「なぜそんなことをしたのか」「心からの謝罪を聞きたい」-。犯罪や事故で大切な人を奪われた被害者が、加害者と「対話」を望むケースは多い。昨年12月、両者の仲介や包括的な支援を目的とした市民団体が発足した。団体の共同代表に就任した男性は、ひき逃げ事故で幼いわが子を失い、加害者と対峙(たいじ)し続けた経験を持つ。「傷つけ合うことなく、気持ちを伝える手助けをしたい」と、思いを語った。
青信号ではねられ不起訴
平成9年11月。片山徒有(ただあり)さん(65)は小学2年だった次男の隼(しゅん)君=当時(8)=を、ひき逃げ事故で亡くした。現場は東京都世田谷区の横断歩道。青信号を渡っていたところをダンプカーにはねられた。運転手の男は逃走したが、すぐに逮捕された。
憔悴(しょうすい)していた片山さんはしばらくして、逮捕された男が事故をどう受け止めているのかが気になるようになった。翌10年1月、公判日程を聞こうと東京地裁を訪れると、男はすでに釈放され、不起訴処分になったと告げられた。
東京地検に理由を尋ねたが「説明する義務はない」と、にべもなかった。捜査を担当した警察官からは「運転手には謝罪に行くように伝えた。来ていないのか」と、逆に聞かれた。「事故の真実を知るのは親の責務。このままでは納得できない」。警察から男の勤務先を聞き「直接、話をしたい」と申し込んだ。
翌2月。自宅のインターフォンが鳴り玄関ドアを開けると、若く小柄な男が目の前で土下座していた。隼君をはねた運転手だった。
× × ×
片山さんは、男を自宅に招き入れた。「あなたの言葉で(隼君に)かける言葉はないのか」と切り出すと、男は「大切な命を奪って申し訳ない」などと書かれた自筆の手紙を読み上げ始めた。
片山さんは、こらえ切れず感情をぶつける妻をなだめつつ、生前の隼君の写真を男に見せ「私たちにとって、息子は宝だった。その気持ちが分かりますか」と問いかけた。
「分かります。私にも同い年の息子がいる」
男は声を絞り出した。逮捕後、自身の息子から「お父さんは悪いことをしたの」と聞かれたこと、上京し職を転々とした末、職業運転手になったこと…。神妙な面持ちで話し、「事故の時は業務無線に気を取られていた」とも明かした。
だが、事故の後、なぜ逃げたのかについては、何度尋ねても「記憶がはっきりしない」と繰り返した。
「よく勇気を振り絞って(被害者宅に)来たと思うが、自分が今後、どんな処分を受けるのか、びくびくしている様子だった」
男に会う前、片山さんは「ひき逃げをするような人だから逆につかみかかってくるかもしれない」と、恐怖心を抱いていた。だが実際に相対した男は、息子を奪った「怪物」ではなく「自分の立場を守ろうとする、弱くて小さな普通の人間」(片山さん)だった。
× × ×
捜査結果に納得がいかなかった片山さんと妻は、検察に再捜査を要請。国会などで、捜査が尽くされていない実態や、被害者に情報が十分公開されていない現状を訴えた。共感の輪は広がり、全国から20万以上の署名が集まった。
検察は異例の再捜査を実施。新たな目撃者が現れ、男は業務上過失致死罪で起訴された。公判で男は「人をひいたとは思わなかった」と無罪を主張したが結局、有罪判決が下された。
片山さんらの活動が一因となり、平成11年には刑事処分の結果や公判期日を被害者や遺族に知らせる「被害者通知制度」がスタート。12年には犯罪被害者保護法も成立した。
ただ、公判で証人として法廷に立ち、心労で体重が約20キロ減ったという片山さん。「(刑事責任を問う)裁判で真実が明らかになるとはかぎらない」と話す。
打ちのめされている被害者が、これ以上傷つかない形で「納得」を重ねる方法はないか。そんな思いから、犯罪被害者の支援活動に身を投じた。
気づいたのは、自身と同じように「加害者と話したい」と考える被害者が多いこと。交通事故で孫を亡くした高齢女性から相談を受け、加害者のバス運転手との対面の場を設けたこともあった。
× × ×
一方で、被害者と向き合うことは、加害者にとっても意味のあることだと感じている。片山さんは、刑務所や少年院で講演したり、自身が被害者役となり加害者と話をしたりするプログラムにも取り組んでおり「会話を重ねるうちに、内省を深める様子が見て取れる」という。
今回、片山さんが共同代表に就任した団体は、加害者家族支援や受刑者支援に当たるNPO法人、殺人事件や事故で肉親を奪われた遺族で構成。「被害者・加害者の別なく犯罪に巻き込まれた人を支える」との方針を掲げ、2月にシンポジウムを行い団体名や詳しい活動内容を決める予定だ。
「適切な仲介があれば、(被害者も加害者が)同じ人間だと理解できる。自分の経験を生かし、対話を円滑にする力になりたい」。片山さんはこう話した。(塔野岡剛)