プライベートのない避難所から、ようやく家族だけの空間に移れたと思ったら、次に被災者を待っていたのは、個々のスペースはほとんどなく、住人の生活音は丸聞こえで、夏暑く、冬寒い…あらゆる不便さを伴った仮設住宅での暮らしだった。
「本当に大変だった」「でも、いいこともあったね」―。元入居者らがそう振り返る悲喜こもごもの生活は、昨年10月、岩手県陸前高田市にオープンした「3・11仮設住宅体験館」でかいま見ることができる。
旧米崎中学校グラウンドに整備された応急仮設住宅を利用した同館は、当時の暮らしを再現した展示室のほか、1DK、2DK、3Kの計7部屋が残され、宿泊体験が可能だ(※宿泊の場合は市内の防災・観光プログラムへの参加が必須)。
ここに先月末、小社の記者2人とともに泊まってきた。
私は津波で被災したものの、仮設住宅で生活したことはない。他の2人も取材では何度も部屋に上げていただいたが、泊まるのは初めてだった。
オプションとして、元入居者による「語り部」を依頼できる。これもお願いしたところ、現れたのは同仮設住宅団地で長く自治会長を務めた金野廣悦(こんの・こうえつ)さんだった。
私たち3人全員が、日ごろから何かにつけお世話になっている方である。「みんなで元気に仮設を〝卒業〟したい」と、円滑なコミュニティー形成や住民の健康・生きがいづくりに奔走していた廣悦さんのことは、当時からよく取材していた。
「なあんだ、廣悦さんか~」
気心の知れた人の登場で、一気に場が和んだ。
だが、よく知った話ばかりになるかと思いきや、人知れぬ苦労や葛藤…初めて知る事実もたくさんあった。語りは1時間の予定だったが、3時間に延び、それでも足りなかった。
廣悦さんは、高齢者の孤立や、将来への不安から心がすさんでしまう人、狭い空間に押し込められることで起きる家庭の不和など、さまざまな課題を的確にとらえていた。だからこそ、住民同士の輪の形成や、一人一人に役割を持たせることを重視した自治会運営をしてこられたのだ…と、今さらながら思い知った。
宿泊棟に戻ると、薄い壁のところどころに穴の空いた跡が残っていることに気づいた。布団を敷けばそれでいっぱいになってしまう部屋には、扉もなく、隣室の音は筒抜けだ。心許なさの中で眠り、朝起きたときには、台所が氷室のように冷たくなっていた。
「音にはいつも気を使って…」「冬はとにかく寒くて…」
被災地にずっと暮らし、長く取材してきた自分たちですら実感としては持てなかったその苦労の一端に、ほんの一瞬触れたに過ぎない。それでも、仮設住宅における物理的・精神的課題を伝え、別の災害被災地にフィードバックしてほしいという思いは、この体験が補強してくれたのだった。
■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。震災時、記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当。現在は、同社社長。