30日午前10時50分頃、仙台市青葉区作並の温泉旅館「大江戸温泉物語Premium(プレミアム) 仙台作並」で「クマがごみをあさっている」と従業員から110番があった。クマは建物地下のごみ置き場に居座り、仙台市は、現場が住宅街に近いことなどから緊急銃猟の実施を判断。約5時間後に駆除した。旅館は営業中だったが、客や従業員にけがはなかった。
仙台北署や市によると、駆除されたのは体長約65センチの雄の子グマ1頭。クマは旅館の建物わきのスロープなどからごみ置き場に入った可能性がある。
同署は、宿泊客らに露天風呂の利用や外出を控えるように伝えた。午後3時54分、ハンターが散弾銃で1発発砲し、駆除した。
仙台市内での緊急銃猟は10月に続き2例目。
投稿者「F.Krueger」のアーカイブ
衆院の女性トイレ増設、超党派の女性議員有志が求める…男性用便器67個に対し女性用22個
超党派の女性衆院議員の有志が、衆院内の女性用トイレの増設を求めている。昨秋の衆院選で当選した女性は過去最多の73人となった一方、女性用トイレは男性用に比べると少なく、待ち時間が長くなることで、議員活動に影響が出かねないためだ。
国会議事堂が完成した1936年には女性に参政権がなかった。女性の政界進出にあわせ、女性用トイレの設置が進み、衆院本館全体では、現在男性用12か所、女性用9か所だ。ただ、便器数で見ると、女性用は22個で、男性用の67個より少ない。本会議場近くの女性用トイレは1か所で、便器は2個しかない。
女性議員12人が今月、浜田靖一・衆院議院運営委員長に提出した要望書では、「混雑や待機時間の発生が日常的」「議事進行や職務遂行にも影響を及ぼしかねない」などと指摘。「来年度のできるだけ早い時期」に本会議場付近などに増設するよう求めた。
高市首相を含む女性議員の約8割にあたる58人が賛意を示しており、呼びかけ人の小宮山泰子衆院議員(立憲民主党)は「トイレを諦めたり我慢したりすることもある」と記者団に訴えた。浜田氏は「前向きに議論する」と応じたという。
なぜ2025年はクマ被害相次いだ?猟師が感じる“違和感” 冬眠に入るクマは歩いた痕跡を消す… “唯一の天敵”猟師から身を守るため【大石が聞く】
クマが人間の生活圏まで相次いで出没した理由は何なのか?その答えを求めて、岐阜県高山市に向かった。ただ、それは国や専門家らとは真逆の答えだった。
高山と言えば、飛騨の小京都と呼ばれ、外国人観光客が押し寄せる人気観光地だが、今年はクマも多数姿を見せた地域だ。
冬眠に入るクマは歩いた痕跡を消す
その高山市内で親子で猟師を生業としている脇谷雅彦さん(64)と息子の将斗さん(39)を取材した。父はこの道46年、若手の教習射撃指導員をしている大ベテラン。
息子は、父の猟をする背中を追いかけてきた若手猟師で、約10年のキャリアを積んでいた。2人とも地元の猟友会のメンバーであり、市街地でも引き金をひく可能性もあるため、経験と実績、そして何より的中率の高いウデが必要な緊急銃猟の中心的な猟師だ。
2人と共に真っ白な山に向かった。麓の積雪は20センチ程度だったが、山はその2倍近い積雪となっていて、太陽に照らされキラキラ輝いていた。父はライフルを、息子は散弾銃を背負って、標高1000メートル以上の山に入ると、ニホンカモシカが木々の間から顔を出していた。小動物の足跡もいくつかあったが、クマの足跡は見当たらなかった。
新たに雪が積もったからとも考えられるが、そもそも冬眠に入るクマは歩いた痕跡を消すという。理由は猟師から仕留められないためだ。野生の世界では無敵のクマの唯一の天敵は、クマの領域に入ってくる猟師なのだ。
もともと警戒心の強いクマを、より慎重にさせたのは猟師の存在かもしれない。足跡こそなかったものの、実は、まだ冬眠していないクマもいると聞き、リスクを考えて下山した。
罠のドラム缶を破って逃げた強者も
クマの罠も見せてもらった。ドラム缶を利用したトンネル型の仕掛け罠で、入り口付近には好物のハチミツを置き、さらに行き止まりのトンネルの奥にもハチミツを置いて誘導する作戦だ。
奥にあるハチミツ付近には、踏み台の様な板があり、それを踏むと後方の鉄板が落ちて、クマが閉じ込められるという。ただ、爪が鋭く、牙も鋭利で噛む力も強いため、そのドラム缶を内側から破って逃げた強者もいたという。
その罠を見せてもらったが、鉄製のドラム缶が1メートル近く裂けている様を見て、クマの破壊力を実感せずにはいられなかった。その裂けた穴の周辺には真っ黒なクマの体毛が付着していて、猟師から逃げようとする必死さも伝わってきた。果樹園などからの要請を受けて罠を仕掛けるというが、今年は例年の倍近い5頭が罠にかかったという。
「クマは増えていない」
しかし、脇谷親子は、山や罠でクマを仕留めたりする中で、ある違和感を覚えていた。実は、自分たちが管理している山の中ではクマは増えていないというのだ。
一方で専門家らの一般的な見解はこうだ。去年はドングリなどが豊作でクマも出産ラッシュとなり、頭数が増えたが、今年は凶作だったため、エサが足りず、人里まで降りてきたのでないか。しかし、クマ猟師として連日山に入る脇谷親子は「クマの絶対数は変わっていないのではないか」と推測している。
ただ、エサがないため人里へやってきていて、そこで人目に触れるため、クマが増加していると錯覚しているのではないかというのだ。去年産まれたクマが多いのなら、山でも罠でも相対的に若いクマが捕獲されるケースが多いはずだが、仕留めるクマはほとんどが5歳以上だからという。もちろん、東北を中心に全国的に増加傾向にあるクマだが、猟師が定期的に山に入る地域によっては、事情が異なるのかもしれない。
人を襲う被害が出ているため、駆除は必要かもしれないが、行き過ぎた駆除はクマの過度な減少を招くのではないかと、猟師の脇谷親子は不安を口にしていた。
皮を剥がされたクマ
山の麓にあるクマの解体工房にも潜入した。扉を開けると、皮を剥がされたクマが吊るされていた。内臓も取られ、血抜きも済ませ、解体を待つばかりのクマで、体調1メートル、体重は約100キロ。全身の9割は淡いピンク色に染まっていたが、それが脂肪で、冬眠を前にエサを食べ脂が乗った状態になっていた。
この脂肪があるから、これをエネルギーに変えながら、長い冬眠にも耐えられるというのだ。ただ、この脂の乗り具合を見て、山の状況が見えるのだと教えてもらった。
この脂の厚みが10センチほどあれば、エサを充分食べたクマ。僅か数センチしかなければ、あまりエサを食べられなかったクマという証なのだ。
私が目の当たりにしたクマは、全体的に脂は薄く、エサは充分には食べられなかったと思われる。だから、エサを求めて人里まで降りてきたのだが、そこで捕獲されてしまったのだろう。解体したからこそ分かる、今年の山とクマのエサ事情ということか。
クマしゃぶしゃぶ どんな味?
脇谷さんが手掛けるジビエ料理店も訪れ、クマしゃぶしゃぶ、串焼き、ソーセージを頂いた。血抜きが巧みだからか、臭みはなく、弾力や甘みもあり、赤身の牛肉に似ていた。
クマしゃぶしゃぶを見て驚いた。脂が10センチほどあり、赤身の部分は僅かだったからだ。これはエサもよく食べられ、あとは冬眠に入るのを待つばかりのクマだったのだろう。融点も低いため、口溶けもよく、甘みと旨味が凝縮されていた。
あの野性味溢れる姿とは想像がつかないほど、繊細で上品な味だった。その味を堪能しつつ、あることが脳裏に浮かんだ。「本当は山で暮らしたかっただろう」と。
クマが冬眠から目覚める前に…
自衛隊や警察も出動し、自治体独自の判断で緊急銃猟も行われた2025年。しかし、それはあくまでも対症療法であり、駆除するだけでクマ対策の根本的な解決には至っていない。
以前のように、クマと人間が共存する暮らしを復活させるにはどうすればいいのか?クマが眠りから覚める前に考えたいものだ。これを解決しない限り、来年2026年もクマに振り回される1年になるのは間違いないだろう。
【戦後80年所感】自民党内から反対論も…石破前首相がこだわった“理由” 「“今なら絶対起きない”と言えるのか」
戦後80年の節目にあたった2025年、「80年所感」を発表した石破茂・前首相。自民党内からも様々な反対論があがる中、所感発表にこだわった背景には、どんな思いがあったのか。日本テレビのインタビューに応じた。(聞き手 日本テレビ・伊佐治健)
政治の師であった田中角栄先生が、「あの戦争に行ったやつが、この国の中心にいる間は日本は大丈夫。そういう人たちがこの国の中心からいなくなったときが怖い。よく勉強しなければならない」とおっしゃっておられた。
15歳で昭和20年に従軍された方は、今、95歳。まだご健勝の方も大勢おられると思うが、あと10年経つと本当にいなくなる。80年に一つの考え方を内閣総理大臣として出すのは大事なことだということがありました。
戦後50年の村山談話、60年の小泉談話、70年の安倍談話。それぞれよく練られたものである。しかし、それは主にアジア諸国に対する謝罪というものがメインであった。
なぜあの戦争に突入したのか。安倍談話の中で、戦前の政治システムはそれを防ぐことができなかったとさらっと書いてある。なぜできなかったのか。今なら絶対に起こらないと言えるのか。こういう思いがあって、私としては、何が何でも出したいという思いがあった。
――日本は、戦争遂行について困難だとわかっていたのに、突き進んでいってしまった。何度も止めるチャンスがあったのに、戦争をやってしまった。
大日本帝国憲法では、主権者は天皇だった。しかし、天皇は無答責、責任を負わない。すると、誰が責任を負うのということがよくわからないままに、ずっと日本は進んでいった。日清戦争に勝ち、日露戦争に勝ち、第1次世界大戦で戦勝国に連なっていったが、日本国や、大日本帝国憲法の曖昧だった点を補ってきたのは元老という存在だった。それが1人、2人といなくなると、誰が責任取るのかわからないという体制のままで、政府は動いていた。
そうすると、大きな声とか勇ましい議論とかが幅を利かせるようになります。総力戦研究所が、「GDPが10倍も違うアメリカと戦争して勝てるはずはない」と言っていたわけだが、それでもなぜ突き進んだのか。
東条英機元首相は、「人間ときには清水の舞台から飛び降りることも必要」あるいは、「偶然の要素というものも考えなければいかん」と言った。そういう精神論、大きな声に左右されるという面があったと思う。
そして、議会はどうだったか。戦争中は特別会計だったので、ほとんど予算審議がなされていない。戦争の目的、あるいは、戦争の終わらせ方について問うた斎藤隆夫は議会を除名になった。議会は何の役割を果たしたか。メディアも、新聞やラジオは目一杯、戦争を煽っていた。
ですから、政府も議会もメディアも歯止めたりえなかった。翻って現在はどうなのか。政府はどうなんだ、議会はどうなんだ、メディアはどうなんだ、と。「絶対大丈夫」だというふうに言い切れるのか。(80年所感では)その問いかけを国内に向けてしたかったということです。
――高市首相は責任ある積極財政を打ち出しながら、「財政規律の目配りしながら」と、自身に釘を刺しています。かつて“戦争国債”を乱発し、軍事費に投入していった日本の反省みたいなものが、この財政規律、プライマリーバランスというものの背景にあると思う。財政構造の在り方に懸念は覚えられますか?
財政は常に健全であるべきだと、私は思っています。安全保障は常に「万が一の事態」を想定しながら構築されるべきもので、本質はそういうものだと思っています。たとえ確率は低くても、仮に起こったときに甚大な被害が生ずる。なので、それが起きないように政策立案しなければならない。
ですから、財政を拡大し、そしてまた国債を多く発行し、MMT理論のように「自国通貨を発行していれば大丈夫」なんだと、「海外にもいっぱい資産はあるんだ」というような話は、リスクを過小評価しているんじゃないかなと思えてならない。
国会の重要な機能は、予算を審議すること。今、防衛費が突出していると言われるが、むしろ今は社会保障費の方が大きなウエートを当然占めている。ただ、これだって財源が無尽蔵にあるわけでもない。そうすると議会としては、政府が仮に国家財政というものを毀損するような予算を組んだとするならば止めていく、というのが役割です。だから(高市)現総理が、責任ある積極財政と言っていますが、「責任ある」というのは具体的にどういうことなのか。これから先、議論されることになるんでしょうね。
23年前、初めて防衛庁長官を拝命したとき。シンガポールでの国際会議に行った時、リー・クアンユー・元首相から呼ばれて、かなり長い時間、一対一で話しました。「石破さん、あなたは前の戦争で、日本がシンガポールに対して行ったことを知っていますか」というふうな問いかけを受けました。
シンガポールを「昭南島(しょうなんとう)」と名前を改め、アジア軍政の中心地として位置づけ、そして、昭南神社という神社を建立し、神道の普及に努めた、ということが教科書に書いてあったので、そういうふうに申し上げた。
すると、「あなたは、それしか知らないのですか。それでは、これから先、日本とシンガポールと信頼関係は難しいですよ」という意味のことを言われたのです。
その時からずっと思っていることですが、(戦争責任について)「謝罪する」「しない」は国の方針もあり、その人の考えもあるでしょう。しかし、日本がシンガポールで、インドネシアやフィリピンで、マレーシアでどのような軍政を敷いたのか。台湾が日本の領土であったときに、どのような統治が行われたのか。戦争末期、台北でも台南でも、米軍による大爆撃を受けて、大勢の人が死んでいる。そのことについてどれだけ認識があるのか。
何が行われたか、ということを知らないで、これから先も信頼関係が維持されるとは、私は思わないですね。
――戦前の日本のように、日本が自ら他国を侵略する可能性は、極めて低いと思います。一方で、戦争に巻き込まれていくリスク。特に台湾情勢や尖閣諸島、日本の一番の近海において、戦争に巻き込まれるリスクをどう考えますか。
人類の歴史はずっと戦争の歴史だった。戦争は、別に人の心が邪悪だから起こるというよりも、領土であり、宗教であり、政治体制の違いであり、あるいは経済格差であり、いろんな戦争のシーズ(種)が世の中には山ほどある。また、今の時代はテロ組織など、国家ではない主体が、かつての国家のような破壊活動が行うことができる。非常に難しい時代に入っていると思っています。
そういう複雑な政治状況、国際環境にあって「こういうわけで戦争になった」と、きちん理由を説明できる戦争の方が少ないんだと思います。やはり偶発的なことから、大きな戦争に拡大していく。第一次世界大戦なんかその典型ですが。
そうすると、偶発的なことから大きな戦争に発展する、あるいは偶発的なことを利用して、大きな戦争に導こうとすることも常にある。それを回避するのは、やはりトップ同士の意思の疎通ということだと思っています。私も首相は1年だけでしたが、G7については、頻繁に連絡を取り合っていた。特にアメリカとはそうだ。じゃあそれが例えば日中において、そういう関係が構築されているかというのは、常に検証が必要なことだと思いますね。
――国のリーダーを務められて、日本が二度と戦争しない、させないための、思いとして、1番大事なことは何でしょうか。
自分たちに何ができて、何ができないのか。同盟に何ができて、何ができないのか。
日本を取り巻く、ロシアや中国だったり、北朝鮮であったり。考え方を一致させることは難しい、国益が異なるそういう国家との間で、戦争を起こさないということについての認識が共有できるかということじゃないでしょうか。
やはりお互い人間ですから、好き嫌いもある。しかしながら、常に国益を背負っているトップ同志が国益というものを実現する、それは戦争を回避するということです。その一点においていかに意思疎通が図られるか、ということが極めて大事だと思いますね。
「言葉かみしめ、遺志継ぐ」=共産・志位議長が談話―不破さん死去
共産党の不破哲三前議長の死去を受け、同党の志位和夫議長は30日、「理論的、政治的に大きな仕事をした大先輩を失ったことは、深い悲しみだ」とする談話を発表した。
談話では、不破氏が亡くなる数日前に「もう体力はないが、頭を使って人類が幸福になるために働きたい」と語っていたとするエピソードを紹介。「不破さんらしい言葉をかみしめ、遺志を継ぎ奮闘する決意だ」と結んだ。
党は来年1月5日午後2時から、東京都渋谷区の党本部で弔問、記帳を受け付ける。 [時事通信社]
奄美大島近海でM5.6の地震 鹿児島県で震度4 津波の心配なし
12月30日 17時12分頃、鹿児島県で最大震度4を観測する地震がありました。
震源地:奄美大島近海
マグニチュード:5.6
震源の深さ:ごく浅い
この地震による津波の心配はありません。
震度3以上を観測した地点
震度4:
【鹿児島県】
徳之島町亀津 天城町平土野 伊仙町伊仙
震度3:
【鹿児島県】
天城町当部 和泊町国頭 和泊町和泊 知名町瀬利覚 知名町知名 瀬戸内町請島 瀬戸内町与路島 瀬戸内町加計呂麻島
ヘルメットは未着用か 運送会社で作業中にスロープからフォークリフトごと落下 57歳の男性が死亡
30日午前、福岡県須恵町の運送会社でフォークリフトで荷物の運搬をしていた57歳の男性がスロープから落下し、死亡しました。
男性は当時、ヘルメットを着用していなかったということです。
30日午前10時すぎ、福岡県須恵町にある運送会社で作業員の女性から「同僚男性が作業中に落下した」などと消防に通報がありました。
消防が駆けつけたところ、この運送会社の従業員で嘉麻市に住む男性(57)が意識のない状態で倒れていて、病院に運ばれましたが約2時間半後に死亡が確認されました。
警察によりますと、男性は当時、フォークリフトで荷物を運ぶ作業をしていました。
防犯カメラにはスロープの頂上付近で一度停止したあと後退を始め、フォークリフトごと落下する様子が映っていたということです。
男性は当時、ヘルメットを着用していませんでした。
警察が実況見分をするなどして事故の原因を詳しく調べています。
“基準あいまい”危険運転致死傷罪に「数値基準」導入へ 遺族からは懸念も
危険・悪質な運転による事故を罰する「危険運転致死傷罪」。厳しい罰則が設けられているが、基準が“あいまい”だと指摘されてきた。あいまいさを解消しようと10か月にわたる議論の末、導き出された「数値基準」。2026年、国会で議論が始まるが、遺族からは懸念の声もあがる。(社会部・司法クラブ 久保杏栞)
「次に掲げる行為を行い、よって、人を負傷させた者は15年以下の拘禁刑に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期(最大20年)拘禁刑に処する」
この一文から始まる「危険運転致死傷罪」。8つの行為を対象としている。
8つのうち最初に掲げられているのが「アルコールまたは薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為」。そして次に、「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」が続く。
しかし、これらはいったいどのような運転を指しているのだろうか。基準があいまいなため、悪質な事故であっても、法定刑の軽い「過失運転致死傷罪」の適用にとどまっているのではないか。こうした指摘が相次いでいた。刑の上限は「危険運転致死傷罪」が20年なのに対し、「過失運転致死傷罪」は7年。大きな差がある。
こうした中、法務大臣は2025年2月、危険運転致死傷罪の見直しに向けて法制審議会に意見を求めた。研究者、法曹三者、そして遺族などから委員12人が集まり、議論が始まった。
大臣が具体的に意見を求めたのは、アルコールや速度に“数値基準”を作るかどうか。作るとしたら、どこで線引きをするかが最大の論点となった。
“数値基準”を設けると、その基準を超えさえすれば、一律で罰することが可能となる。「危険運転致死傷罪」は、刑の上限が20年とかなり重い。これは、人を傷つけ死亡させた場合に適用される「傷害致死」と同じだ。どの基準を超えれば、「傷害致死」と同じ悪質性があると言えるのか――重ねられた会議の結果、2025年12月、1つの数値基準がまとめられた。
飲酒運転の数値基準を決める議論の基盤となったのは、WHO(世界保健機関)の指標だ。体内のアルコール濃度によって体に出る変化をまとめたもので、どのような人も同じ変化が出ると言われている。
議論では、「注意力・警戒心の低下」「反応の遅延」などがみられる「呼気1リットルにつき0.5ミリグラム以上」を支持する意見が多くあがった。こうした変化があれば「正常な運転に必要と想定される能力が阻害されていると言える」と評価された。一般的に、ビールの大瓶を2~3本程度飲んだ場合とされる。
一方で、より高い数値である「0.55」案を主張するメンバーもいた。また、指標では「0.3~0.5」で注意力の低下などがみられるとしているのだから、より厳しい「0.3」を適用すべきという意見や、気が大きくなるなどの「自己抑制の低下」がみられる「0.25」も「異常な運転への滑走を始めている状態」だとする意見があがった。ただ、一律に危険運転致死傷罪で罰するには低すぎるという声もあった。
速度の議論では、ブレーキを使ったり、ハンドルを切っても障害物が回避できなくなる「回避限界速度」のデータが参考にされた。たとえば、高速道路など最高速度が80キロの道路では「134キロ」、60キロの一般道では「100キロ」が回避限界速度になるという。
会議では、このデータをもとに議論が行われたが、道路ごとの特徴を無視して数値基準を設けることへの疑問や、追い越しなどで一時的に基準を上回る場合もあるのではといった懸念も示された。
最終的に、数値基準は、飲酒運転は「0.5」案を採用。速度は、高速道路など最高速度が80キロの場所では60キロ超過の「140キロ」、一般道など60キロの場所では50キロ超過の「110キロ」を超えるスピードで事故を起こした場合に適用される案となった。
ただ、「正常な運転が困難な状態」「重大な交通の危険を回避することが著しく困難な高速度」といった現行法の“あいまい”な部分は残り、数値基準を満たさない場合でも、条件を満たせば、危険運転致死傷罪が適用されるとした。
また、わざとタイヤを浮かせるウイリー走行やタイヤを滑らせるドリフト走行の禁止も盛り込まれた。
採決では、議決権を持つ委員12人のうち、賛成11人、反対は1人。採決後には、この数値基準によって明確に処罰ができるようになると結果を評価する意見が出た一方で、やはり数値基準が高すぎるとの懸念も出ていたという。
1999年に東名高速道路で泥酔したドライバーが運転する大型トラックに追突され、当時3歳だった奏子ちゃんと1歳だった周子ちゃんの2人を亡くした井上保孝さんと郁美さんは、飲酒運転の基準とて示された「0.5」の数字を「高すぎる」と批判する。
「ここまでの数値が出なくても、ひどい運転をして悲惨な事故を起こす人はいる。この数値基準では、ふるい落とされる人が増えて、泣かされる遺族が増えるのでは」。アルコール濃度は、検査の仕方や事故からの経過時間などの事情に大きく左右されるので「信頼性の高い証拠ではない」と指摘する。今後、「0.5」という数字で法改正の議論が進むのであれば、高精度の検知方法を確立するよう訴えた。
さらに、数値基準を下回った場合も危険運転致死傷罪に問えるよう求めた。「下回った場合に、まともな捜査をしてもらえなくなるのではと心配。数値だけにこだわらず、さまざまな証拠を揃えて、危険運転致死傷罪の適用数を増やしてほしい」
法制審議会でとりまとめられた数値基準をもとに、2026年、法改正に向けた本格的な議論が国会で始まる。
数値基準が盛り込まれる新たな「危険運転致死傷罪」を適切に運用していくためにも、事故捜査のあり方について、改めて議論が行われることを期待したい。危険で悪質な運転による事故が「危険運転致死傷罪」によって適切に処罰されることにより、結果的に悲惨な事故がなくなることを願う。
【速報】男の子の死因は窒息死 スキー場のエスカレーターに腕挟まれ死亡 小樽市・朝里川温泉スキー場
【現場画像】男の子(5)が死亡「スキー場のエスカレーターに子どもが挟まれた」北海道小樽市
北海道小樽市の朝里川温泉スキー場で2025年12月28日、5歳の男の子がエスカレーターに右腕を挟まれ死亡した事故で、男の子の死因が窒息死であることが分かりました。
死亡したのは、札幌市東区の後藤飛向くん(5)です。
12月28日午前10時前、小樽市朝里川温泉1丁目の朝里川温泉スキー場で「スキー場のエスカレーターに子どもが挟まれた」と母親から消防に通報がありました。
現場は屋外にある駐車場とセンターハウスをつなぐベルトコンベヤー式のエスカレーターで、飛向くんは右腕を挟まれたということです。
飛向くんは約40分後に救助され、意識不明の重体で病院に搬送されましたが、その後死亡し、飛向くんの死因は窒息死と判明しました。
警察によりますと、右腕を巻き込まれた際に衣服も巻き込まれ、首を圧迫したことにより窒息したとみられるということです。
また、肝臓にも損傷があり、強く打ったとみられています。
警察によりますと、飛向くんは家族5人でスキー場を訪れていて、当時母親も一緒にエスカレーターに乗っていたということです。
29日、取材に応じたスキー場は、エスカレーターはベルトコンベヤー式で、すき間に異物が挟まったときは非常停止する仕組みでしたが、当時は作動しなかったと説明しました。朝の点検では異常はなかったとしています。
また、このエスカレーターでは数年前にも、転倒による骨折事故も発生していたということですが、監視員は配置されていませんでした。
警察は、業務上過失致死の疑いも視野に、当時の状況を詳しく調べています。
前共産党議長の不破哲三さん死去 95歳、理論的支柱で綱領改定
共産党の書記局長や委員長を歴任し、党の理論的支柱とされた前議長の不破哲三(ふわ・てつぞう、本名上田建二郎=うえだ・けんじろう)さんが30日午後1時20分、急性心不全のため東京都の病院で死去した。95歳。東京都出身。葬儀は家族葬で行う。喪主は長女上田千加子(うえだ・ちかこ)さん。党としての葬儀を別途、執り行う。
1970年、40歳で書記局長に抜てきされた。故宮本顕治氏が議長となった82年の党大会で後任の委員長に就任。90年からは志位和夫書記局長(当時)とのコンビで党運営に当たった。2000年から議長。03年の衆院解散を機に国会活動から身を引き、党の指導に専念した。04年には約43年ぶりの綱領改定を主導し、天皇制や自衛隊の事実上容認などを盛り込んだ。06年1月に議長を退任した後も、党のシンクタンク「社会科学研究所」の所長として理論面で党を支えた。
15年9月の安全保障関連法成立に合わせ、廃止を目指す「国民連合政府」構想をリード。19年参院選の街頭演説では「安倍政権の野望を打ち砕こう」と訴えた。