静岡県浜松市の女性・アキコさん(18、仮名)が幼稚園から中学までいじめを受け、自傷行為や自殺未遂を繰り返した。不登校にもなった。主治医からは心的外傷後ストレス障害の診断を受け、今でも通院中だ。
保護者の要望で、浜松市教育委員会が、いじめ防止対策推進法における「重大事態」として調査した。しかし、保護者と調査に対する見解が合わず、市長が再調査を決めた。再調査委員会は2022年3月22日、最終報告書を公表した。継続的な嫌がらせをいじめと認定したが、証言が得られなかったとして、性的ないじめは断定しなかった。
一方、アキコさんの保護者が求めた開示資料には、小学校の教頭(当時)のアキコさんに対する印象として、「男の影?」「色っぽい?」と記載されていた。小学生の教え子に対する印象として、なぜこうした不適切な文言が使われたのか、報告書での指摘はない。
アキコさんは高校中退後、高卒認定資格を取得。現在はフリーターだ。筆者の取材に対して、性的な被害を含めていじめられていたこと、自傷行為や自殺未遂を繰り返してきたことを語った。
周囲からは「いじめてもいい存在」になっていた
実は、アキコさんへのいじめは幼稚園から始まっていた。幼稚園への送迎バスに乗ろうとすると、加害者Aに「乗るなよ」などと言われたり、不快に思われるあだ名をつけられた。いじめ防止対策推進法における「いじめ」の定義では、幼稚園は含まれず、調査対象外となっている。ただ、中学までのいじめは、この頃から継続しているものだ。
「加害者Aとは近所なので、今もまだ会います。『死ね』と言われることもありました」
幼稚園教諭にそのことを言うと、「バス通園をやめてはどうか」などと、いじめを解消する対応はとられなかった。
結局、このことが後を引く。2010年、小学校に入学してからもいじめは続いた。加害者Aとは6年間、クラスは一緒にならなかったが、帰宅する方向は一緒だったし、複数の加害児童から叩かれたり、蹴られたり、石をぶつけられた。ランドセルを引っ張られ、転ばされることもあった。傘で叩かれたりもした。
小3のときは、加害者Aに加えて、加害者Bからもいじめられた。それとは別に加害者Cからもいじめに遭う。
「(Cとは)1年のときに同じクラスでした。暴力を振るわれたりしました。いじめられすぎていたので、周囲からは“いじめてもいい存在”になっていたんだと思います。その後も、いじめが一時おさまっては、またいじめられることの繰り返し。向こうの気分ですね。他の子もいじめていて、そっちのいじめが収まったと思ったら、こっちがいじめられるという感じ。ただ、3年のときに担任の先生が指導したことで収まったんですが、4年のとき、先生が異動すると、いじめが倍になって返ってきました」
クラスでも部活でも休まることはなかった
そんな中で、アキコさんが小5のとき、「服を胸までたくしあげられる」という性的な被害に遭う。
「見ている人もいました。でも、誰にも言いませんでした。6年になったとき、担任に相談したんですが、聞き流されましたので、言っても意味がないと思ったんです。ただ、最近になってこのことを母親に話せるようになりました」
母親は、この頃、アキコさんの自傷行為に気がついた。
「娘の様子がおかしかったので、学校を休ませたんです。このとき、食事に行ったんですが、掘りごたつのために、足元の傷に気がつきました。理由は答えてくれませんでした。そのため、学校での様子を担任に聞くと、『何かがあったわけではない』と言われました」(母親)
小6のときには仲の良い同級生が多く、いじめ被害はなくなっていた。しかし、2016年、中1になっていじめの被害に再び遭うことになる。
「幼稚園からいじめている加害者Aと同じクラスになりました。そのため、入学後間もなく、加害者Aを中心にクラス内でいじめが始まりました」(同前)
アキコさんは、小6の頃から始めた卓球の部活動に入ったが、部内のいじめも始まり、クラスでも部活でも休まることはなかった。仲の良い同級生ともクラスが別々になった。部内の人間関係の中で無視されるようになった。結局、部活動も地域の卓球教室もやめることになった。
「Aを中心に、最大で1学年のうち5人に1人が加害者になっていました」(同前)
学校は、アキコさんが登校していないことを気づかなかったこともあった。「遅刻する」と連絡があったまま、学校に来なかったが、担任が出張で気付けなかった。学校に行っていないことを知った母親が夕方になって、学校へ連絡したことで分かった。
学校は不登校・自傷行為を家庭のせいに
6月から7月にかけて、アキコさんは、スクールカウンセラーや担任らと相談をする。しかし、学校でいじめを受けていることを話すと、「家では何かあるの?」と聞かれ、その後、家のことしか聞かれなかった。
「家のことしか聞かれないので、家の手伝いで友達となかなか遊べないとか、どこの家庭でもあると思う親同士の喧嘩について話しました」
アキコさんは、学校での相談でいじめのことを十分に聞かれた記憶がない。そればかりか、学校へ行けないのは家庭のせい、と言わんばかりの対応が続いた。そんな中、7月、授業中にハサミでリストカットをした。
「自傷行為は小5の頃からしていました。同級生に『なんで切るの?』と聞いたんです。すると、『嫌なことがあると切る』と言っていたのを思い出したんです。それから頻繁に切るようになりました。ただ、この頃は手首ではなく、足の部分でした。手首だと周囲にバレてしまいますし。ピアスも開けましたよ。初めの頃はファッションでしたが、途中から自傷の意味でやるようになりました」
ただ、いじめと違ってアキコさんのリストカットは問題になった。授業中だったためだ。翌日、母親が学校に呼び出された。養護教諭からは「娘さんが赤ちゃん返りをしている。話を聞いてあげる環境を作ってはどうか?」と言われた。
「このとき、学校でのいじめの話は出ず、学年主任には『お母さんね。これは、私を見て、と言っているんですよ』と言われました」(母親)
このときのことをアキコさんが振り返る。
「そんな感じじゃないですよ。もし、見てほしいなら、それ以前から母親に見えるところを切っていますよ。このころはもう癖になっていたんです。嫌なことがあった。じゃあ、切ろう、と思うようになっていたんです」
その後、アキコさんは転校を希望する。学校側はいじめを理由とすることを認めず、「住所変更」ならば転校ができると勧めてきた。そのため、中1の2学期から「住所変更」での転校となった。しかし、転校先に加害者Aの従兄弟がいたことから、いじめが続く。そして、不登校になった。
「これ以上、調査するなら承諾書にサインをしてほしい」
両親は2017年4月ごろから、アキコさんへのいじめについて、転校前の中学校に調査を訴えていた。その後、面談を繰り返し、両親が第三者による調査を要求した。しかし、第三者による調査は行われず、市教委指導課職員2人と教頭でアンケート調査や聞き取りを進めていく。当時、調査の方針についての説明はなかった。しかも、その中で不可解なことが起きる。主治医からは「何らかの性的被害を受けているだろう」との見立てがあった。そして、「アキコさん自身から話せる時が来る」というので、関係した教員への聞き取りを先に進めることになった。
ただ、市教委作成の「いじめ重大事態に関する生徒への聞き取り調査について」とのタイトルの承諾書に署名を求められた。治療の妨げにならない配慮のほか、調査をすることで症状が悪化したり、SNSなどでの誹謗中傷、直接苦情が寄せられるリスクがあるとする内容だ。母親はこう述べる。
「小5のときの性的嫌がらせについて、今ある情報で調査をしてほしいと言ったんですが、『これ以上、調査するなら承諾書にサインをしてほしい』というのです。ただし、この承諾書に名前を書いたとしても、加害側の親が承諾しないと聞き取りはできません。加害者の親がこんな承諾書にサインをするわけはないだろうと思い、私としても、サインしませんでした」
アキコさんはこの頃、精神症状が出ていた。心的外傷後ストレス障害と解離性障害の診断を受けることになる。
「自分の記憶は抜けていることがあります。起きたら部屋がぐちゃぐちゃだったことがあります。自分が自分じゃない感じでした。中3のときにはっきり気づいて、母親に『自分のなかに誰かいる』と言ったことがあります。自分がコントロールできない。記憶が飛んじゃう」
このとき、母親も驚いた。
「娘が暴れて、顔を引っ掻かれたことがあったんですが、娘が『どうしたの? その顔』と言ったんです。『あなたがしたんでしょ?』と聞いたら、娘は『何言ってるの? そんなことしないし』って。『あれ?』と思って病院に電話したら、解離性障害と言われました。自分が自分じゃない状態だったり、本人に記憶がないことがあると言われて初めて、症状だったんだと思いました」
結局、保護者が承諾書にサインしなかったことで調査は中断する。この調査は2020年1月、「いじめ重大事態として報告した事案についての報告」として市長に報告された。小学校や中学校でのいじめを指摘しつつも、「性的嫌がらせ」は確証がないとされた。また、「加害生徒」の欄は「不明」だった。両親は、市に対して第三者による調査を求めた。
「いじめがなければ、別の人生があったと思います」
一方、アキコさんは、中学を卒業した後は高校に通ったが、2019年7月末に自殺未遂をした。
「あまり覚えていないんですが、警察には『死にたかったから』と言ったそうです。実は、それ以前にも、自殺未遂をしています。多分、10回は。首を吊るためのロープを買ったり、練炭を買いに行ったり……。小5のときも、飛び降りをしようとしました。中1のとき、担任の前で3階の教室から飛び降りようとしたこともあったんです」
担任はそのとき、「やめてくれ」と言ったようだが、開示された資料にはこのことが記載されていない。少なくとも、この時点でも「重大事態」とされてもいいが、いじめの聞き取りがなされることはなかった。アキコさんは、再調査をどう思っているのか。
「最初、私としては、いじめの調査はどうでもよかったんです。正直、自分のためなら今更という思いでした。でも、『今後に生かすためもあるんだよ』と母親から言われて、納得しました。だって、学校に自分と同じような対応をされる人が出てくるのは嫌だから。いじめがなければ、別の人生があったと思います。でも、転校したことで他の仲良い子たちと出会えた。それには感謝しています。ずっと同じ学校にいたら、死んでいたと思います」
(渋井 哲也)