
明日31日(水)からは寒気の影響が強まり、北日本では最高気温が0℃未満の真冬日となる所が多く、厳しい寒さが戻る見込みです。
東日本や西日本でも元旦から最高気温が10℃に届かない所がほとんどとなる予想です。
年始のお出かけや初詣、Uターン時の移動の際は、寒さ対策が欠かせません。特に朝や夜は冷え込みが強くなるため、手袋やマフラーなどを活用し、体を冷やさないよう心がけてください。
《「移民が押し寄せる」と誤情報が拡散》マンション高騰も犯罪も「外国人のせい」? データと現実から見えた本当の論点
今年を振り返ると、選挙の現場や報道で何度も耳にした言葉がある。「外国人問題」だ。だが本当にそうした“問題”は存在するのだろうか。そんなミステリーを、今年は何度も感じた。喫緊の課題のように語られているが、事実はどうなのか。
対照的な論調だった産経新聞と東京新聞
たとえば都内のマンション価格高騰の背景には外国人による投機的な取引が一因にある!との主張を選挙期間中によく聞いた。すると先月末、次の記事が産経新聞と東京新聞の一面を飾った(11月26日)。
産経は「都心6区マンション取得者 7.5%が海外に住所」。東京は「都内新築マンション 海外から購入3%」。いずれも国交省の発表を基にした記事だった。一見すると、どちらも「外国人問題」を扱っているように見える。実際、産経はそんな論調だった。
しかし東京新聞を読むと「マンション価格高騰の背景には、外国人による投機的な取引が一因にあるとの指摘もあったが、外国人取得の影響は限定的な可能性がある」。産経と対照的な論調だった。
両紙が揃って取り上げていたのが国交大臣のコメントだ。大臣は「日本人か外国人かを問わず、実需に基づかない投機的取引は好ましくない」。
つまり問題があるとしたら投機的な短期売買をする人であり、日本人か外国人かは関係ないわけだ。ところがいつしか「外国人問題」として語られるようになった。単純化するとウケるからだろう。煽るほうが、考えるよりずっと楽なのだ。
その一方で目先を変えてみよう。「外国人問題」は地方の報道を読むと切実だったからだ。夏に衝撃的なニュースがあった。全国知事会が7月に青森で開かれ、国に多文化共生施策の司令塔となる組織の設置などを求める提言をまとめた。提言は在留外国人が過去最多となっていることに触れ、日本語教育や生活支援などの課題解決は「受け入れ自治体任せ」と指摘。
静岡県の鈴木康友知事は「国は外国人を労働者としか見ていないが、地方自治体は生活者として受け入れている。そのことを認識すべきだ」と話した。ところがである。取りまとめ役となった静岡県には「外国人が増えれば犯罪が増加する」などの批判的な意見が殺到したのだ。曲解した人々が自治体にクレームを入れたのだという。議論が成立しない状況に、言葉を失った。
だが全国知事会は毅然としていた。11月も「多文化共生の推進」を訴えた。「事実やデータに基づかない情報による排他主義・排外主義を強く否定します」と宣言。「感覚的に論じることなく、現実的な根拠と具体的な対策に基づく冷静な議論」を進めるとした。
悪意に負けない姿勢を、はっきりと示した。地方にとっては外国人との共生は切実なのだ。
信濃毎日新聞の社説は、ここ最近は事実に基づかない「外国人問題」が叫ばれていることを指摘し、「そうした風潮に乗じ、伝聞や個人的な感想を、さも重大事であるかのように語る政治家の姿が目に余る」と問うていた(「知事会の宣言 排外主義の克服 足元から」12月3日)。そう、人々の不安を煽る手法のほうが問題なのだ。
SNSで「移民が押し寄せる」などの誤情報が拡散
外国人に関してはこんな記事もあった。「外国人労災死傷者6000人超 24年全国 また最多を更新」(信濃毎日新聞12月1日)。これは氷山の一角であり、労災隠しが疑われ、外国人労働者の“使い捨て“がはびこっているのが現状だという声も載っていた。
さて、外国人問題を語るなら、こっちではないだろうか。まず問われるべきは、彼らを安価な労働力として使い潰してきた側の責任ではないのか。
自治体にクレームというキーワードでは「ホームタウン」騒動もあった。8月に国際協力機構(JICA)が国内4市をナイジェリアなど4カ国のホームタウンに認定した。ところがナイジェリア政府の「日本が特別なビザ(査証)を創設」との誤った声明をきっかけに、SNSで「移民が押し寄せる」などの誤情報が拡散。4市には不安や抗議の電話とメールが殺到し、ホームタウン事業は撤回された。しかしこの件は「誤情報には気をつけましょう」という問題だけだろうか? 次の社説はその根っこを指摘している。
《先の参院選では「日本人ファースト」を掲げた参政党をはじめ、排外主義につながる主張が注目を集めた。その余勢を駆って、外国に関わる誤情報やデマが、故意に拡散された可能性はないか。漠とした不安を呼び覚まし憎悪をあおるとすれば、悪質である。》(信濃毎日新聞社説「ホームタウン騒動 デマは国際交流の妨害だ」9月21日)
今年の選挙現場で見た印象的なシーン
ここからは私の実体験である。今年の選挙現場で見た印象的なシーンだ。6月の東京都議選から7月の参院選を現場で見たが、排外主義的な「演説」が多いことに驚いたのである。事実と異なるものも多かった。公的な場で政治家や候補者がヘイトのようなものを平気で言うわけだから「そうか、言ってよいのだ」とスイッチを押された人が出てきても不思議ではない。全国知事会へのクレームもホームタウン騒動も参院選後に起きているのは地続きのように思えた。
こうした空気は、特定の政党や人物に限った話ではない。流れに乗ったのか、9月の自民党総裁選での所信発表演説会では高市早苗氏が外国人観光客の一部が「奈良の鹿を足で蹴り上げ、殴って怖がらせる人がいる」と主張して外国人政策の厳格化を訴えた。しかし奈良県庁で奈良公園を所管する部署の担当者は「観光客による殴る蹴るといった暴力行為は日常的に確認されておらず、通報もない」とマスコミ取材に答えている。
さらに高市氏は刑事事件を起こした外国人に関し「警察で通訳の手配が間に合わず、不起訴にせざるを得ないとよく聞く」と発言した。法務・検察幹部は「最後まで通訳が確保できなかったという話は聞いたことがない」と取材に対し語っている。
事実は二の次で、主張が共感されればそれでいいという風潮。個々の発言以上に、こうした言説が歓迎される空気そのものが、いま問われている。来年も加速するだろうが、重要になりそうなのはメディアが淡々と事実を指摘できるかどうか。デマや攻撃にもへこたれず、あきらめずにできるか。来年は「ニュー・オールドメディア」への試練の年になるのでは?
(プチ鹿島)
【プレーバック2025】過去最多9765頭駆除、クマ被害が増えたワケ・・・ハンターらが実情語る
今年ほどクマ被害が顕著になった年はなかった。環境省によると、今年4~10月末の全国のクマの駆除数は、速報値で9765頭。7か月間の集計にもかかわらず、統計を開始した2006年度以降で最多となっている。全国の被害件数209件、被害者数230人、死者数13人も最多。この状況はなぜ引き起こされたのか。実際に活動しているハンターらに実情を聞いた。
今年、クマの恐怖が世に広まったのは、北海道・知床半島の羅臼岳で東京在住の26歳男性が登山道で襲われ、8月15日に遺体が発見されたことだった。羅臼町職員で、30年以上ハンターとして活動する田澤道広さん(66)は「あのクマは、当時付近でよく目撃されていた『人を怖がらない親子連れ』だったんです。亡くなった方はクマよけの鈴を付けていたそうですが…。見通しのいい場所で声をあげ、手を叩くなどするだけでも、クマは逃げるはずなんですけどね」と首をかしげる。
なぜ人間を恐れないクマが出てきたのか。田澤さんは食料事情が大きく関わっていると指摘する。「山で食料バランスが崩れると、飽和状態になって生存競争に敗れたクマが街に出てくる」。弱いクマが食料確保のため、仕方なく人間を襲っている可能性があるのだという。
羅臼町では、実は23年が突出してクマ被害が多かった。今年は23頭を駆除したが、同年は71頭。「当時はハイマツ、サケ・マス、木の実と全てが不作」。今年の駆除数は過去2番目の多さで「サケ・マスは大丈夫なのですが、木の実が極めて不作だった」と説明する。
この「2年前」をポイントと指摘するのが、秋田猟友会事務局の関係者だ。東北地方は環境省発表のクマ駆除数の7割近くを占めるが、県別では秋田の1973頭が最多だった。同関係者は「確かに今年は木の実が大凶作だった」とした上で、「東北地方ではほんの10年前までは、ブナの実の増減は5~7年周期だったのに、近年急に2年周期になったんです」と指摘する。
それまでは凶作4~6年・豊作1年のサイクルが、凶作と豊作が交互に来る形に。豊作年の数が増えれば被害が減るようにも見えるが、「豊作の翌年の凶作時に被害が拡大する」のだという。豊作年に個体数が増加した状態で凶作を迎えるとエサのバランスが崩壊。市街地にクマがあふれ出す。つまり、木の実の豊作サイクルの変化に合わせ、クマ被害が増える周期も激変したということだ。
原因は地球温暖化による気候変動が考えられるが、詳しくは解明されていない。同関係者は「今年凶作なので、来年は豊作。クマ被害は少なくなるでしょうが、再来年の凶作時には再び問題が起こるかも知れませんね」と話した。
【プレーバック2025】クマ被害が増えた原因に人間側の問題も…興味本位で駆除を妨害
今年ほどクマ被害が顕著になった年はなかった。環境省によると、今年4~10月末の全国のクマの駆除数は、速報値で9765頭。7か月間の集計にもかかわらず、統計を開始した2006年度以降で最多となっている。被害の拡大は、人間側の問題も大きいという。
羅臼町職員で、30年以上ハンターとして活動する田澤道広さん(66)は「特に本州では、山と市街地の緩衝地が減ってきている」ことを原因に挙げる。「昔は境界線に人に管理された里山があり、田畑もあった。人の気配があるだけでクマは寄りつかなかった」。少子化や過疎化で里山の管理者や田畑の担い手がいなくなり、宅地開発などで市街地が広がったことで山と里がダイレクトに接続。「加えて、本州の人は無防備だなとも感じる。家庭菜園にクマが出たとか報道されましたが、近くに食料があればクマは取りに来ますよね」と苦言も呈す。
クマが生活圏に出没した場合に市町村判断で銃器を用いて緊急的に捕獲する「緊急銃猟」も話題になった。今年は12月中旬までに全国で50件実施されたが、ここにも課題がある。
秋田猟友会事務局は「撃つ条件が厳しすぎるとかありますが、最も大きな問題はクマじゃなくヒト」と打ち明ける。市街地での緊急銃猟の場合、市民が様子見たさに近づくことが何度もあったという。「ある会員が市街地で発砲しようとしたら、家の2階で窓を開けて様子を撮影している人がいた。法律上、窓が閉まっていないと撃てない。注意しているすきにクマが逃げてしまいました」。被害を減らすためには、人間側の意識の変化も必要となりそうだ。
日本も原潜「持つべき? まだ早い?」 実は“洗浄便座”が重要なカギかも? 「ミクロな視点」で見る原潜保有論
昨今、日本国内でにわかに盛り上がりを見せている原潜保有論。これについて、とかく戦略面を含めた大きな視点からの議論が多いなか、見過ごされがちな論点が「人」です。そこで、原潜保有論を「温水洗浄便座」というミクロな視点から論じてみます。
意外と馬鹿にならない潜水艦の「温水洗浄便座」
日本を訪れる外国人観光客が驚くものの一つに、温水洗浄便座があります。「魔法みたいだ」「未来的で快適だ」という声が聞かれる一方で、「ボタンが多すぎて怖い」など、SNSでも度々話題になります。日本では温水洗浄便座は世界でも突出した普及率を誇り、生活インフラの一部となっています。
この「日本のトイレ文化」は海上自衛隊の潜水艦でも例外ではありません。潜水艦は構造上、使用されるトイレ機器は特殊仕様ですが、そうりゅう型潜水艦「とうりゅう」のトイレにもしっかりと洗浄便座が取り付けられています。新造艦だけでなく、既存艦にも改修で配備が進んでいるそうです。潜水艦にまで洗浄便座を標準化している海軍種組織は、世界広しといえどおそらく日本の海上自衛隊だけでしょう。
ただし、この優れた「快適装備品」にも弱点があります。温水モードが使えないのです。潜水艦内は寒いわけではありませんが、やはり温水で洗浄できるほうが気持ち良いのは言うまでもありません。では、なぜ温水が使えないのでしょう。理由は単純で、艦内の電力容量に制約があるからです。
温水洗浄便座は意外と大きな電力を消費します。暖房便座、温水生成、乾燥機能などを併用すると、瞬間的に最大1200~1400Wを消費するとされ、一般家庭では年間電気使用量の2~5%を占めるともいわれています。電力を自艦内で賄わなければならない潜水艦にとっては、バカにできない負荷です。
ディーゼル機関で発電し、バッテリーに蓄電して電動機で動くディーゼル・エレクトリック方式のいわゆる通常型潜水艦では、バッテリー残量に注意を払わなければなりません。潜水艦艦長は行動中、浮上またはシュノーケルでいつ発電できるかを常に考えているそうで、例えるならば現代人がスマホのバッテリー残量で行動が影響されるのに近いといえます。
最新の「とうりゅう」などはリチウムイオンバッテリーを採用し、従来よりも大幅に潜航持続時間が延び、各種電子機器も刷新されました。しかし、デジタル装備が増えれば電力消費も増えます。艦内の電力配分は厳密に管理され、乗員の快適性よりも任務上の機能が優先されても致し方ありません。
そのため、洗浄便座の温水モードは封印されているというわけです。些細な話に聞こえるかもしれませんが、「通常型潜水艦の限界は『電力』に象徴される」というのがポイントです。
この電力制約がほぼ解消されるのが、原子力潜水艦(原潜)です。原子炉による強大な発電能力は、単純に航続距離や水中速力を伸ばすだけでなく、艦内の電力設計そのものを劇的に変えます。生活区画の電力にも余裕が生まれ、洗浄便座の温水モードも実質使い放題です。これにより、乗員の艦内生活は大きく変わることが予想されます。日本が原潜を持つべきかどうかという議論は主に戦略面、外交面で語られがちですが、実は「ミクロ視点」でも違いがはっきりしているのです。
肝心なのはやはり「人」 原潜議論で見過ごしてはならない論点とは
ミクロな乗員視点で原潜のメリットを挙げると、行動時間と範囲が飛躍的に広がることで任務への意識が高まること、艦内生活環境の改善、原潜を動かすという技術者としての自己充実感、さらにはキャリアや待遇面での実利などがあるでしょう。
一方、デメリットも無視できません。原潜自体は無補給連続潜航が可能ですが、乗員のストレス耐性には限界があり、世界の原潜保有国では、連続潜航期間は約2か月が一つの目安とされています。艦が大型化し乗員数が増えれば、少数精鋭ゆえの強いチームワークが希薄になる懸念もあります。教育と訓練の質・量は格段に増加し、原子炉を扱う精神的負担も重いものとなります。
日本の原潜保有論では、建造費や維持費が莫大であることや、国内の根強い核アレルギーの存在がしばしば議論を止めてしまいます。しかしミクロ視点で見れば、本質はもっと足下にあります。「その艦を動かす人をどう確保し、どう守るか」、ここを抜きにした議論は成立しません。
現在でも、自衛隊は深刻な人手不足に悩まされています。潜水艦乗員になるには適正もあり、志願者が単純に増えればよいというわけでもありません。まして福島第一原発事故以来、日本では人材の原子力離れも指摘されている状態です。原潜の運用には、原子力と潜水艦双方の高度な専門性を有する人材が不可欠であり、その育成には長い時間がかかります。
日本が原潜を保有する方向に動けば、海洋国家として戦略的選択肢が広がることは間違いありません。しかし、温水モードの快適さが手に入る一方で、日本全体が本当に「気持ちよく」なるかは別問題です。潜水艦の洗浄便座という極めてミクロな話ではありますが、原潜という巨大な戦略アセットを動かすのは、乗員の日常の積み重ねにほかなりません。
厳しい安全保障環境のなか、原潜保有の議論自体は必要でしょう。しかし、温水モードのスイッチを押すよりもはるかに重い「原潜保有」という選択肢を、日本が押すべき時期はまだ来ていないのではないでしょうか。(月刊PANZER編集部)
「3階から黒煙が」動物病院兼住宅で火事 男女3人が救助も死亡確認 高齢の院長ら3人が居住 神奈川・大和市
「3階から黒煙」動物病院兼住宅から出火
きょう未明、神奈川県・大和市の動物病院と住宅を兼ねた建物で火事があり、3人が死亡しました。
午前4時ごろ、大和市西鶴間にある動物病院と住宅を兼ねた3階建ての建物で「3階から黒煙があがっている」と通行人の男性から119番通報がありました。
ポンプ車など14台が出て消火にあたり、およそ2時間後に火は消し止められました。
男女3人救助も・・・いずれも死亡確認
警察などによりますと、現場の建物から男女3人が救助されましたが、男性1人の死亡が現場で確認されました。
また、このほかに男女2人が意識不明の重体で病院に搬送されましたが、その後、死亡しました。
高齢の動物病院の院長ら3人が居住 身元の確認急ぐ
近所に住む男性 「サイレン鳴りっぱなしって形でしたね。亡くなった方もいらっしゃるし、近隣のことなので結構ショックが大きいですね」
建物にはいずれも高齢の動物病院の院長とその弟、弟の妻の3人が住んでいたということで、警察は3人の身元の確認を急ぐとともに出火原因などを調べています。
国連の障害者権利委員なのに…十分な手話通訳つかず自腹
各国の障害者権利条約の実施状況を監視する国連障害者権利委員会の委員で聴覚障害者の田門浩さん(58)について、活動の際に十分な手話通訳が付かないことから、権利委が国連本部に改善を要請する事態になっている。外務省も国連に対応を求めており、「ゆゆしき問題だ」(担当者)としている。
弁護士である田門さんは18人の委員に過去も含め2人目の日本人として選ばれ、2025年1月から4年間の任期がスタートした。
権利委の会議はスイス・ジュネーブの国連欧州本部で年2回(3、8月)開催される。委員はそれぞれ3週間ほどかけて日本を含む190カ国以上の条約批准国の障害者施策などの取り組み状況を審査する。
1日約6時間の公式会議で各国政府から報告を受けるほか、非公式の会議でも障害者団体や人権団体から現状や意見を聞く。
だが、国連は公式会議にしか手話通訳を用意せず、他の活動や滞在中の生活に伴う手話通訳は自前で手配する必要がある。このため、補助制度はあるものの経費の大部分を自腹で賄っている。
権利委は25年3月、国連の事務局や補助制度を管轄する人権高等弁務官事務所(OHCHR)に対して手話通訳の確保などを求める声明を出した。
それでも改善が見られないため、日本政府による提案の下、12月17日にはグテレス事務総長への要請決議が国連総会で採択された。【加藤昌平】
軍歴照会で父親の戦火をたどる…約8万人がほぼ全滅 “何の意味もなかった戦い” フィリピン・レイテ島で最後の慰霊 友廣南実アナウンサーの大伯父も
フィリピン中部のレイテ島。南北に細長く、中央に山岳地帯を持つこの島は、80年前、多くの日本兵が命を落とした場所でした。
レイテ島では毎年、戦没者の遺族が慰霊の訪問を行なっています。
「父ちゃーん」 橋の上から遠くに向かって泣きながら叫ぶ男性。
(岐阜県に住む遺児・兼村正美さん 84歳) 「僕たちはいま、楽しく幸せに暮らしています。まだ日本は平和で繁栄しています。これも皆さんの犠牲があってのことです」
しかし、遺族の訪問はことしが最後。関係者が高齢化する中、戦争の“記憶”は、風化しつつあります。
“大伯父が戦死”ことし初めて知った友廣アナ
一方で「記録」を元に、知らなかった親族の戦争をたどる若い世代も。
友廣南実アナウンサー24歳。戦後80年のことし、遠い親戚が戦死していたことを、初めて知りました。祖父の兄 静雄さん。
どこでどう亡くなったのか、詳しいことは家族の誰も知らず、調べることに。都道府県が管理する旧日本陸軍の個人情報を、「軍歴照会」という制度で開示請求し、届いたのが9枚の資料。手書きで、どこで何をしていたのかが記されています。
そこには長く戦争に関わった、静雄さんの人生が。
最後を迎えたのは“ブラウエン飛行場”
1937年、日中戦争に従軍。
(友廣) 「11月9日、ツヤ子さんと結婚」
1939年に一旦兵役をとかれ26歳で結婚。子どもも授かりましたが、その誕生を見ることなく、太平洋戦争で再び招集されフィリピンへ。
(友廣) 「死亡時の所属部隊が、歩兵9連隊というところだったみたいです。死亡場所はレイテ島ブラウエン飛行場となっています」
静雄さんは、ブラウエン飛行場という場所で最期を迎えたとありますが…
(友廣) 「レイテ島…このなかのブラウエン飛行場というところ。このバーオーアン(Burauen)、ローマ字が「ブラウエン」とも読めます。8月15日以降がどこにも書いてないですね。軍歴が詳しく書いてあるこの紙も、昭和17年で終わってしまってそれ以降は空欄なんですよ、何していたんだろう静雄さん」
同じ場所で父親を亡くした遺族を訪ねると…
日本遺族会に連絡をとり訪ねたのが、福岡県に住む大江ヒロミさん87歳。大江さんの父親も、ブラウエン飛行場で戦死した一人です。
(大江ヒロミさん) 「レイテ島は幻の島だったのね。私が4~5歳の時に出征し、抱かれた記憶も言葉を交わした記憶もない。顔もおぼろにしか覚えてないから、お父さんは、レイテ島のブラウエン。父親=レイテ島ブラウエン。それしか情報がなかったから」
大江さんが父親の最期を調べていたところ、戦没者の遺族から貴重な資料を託されました。それは、父の名前が載った部隊の業務日誌。 (友廣) 「中隊長と書いてあります」 (大江さん) 「飛行場を作っていて完成して、8月に遊軍機がたくさん来て万歳した。その飛行場は一度も使われることなく、アメリカに占領されてしまった」
「もしかしたら守れた命だったかもしれない」
(友廣) 「私の大伯父の静雄さんは、歩兵9連隊というところに所属していたんですけれど」
(大江さん) 「12月の戦死なら、レイテ島の脊梁山脈が連なっている。この山ににいた人たちが、奪回作戦でブラウエンに行って、12月に亡くなった」
太平洋戦争の序盤、日本はフィリピンを占領支配していましたが、その後アメリカ軍の猛攻を受け戦況は悪化。
ブラウエン飛行場など、日本軍が作った3つの航空拠点を奪われ、その奪回作戦が1944年12月に行われたのです。
しかしアメリカは物量で圧倒。多くの日本兵が山岳地帯に追い込まれますが、「生きて虜囚の辱めを受けず」という、いわゆる「戦陣訓」が掟だった当時の日本兵は、降伏することもせず戦い続け、約8万人がほぼ全滅したのです。
(大江さん) 「奪回作戦は何の意味もなかったと書いてあるでしょう」
(友廣) 「私の大伯父の静雄さんはここで命を落としたけれど、もしかしたら“守れた命”だったのかもしれない」
20年ぶりに父が亡くなったレイテ島を訪問
12月13日、大江さんはレイテ島に。毎年遺族会が行なっている、慰霊訪問に参加していました。現地訪問は20年ぶりですが、高齢になる中、今回は娘の満里さん(57)と一緒に参加。戦争の事実を引き継いでいくためです。
(大江さん) 「やっと父親に辿り着けた。若い人にも悲惨なことがあったと繋いでほしいと思います」
(娘 満里さん) 「海や山を見ても、人がたくさん死んだんだと思うと、今の穏やかさも違うものに感じる」
遺族の高齢化も進み、ことしで最後の慰霊に
戦後80年が経ち遺族の高齢化が進む中、現地訪問はことしで最後となりました。飛行場跡の慰霊碑の前で、追悼文を読み上げる大江さん。
「304名の中隊の名簿を携えて、最後の慰霊に参りました。想像を絶するご苦労の末、散華された多くの方々。それぞれの家で、大事な方であったに違いありません」
大勢が戦死した飛行場の跡地は、小学校や田んぼに変わっています。
(大江さん) 「もう来られないからね。一緒に連れて帰る。父のことばかり考えていたら、レイテ島の人たちが一番迷惑よね。アメリカと日本がやってきてバンバン戦って…。そういうことにも、思いを致さないといけませんね」
日本陸軍の慰霊碑をフィリピン人が建立
島の東海岸に、日本ではアメリカの占領統治の責任者として知られる、ダグラス・マッカーサーの銅像が立っています。フィリピンでは最高司令官として、日本の支配から島を解放した英雄の扱いです。
アメリカ軍の記録では、レイテ島攻略は、飛行場の占領で東アジアの制空権を抑えて、日本への石油の供給を断つための計画で、狙い通りこの戦い以降日本の戦況は急速に悪化していきました。
(資料館ガイド) 「この写真は陸軍大尉の山添勇夫さんです。山添大尉はゲリラ戦で亡くなりましたが、原住民に友好的だったので、戦死後にフィリピン人が記念碑を建てました」
街のあちこちにある慰霊碑
現地では、学生たちがレイテ島の戦いを伝え、日本人が建てた慰霊碑もあります。そこには友廣アナウンサーの大伯父、静雄さんが所属していた、歩兵第9連隊の名が残されていました。
街のあちこちに、慰霊碑が。
(住民) Q.あなたがこの慰霊碑を管理している? 「はい、これは来場者名簿です。ここに来る日本人は優しくて会話も楽しいです」 Q.第2次世界大戦を知っていますか? 「知りません。ごめんなさい」
戦争は“自分事” 戦火の記録をたどってみて…
太平洋戦争の戦跡が、今は重要な観光資源にもなっているレイテ島。島そのものが、あの戦争の記憶と記録です。
現地には仕事で行けなかった友廣アナ。映像を見て…
(友廣) 「自分の子どもの顔を見ずに亡くなった、その資料を見ただけで私は胸がぐっと痛くなったんですけれど、でも、レイテ島に向かった方々の話を聞いていると、『お父さんの顔なんて見たことがない』という人がたくさんいて。戦争はずっと遠い昔の話と思っていたけど、そんなことは全然ない。“自分の家族が戦死した”ということで、どんどん調べて何よりも一番感じたのは、戦争は“自分事”なのだと捉えられるようになった」
これからの時代を「戦前」にしないため、どう戦争の悲惨さを共有していくのか、戦後80年を迎えた日本の課題です。