日本に永住帰国した中国残留邦人2世、今も7割は「日本語を十分理解できず」…支援対象外で苦しむ

日本に永住帰国した中国残留邦人の子どもの世代でつくる「九州帰国者2世連合会」(福岡市)は15日、2世の生活実態を探る初の全国調査の結果を発表した。約7割は今も日本語を十分に理解できないと答え、8割強は老後資金が「まったくない」とした。今年は日中国交正常化から50年。国の支援を受けた親に対し、支援を受けられなかった2世の苦しい実情が明らかになった。
連合会によると、残留邦人は国費での帰国のほか、年金の満額支給といった経済支援を受けられる。ただ、帰国時、成人だったり、10代でも家族を持ったりしていた2世は原則として支援の対象外。
連合会は昨年、全国各地の「日中友好協会」などを通じて、所在を確認できた残留邦人2世450人にアンケートを行い、321人が回答。分析を終えた286人分の結果を先行して発表した。
調査結果では、2世の69・4%が30代以上で帰国していた。帰国理由については多くが「帰国した親の世話」「親が同伴帰国を希望した」を挙げた。
連合会などによると、親世代は中高年になって帰国したため、日本語が分からず、地域に溶け込めずに苦労した人が多かった。今回の調査で、2世も帰国後、親と同様に日本になじめない人が多いこともわかり、日本語の理解については今も「あまりできない」「ほとんどできない」が74%に上った。帰国時の年齢が高いほど、理解度は低かった。また、月収が15万円未満の人が63%を占めるなど生活は安定せず、マイホームを持っている人は15%にとどまった。老後のための預貯金などの蓄えが「ない」とした人は86%に上った。
2世の苦しい生活実態について厚生労働省中国残留邦人等支援室は「2世には、戦争によって残留を余儀なくされた1世のような、特別の事情はないと考えられる。1世が呼び寄せたり、自主的に来日した人たちを一律に国が支援するのは難しい」と説明する。
連合会は近く衆参両院に2世の支援策を要望する方針。15日に記者会見した岩橋英世弁護士は「日本政府が満州に日本人を取り残さなければ、2世が中国での生活基盤を捨ててまで日本に来るようないびつな状況は生じなかった。2世が戦争の被害の延長線上に立っていることを国に訴えたい」と話した。

「2世は取り残されてきた」

「国の支援を受けられた1世や、幼少期に帰国して日本社会に溶け込みやすかった3世と違い、2世は取り残されてきた」。アンケートに回答した2世の一人、福岡市の

范秀芬
(はんしゅうふん)さん(69)が語った。
范さんの母は満州(現中国東北部)に取り残され残留孤児となった。母は1990年代前半頃、日本にいたきょうだいを頼って福岡市に帰国。范さんは当時、中国吉林省長春で家族を持ち、安定した暮らしを送っていたが、母に強く説得され、44歳だった96年に帰国した。その後、夫と長男、長女も来てくれた。
ただ、帰国後の生活は困難の連続だった。日本語を話せないまま、魚市場やスーパーなどで働いたが、同僚の指示がわからない。見よう見まねで仕事を覚えるしかなかった。1世は国の支援策で帰国から半年間、支援施設に入所して基礎的な日本語や生活習慣を学ぶ機会を与えられたり、給付金を受けたりしたが、2世にはなかった。
「日本語を学びたい」と行政に訴えたが、認められなかった。今も日本語はあまり理解できず、言葉のわからないストレスから度々体調を崩している。夫も体を壊しており、数年前から生活保護を受けている。
帰国時6歳だった長女は小学校で「中国人のくせに」などといじめられた。しかし、日本語と中国語の2か国語を話せることを強みに、今は客室乗務員として働いており、それがせめてもの救いだ。
夫婦とも高齢化し、健康面の不安も増す。范さんは「病院に行っても医師が話す内容が十分に理解できない。2世が抱える不安な思いを少しでも理解してほしい」と訴えている。
◆中国残留邦人=戦前・戦中に満州(現中国東北部)などに渡り、終戦前後の混乱で中国に取り残された日本人。1972年の日中国交正常化を受け、80年代から永住帰国が進んだ。厚生労働省によると、昨年12月末現在、永住帰国者数は6724人。永住帰国した2世の正確な数は国も把握していない。