東京電力福島第1原発事故による全町民の避難が唯一続く中、帰還に向けた「準備宿泊」が始まった福島県双葉町。町民は20日、10年以上泊まることのできなかった自宅で一夜を過ごし、故郷への思いを新たにした。
更地が広がるかつての住宅街に、明かりがともった。元競輪選手の谷津田陽一さん(70)は長塚地区の自宅で「感無量。やっとここまで来た」と言い、妻(54)と喜びをかみしめた。
谷津田さんは16歳でプロデビューし、タイトルを2度取るなど活躍。42歳だった1993年に故郷に戻り、双葉町内の高台に家を建てた。併設の練習場で若手を指導し、10人のプロを輩出した。自然豊かな町を自転車で駆け回り、家では子や孫に囲まれる、幸せな時間を過ごしてきた。それが、原発事故に全て奪われた。
谷津田さんは自宅を離れて娘夫婦らと避難。県内外を10カ所ほど転々とした。町への帰還は諦め、2013年に同県相馬市に家を建てた。しかし17年、双葉町の自宅一帯が「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」に認定される。避難指示解除に向けた除染が進み、谷津田さんも「自分の家に戻りたい」と思うようになった。20年、日中に限って許可証なしでの立ち入りが可能になると、自宅により近い南相馬市の借家に移り、日中は自宅で過ごしながら片付けなど帰還に向けた準備を続けてきた。
長い避難生活で心身の調子は崩れ、通院も続く。それでも、住み慣れた家の居心地は良い。「谷津田道場」と呼ばれた練習場の外壁に押された孫たちのカラフルな手形も、弟子や孫のために作った裏庭のプールも残る。
この日の朝。水道が復旧した瞬間、谷津田さんには笑みがこぼれたが、「うれしさと怒りで複雑な気持ち」と、家屋解体が進む荒廃した故郷への思いものぞかせた。
伊沢史朗町長は「双葉町の復興の第一歩だ」と語り、6月の住民帰還を視野に入れる。避難者は、県内に約4000人、県外の41都道府県に約2700人。このうち、今回の準備宿泊が認められた地域に住民登録しているのは1455世帯3609人で、町は「帰還から5年で人口2000人」という目標も掲げる。
ただ、こうした町の中心部でも、生鮮食品や日用品を買える店や、医療機関は再開していない。復興庁が12年から続ける住民意向調査では、故郷に「戻りたい」と回答する町民は1割ほど。「戻らない」は6割前後で推移し、多くの人が町の未整備や避難先での生活の定着を理由に挙げる。20日までに準備宿泊を申請した人は、11世帯15人にとどまった。
復興拠点外の帰還についても、政府は「20年代を目指す」とするものの具体案は示されておらず、課題も山積している。【尾崎修二、柿沼秀行、高橋隆輔】