〈懲戒処分〉「朝日新聞こそが社会正義を…」自称・安倍元首相の「顧問」記者が見せた“大朝日のおじさん精神”とは?

大変だ! 新聞好きとして大興奮してしまう「事件」が勃発した。朝日新聞の峯村健司記者をめぐる発表です。それは4月7日(木)の朝日新聞に掲載された。
『本社編集員の処分決定 公表前の誌面要求「報道倫理に反する」』
い、いったい何が起きた?
《朝日新聞社は6日、外交や米国・中国を専門分野とする編集委員の峯村健司記者(47)を停職1カ月とする懲戒処分を決めた。編集委員の職も解く。安倍晋三元首相が週刊ダイヤモンドのインタビュー取材を受けた後、ダイヤモンド編集部の副編集長に公表前の誌面を見せるように要求した峯村記者の行為について、報道倫理に反し、極めて不適切だと判断した。》
ん? なんで朝日の記者と安倍元首相が連携しているの? なんで他社の記事に口出ししようとしたの? もう一度じっくり読む。すると朝日記者(峯村健司氏)が他誌に対して公表前の記事(ゲラ)を見せろと要求したのだという。その理由は……。
「安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている」
エ―――!
朝日は“高級な背広を着たプライド高めのおじさん”
峯村記者は「とりあえず、ゲラ(誌面)を見せてください」「ゴーサインは私が決める」などと語ったという。ああ、他媒体への振る舞いがエラそうですごすぎる。ワクワクしちゃう。
ここまで興奮するのは理由がある。私は以前から新聞の読み方として「新聞の擬人化」を提案していた。ときに小難しく思える新聞もわかりやすくなって楽しくなるからだ。
朝日新聞は“高級な背広を着たプライド高めのおじさん”と例えた。朝日は「新聞は社会の木鐸である」という言葉をいまも信じて正義を追求している。その一方で「大朝日」のプライドも見え隠れし、それが鼻持ちならないと他紙や週刊誌の格好のツッコミ対象となる。擬人化するなら、高級な背広を着てハイヤーで取材に行き、社会正義を訴えるプライド高めのおじさん。
もちろんこれはあくまで見立て遊びだ。そのあと実際に取材等で会った朝日記者たちは真面目でエラそうな人はいなかった。「おじさん」として見立てたが、そもそも女性記者も多い。でも社説とかの“大御所”からはなんだかエラそうなおじさんという雰囲気が漂うのである。
渦中の記者が「反論」を公開
そして今回である。当事者の峯村記者が「朝日新聞社による不公正な処分についての見解」として noteに公開 した。これを読んだらさらに興奮したのだ。
《私は3月10日、A記者に電話をして、事実確認を徹底するように助言をしました。A記者からは「安倍氏に取材したのをどうして知っているのか」「ゲラをチェックするというのは編集権の侵害だ」などと強く反発されましたが、私も重大な誤報を回避する使命感をもって、粘り強く説得しました。》
ほらほら、「助言」とか「説得」とか行間にいちいちときめく。この様子をダイヤモンド側から見るとこうなる。「威圧的な言動で社員に強い精神的ストレスをもたらした」(朝日新聞4月7日)。そりゃそうだ。
介入した理由は「誤報を防ぐため」
あと峯村記者の文章で面白いのは《「ゲラをチェックするというのは編集権の侵害だ」などと強く反発されましたが》と普通に書いていることだ。自分で書いていておかしいと思わなかったのだろうか。安倍元首相の「顧問」という立場は、それだけ記者としての倫理的感覚を麻痺させてしまうものなのか。
峯村記者は介入した理由を「誤報を防ぐため」と書いている。
《安倍氏から「先ほど週刊ダイヤモンドから取材を受けた。ニュークリアシェアリング(核兵器の共有)についてのインタビューを受けたのだが、酷い事実誤認に基づく質問があり、誤報になることを心配している」と相談を受けました。》
だから自分が動いたのだと。
週刊ダイヤモンドに関して言えば、もし安倍氏へのインタビューがとんちんかんなものであれば批判を受けるのはダイヤモンド社とインタビューした記者だ。世に出た時点で論評される。だからダイヤモンドも看板を背負って記事を出す。そこに他紙(朝日)の記者が「ゴーサインは私が決める」とか「誤報を防ぐ」とか介入してくるのはあり得ない。
なぜこんな行動をしてしまうのか。峯村記者の文章の最後のほうに答えがあった。
《私は1997年の就職活動の時から「朝日新聞こそが社会正義を実現できる」と信じて入社、四半世紀にわたって朝日新聞社および日本、世界の平和や正義のために身を粉にして尽くしてきたと自負しています。》
出ました社会正義! イヨッ、朝日新聞!
それにしても私が定義した擬人化そのままではないか。「新聞は社会の木鐸である」という言葉をいまも信じて正義を追求する姿勢。その一方で「大朝日」のプライドも見え隠れする鼻持ちならなさ。まさかここまで証明してくれるとは! 私が興奮するワケをおわかりいただけただろうか。
正義のつもりでも、傲慢にしか見えない
この騒動から教訓として生かせることは何か。それは、自分では正義のつもりでも周囲からは傲慢にしか見えていないという可能性である。
今回の件は「朝日の正義、良心」の誤用のほか、権威へのうっとりも大きい。記者が安倍元首相の「顧問」と名乗っているのだ(本人もnoteで認めている)。権威を背にして他者(社)にエラそうに振舞う。これは政治家と新聞記者の近さどころではない。ただの取り巻きに見える。
そんな自分の振る舞いを「誤報」というパワーワードを使用して訴えているのも読みどころ。朝日嫌いの人々に対しての目くばせにもなっている。《今、現実に誤報を食い止めることができるのは自分しかいない、という使命感も感じました。この時、私の頭によぎったのが、朝日新聞による慰安婦報道です。誤った証言に基づいた報道が国内外に広まり、結果として日本の国益を大きく損なった誤報でした。》と、慰安婦報道の過去にもつないでいた。さすがの文章術である。
「朝日嫌い」の人たちが峯村記者を擁護
だからだろうか、面白い現象だと思うのはふだん朝日嫌いっぽい方の一部に峯村氏への同情が見受けられることだ。たとえば産経ニュースのアカウントがこの件を報道したところ、「峯村氏のnoteを読んだのか」的なリプライが散見された。
これは非常に面白い。だって自分たちが嫌ってきた「エラそうな朝日」に対して全力の擁護になってしまっているからだ。
今回の問題は朝日が好きか嫌いかで立場が異なる代物ではない。徹底して朝日新聞の問題でありジャーナリズムの話である。もし峯村氏の介入に理解を示すなら、今後も朝日はエラそうでよいということになり、社会正義を掲げていれば新聞記者の傲慢な振る舞いも認めるということである。それはおかしい。正義や良心の名の下に政治家の御用聞きのように立ち回る記者がいたという事実について、皆でもっと驚くべきだ。
安倍さん、大チャンス到来です
朝日はこの件について徹底して検証して報道しなくてはいけない。なんなら峯村氏を紙面に登場させ、社内の記者たちと意見をたたかわせるべきだ。それが読者への説明だろう。2年前に文春のスクープで朝日と産経の記者が黒川東京高検検事長とマージャンしていた問題があった。私は賭けマージャンに参加していた記者の言い分も読みたかった。あのとき感じたことを拙著から抜粋する。
《実は文春の記事には「黒川氏は昔から、産経や朝日はもちろん、他メディアの記者ともしばしば賭けマージャンに興じてきた」という記述もあった。つまり、記者と取材対象(権力者)の近さ問題はそのまま「新聞論」になるはずだった。しかし朝日も産経も他紙も今回そこまで論じるものはなかった。重要なお題を読み逃したと思えて残念でならなかった。》(『お笑い公文書2022 こんな日本に誰がした!』)
あのとき徹底的に新聞論をやればよかったと思ったが、今回もそのチャンスである。
あと安倍さんは何で黙っているのだろう。「顧問」を騙られているのですよ。今こそ憎き朝日に最大の攻撃ができます。朝日の記者が自分の顧問だといい加減なことを言っている、まさに“捏造”だと。安倍さん、大チャンス到来です。
それともやはり便利なお友達なのだろうか。
(プチ鹿島)