太平洋岸襲う巨大津波で復興放棄も 片田東大教授指摘

北海道、東北沖の千島海溝・日本海溝地震の被害想定が昨年末、公表された。津波などによる死者数は両地震で約30万人にのぼる。これで、平成23年東日本大震災、南海トラフ地震も含め日本列島の太平洋岸全域が巨大地震に襲われることになる。こうした状況にどう対応すべきか。今回の想定や、災害対策基本法を改正する審議に参加した片田敏孝・東京大院特任教授に聞いた。
3大巨大津波の衝撃
--千島、日本海溝地震の被害想定は、平成24年の南海トラフ巨大地震の被害想定と同程度の計30万人の死者が示された。一度に数十万の死者がでるというのは実感がわかない。どう受け止めればよいか。
片田 マグニチュード9という国内最大級の23年東日本大震災以降、被害想定は最大規模を示すのが慣例だ。ただ、想定というのは条件を積み重ね、科学的に導いたひとつの可能性にすぎない。さらに条件を積み重ねると死者数はもっと膨らむ。しかし、自然現象で実際に起こりうることを予見することはそもそも不可能だ。だから、北海道、東北の地理的条件のもと起こる地震はそれぐらいの規模になりうることをイメージするぐらいで良い。
--とはいえ、想定にみあった対策は求められる。今回の想定では迅速な避難ができれば津波被害は8割減らせるといっている
片田 避難といっても被災想定地の北海道東部は、釧路湿原など低平地が多い。どこまでも津波が迫ってくる。避難場所を確保することは容易ではない。避難場所があったとしても冬季の気象条件で戸外で行動することは困難をともなう。審議の中で地元の首長から「住民にどう説明するべきか」という戸惑いの声があがったが、彼らに伝えたのは、想定を通じ地域特有の現実をまず住民や行政が理解し共有すること。困難な条件は多いが、できる対策を積み重ねれば、道は開ける。想定に右往左往し時間だけがたつという状況は絶対避けねばならない。
巨大想定克服した町
--南海トラフの想定で34メートルの津波をつきつけられた高知県黒潮町が手本になりそうだ
片田 もともと高齢化、過疎化が進んでいたうえ、厳しい想定がでて、住民の反応はあきらめから避難放棄とでもいえる状況だった。しかし、町職員が総出で住民と対話し想定の理解に努めた。住民は町が地理的、歴史的に津波の被害を受けやすい厳しい環境にあることを受け止めた。そして、まず身近にできることとして、家族単位の避難計画をつくり、それらをもとに各地区ごとに避難マップを作成し、訓練を繰り返してきた。
--行政の対応は
片田 町役場は、町民の避難対策に呼応して、避難が厳しい場所に避難タワーをたて、役場の高台移転、道路整備を実施した。また、学校での防災教育、雇用対策として防災缶詰工場の設置などを進めた。こうした官民あげての取り組みは今も粛々と続き、想定公表以前より町に活気が生まれ、町民の絶望は希望に変わった。
復興放棄の可能性
--南海トラフの被害想定では日本の中枢が被災することから「国難級」という表現がされた。千島、日本海溝ではそういった社会的評価が明確でない。例えば防衛上の問題は明らかのように思えるが
片田 北方領土も被災するので、ロシアとの外交上のアクションにつながる可能性はある。また日本の食糧安全保障の問題もある。今回の被災想定地域は人口密度が低く、犠牲者の占める割合が相当高くなる。そういった状況が起きると、住民の精神的ダメージが大きく復旧復興の意欲をそぎ、復興放棄も起こりうるだろう。こうした被災想定地域は日本の食糧自給において大きな役割を担っている。そこが復興放棄となると食糧の安全保障上問題となる。こういった状況を踏まえ、今後、千島、日本海溝地震の被災想定地域をどう維持するのか、国家レベルの問題として知恵をだすことが求められる。
相応の覚悟必要
--今回の想定で、東日本大震災の被災地をはさみ、日本列島の太平洋岸全域が巨大地震に襲われることが分かった。われわれはどう備えるべきだろうか
片田 日本の防災の方向性として、行政から民間主体へと変わってきている。そのことは昨年5月に改正された災害対策基本法に象徴される。毎年のように起こる近年の気象災害は激甚化し予測が難しくなり、行政が住民に出す避難情報も遅れるようになってきた。こうした状況を受け、避難情報を最終ラインの「避難指示」のみとし、それまでに自主的に避難することを住民に求めた。
--近年は避難が困難な高齢者等が被害にあうケースが多い
片田 だから、避難に手間取る高齢者等には早めの避難を呼びかける。また、支援を要する高齢者等ひとりひとりに行政が「個別避難計画」をつくり安全に避難させる。激甚化する災害による被害の広域化に対しては、自治体の枠を超えた「広域避難体制」の構築を求めた。つまり、避難は住民が自主的に判断する一方で、行政が支援すべき所は支援するという役割を明確にした防災が今後進められていくことになる。
片田敏孝(かただ・としたか) 昭和35年、岐阜県生まれ。日本災害情報学会長。専門は災害社会工学。政府の中央防災会議や全国の自治体の防災会議委員を歴任。東日本大震災の際、岩手県釜石市の小中学生が津波から避難し、防災教育の成果を示した「釜石の奇跡」を導いた功績で、2度の総理大臣表彰などを受賞。令和元年10月、台風19号による記録的な大雨で、利根川上流域で数万人が広域避難した初の事例を指導した。著書に「人に寄り添う防災」(集英社新書)など。(編集委員 北村理)