「真面目になる」
60年前、精神科病院へ拉致され、強制不妊手術を受けさせられた末、命からがら脱走した小島喜久夫さん(78)。脱走後に匿ってくれた、命の恩人ともいえる伯母に誓ったこの約束を、絶対に守らなければならない――。
伯母の助けを借りて自立し、札幌市内の飲食店で皿洗いをするなど地道に働いた。23歳の時、貯まった金で自動車の運転免許を取った。ポリオの後遺症は運転の支障にはならなかった。
連載第1回【病院へ拉致され「不妊手術」をされた元ヤクザ・小島喜久夫さんの絶望】から読む
すぐに免許を生かせる仕事を見つけた。ところがそれは、違法な白タクドライバーだった。気づけばまたヤクザに囲まれ、白タク行為で警察に捕まった。
「俺は何をやっているんだ。堂々巡りじゃないか」
再びはまりかけた負の連鎖から逃れるため、タクシー会社の面接を受けた。実際に車を走らせる試験では、怪我の功名というべきか、白タク経験が生きて運転技術を高く評価された。
会社負担で二種免許を取り、26歳でタクシー運転手になった。働きながら大型や重機の免許も取り、三里塚闘争に揺れる成田空港の建設現場でダンプカーを走らせたこともある。コツコツ働き、生活を安定させた。
行きつけの飲食店で働いていた女性と、20代で結婚したが、数年で離婚した。妻は子どもが欲しかったのに、できなかったことが原因だった。強制不妊の被害を打ち明けられず、子どもの話題を避けようとする小島さんを、当時の妻は許せなかったのだ。
30代で、ひとつ年下の麗子さんと再婚した。麗子さんには、小学校入学前の息子がいた。小島さんは実の子のように愛情を注ぎ、大切に育てた。
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夫婦には温泉巡りという共通の趣味があった。小島さんが運転する車で、道内や本州などを頻繁に巡った。10年、20年と月日は穏やかに経ち、つつましくも幸せな時が静かに流れていった。喜寿を目前に突然の喧騒に包まれるとは、小島さん自身も予想していなかった。
2018月1日31日朝、小島さんは北海道新聞の大きな見出しに息をのんだ。
「不妊手術9歳女児にも 半数超未成年 宮城県資料」
それまでも強制不妊のニュースには注目していたが、この記事の衝撃は桁違いだった。
半世紀以上前の記憶が、津波のように押し寄せてきた。小島さんと同じ日に不妊手術を強制された、女子中学生の悲痛な顔が鮮明に蘇った。長く封印していた怒りと悲しみが噴き上がり、体がガタガタと震えた。
「許せない。絶対に許せない」
記事を切り抜いた。しかし、具体的に何をすればいいのか。翌日まで悩み抜いた。
2月1日夜、小島さんは覚悟を決めた。「これを見てくれ」。記事を麗子さんの前に置いた。
「ああ、これ…可哀想にね」
小島さんは何か言いたげな顔をしていた。でも黙っている。麗子さんが話を続けた。
「ヒトラーと同じね。こんなことを日本人がしていたなんて、恐ろしいわね」
まだ黙っている。
「どうしたの」
小島さんは意を決した。
「俺もされたんだ。優生手術(強制不妊手術)を」
悪い冗談に違いない。麗子さんはそう思いたかった。だから「うそでしょ!」と返した。しかし、夫が他人の苦しみをそんな風に茶化す人ではないことは、よくわかっていた。
テレビニュースなどで見た強制不妊の被害者のことは、気の毒に思っていた。それでも、違う世界の話だと感じていた。ついさっきまでは。まさか夫が……。
麗子さんは新聞の片隅に、強制不妊に関する弁護士相談の電話番号を見つけた。「私はまだ信じられない。信じたくない。でも本当なら大変なことよ。弁護士さんに本当のことを伝えて」。
翌2日、小島さんは受話器を手に取った。麗子さんに見守られながら、電話の向こうの弁護士に過酷な体験を伝え始めた。
人生を変えた新聞記事「不妊手術9歳女児にも」の切り抜きを示す小島喜久夫さん
それからの1年は、まるで嵐のようだった。
国家賠償請求訴訟の原告となり、「ほかの被害者も、もっと声を上げられるように」との思いで実名を明かした。すると、マスコミが家にまで押しかけるようになった。
各社に誠心誠意対応した。道内外の集会に呼ばれ、体験を語った。だが今年4月には、地元テレビ局の記者に振り回されて、意図とは違うニュースを流された。
激変した生活リズムとストレスで夫婦は体調を崩し、倒れたことも何度もあった。それでも「伝えなければ」という思いは変わらなかった。「目障りな人」に「精神疾患」というレッテルを貼り、排除しようとするこの社会を変えるために。
若き日の小島さんは、ろくな診察もなく「精神分裂病」と決めつけられた。問題の根っこには、「病理なき精神医学」がある。その危うさは今も変わらない。
精神疾患を特定するために有効な検査法は未だ存在せず、精神科医が典型的な症状の有無や軽重で病名をつける。そのため、診断には精神科医の主観が入り込みやすく、デタラメな診療の被害があとを絶たない。拙著『なぜ、日本の精神医療は暴走するのか』や『精神医療ダークサイド』で示してきた通りだ。
精神科医に悪意はなくても、患者や家族の創作話にまんまとはまり、希望通りの診断名を付けてしまうケースもある。
小島さんはタクシー運転手として働いていた頃、精神科病院まで客として乗せた母子の会話に愕然としたことがある。
母親は20歳くらいの娘に、こう話していた。「あなたがうつになればお金がたくさん入るの。うまくやってね」。母親は娘に「うつ病」の演技を強制していたのだ。
小島さんは語る。「他にも知っています。うつ病だと偽って多額の保険金をだまし取った人を。精神科はこんなことばかりです。いい加減な実態は変わらない」
優生保護法は、1996年の改正で母体保護法となり、強制不妊手術という国家の犯罪を裏付け、肯定する法律はなくなった。2019年4月には強制不妊救済法が成立し、被害者には一時金320万円が支払われることになった。
だが、証拠となる手術記録を病院や自治体が残しておらず、一時金の申請が却下されるケースも出てきた。すでに死亡した被害者も少なくない。救済はあまりにも遅すぎたのだ。
せめて96年の法改正時に、被害調査を行うべきだった。調査を求める声は20年前にも上がっていたが、国は無視した。マスコミも国民も鈍感だった。
小島さんが被害に遭った札幌市北区の中江病院は、現在は建物を一新して心優会中江病院となっている。ただでさえ狂気に満ちた優生保護法さえも踏み越えて、精神疾患のない人にまで断種を強いた病院の罪は極めて重いが、現在は「身体拘束を極力行わない方針を3年前に打ち出し、成果を上げている」と事務長の栗塚将輝さんは語る。
栗塚さんによると、小島さんの入院記録や手術記録は「残っていない。いつ廃棄したのかもわからない」という。年月が経ち過ぎているので無理もないが、強制不妊手術やロボトミー手術、電気ショックなどの実施件数や、年報・記念誌の類、当時働いていた職員の名簿なども「一切残っていない」のだという。
本当だとすれば、病院の歴史を伝える資料を次々と捨ててきたことになる。組織として大丈夫なのだろうか?
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小島さんが、今も激しい恐怖を感じるためにこの病院に近づけないことを伝えると、「記録がないのでコメントのしようがありませんが、心中お察しします」と述べた。
手術記録の多くは、強制不妊の首謀者であった国と、都道府県の「怠慢」によって失われた。そのせいで被害者は、断種された証拠を新たに求められることになった。二重の被害といえる。
小島さんもこれまで、病院の泌尿器科など複数の医療機関で診察を受けた。だが、60年前の手術痕を確認する作業は極めて難しい。小島さんはやり切れない思いを抱いている。
「手術を受けた証拠が必要なのはわかります。でもなぜ、被害者がこんな苦労までしないといけないのか。嘘をついているというのか。記録がないのは国や自治体や病院のせいなのだから、彼らが全力で調査を行い、証明するべきではないのか。『記録はありませんでした』の一言で済ませて、あとは何もしないという無責任さが許せない」
激動の1年が過ぎ、小島家は少し落ち着きを取り戻した。
「いろいろなショックと、多忙で運動不足が続いたせいで、私も足腰がすっかり弱ってしまって」と麗子さん。このままではいけないと、家の近くをほぼ毎日、1時間半ほど歩くようにした。すると1、2か月で効果が表れ、「この歳で筋肉がついてきたんですよ」と笑う。
今も優生思想がはびこる日本を変えるため、声を上げた小島喜久夫さんと妻の麗子さん
電動のシニアカーの使用が増えていた小島さんも、半分シニアカー、半分歩き、の配分で麗子さんのウォーキングに付き合い、筋力が戻って来た。夫婦はデイサービスでも運動に励んでいる。
小島さんは語る。「まだ死ねないですから。国も精神科も国民の考え方も、昔と変わったようには思えない。だからこのままだと、また同じようなことが繰り返される。私たち被害者が体験をきちんと伝えることで、歯止めをかけたいんです」。
障害者や異端者を問答無用で排除してきた国――そんな日本が変わることを願いながら、夫婦は今日も、ほんのり色づき始めた木々の下を歩いている。