保安係が独断で遮断機上げ事故、「母のような犠牲二度と」…「危険な踏切」高架化完了

東京都足立区の東武伊勢崎線竹ノ塚駅一帯で3月、線路の高架化工事がおよそ10年がかりで完了し、2か所の踏切が廃止された。2005年、この「開かずの踏切」で4人が死傷する痛ましい事故が起きたことを機に、地元住民や遺族、区が一丸となって再発防止を目指した努力が実った。遺族のひとりは「事故を風化させず、踏切事故をなくすために、これからも力を尽くしたい」と語る。(大原圭二)

「ここに来ると母の顔が自然と浮かぶ。やっと完成を伝えられた」。3月15日、事故現場に花を供えていた横浜市神奈川区の加山圭子さん(66)が語った。
事故は17年前のこの日、東武鉄道の保安係が手動式の遮断機を独断で上げたことで起きた。踏切内に入った加山さんの母の高橋俊枝さん(当時75歳)ら2人が電車にはねられて死亡し、2人が重傷を負った。ラッシュ時は1時間に50分以上、遮断機が下りた状態が続くため、保安係は日頃から自身の判断で操作していた。
地元住民の間では、事故前から「危険な踏切」として知られていた。長さは約33メートルあり、地元自治会連合会長の沢田栄介さん(87)は「取り残されそうになったお年寄りの手を引いたこともあった」と振り返る。住民たちは区に幾度となく改善を求めたが、必要な対策は取られなかった。「とうとう起きてしまったか」。事故の一報を聞き、沢田さんは、こう思ったという。

住民はすぐに立ち上がった。沢田さんらが中心となって始めた署名運動では、わずか半年の間に区民の3分の1に相当する約22万人分が集まった。住民の後押しを受け、区も腰を上げた。当時、同駅の高架化事業は費用対効果が低いとされていたが、区は早期着工が不可欠だと判断。都に代わり、07年に自らが事業主体となることを決めた。
財政負担の増加が懸念されたが、区の職員として事故から10年間にわたって事業に携わった岡野賢二さん(67)らは、都などと精力的に協議を重ね、地元負担を軽減した。

12年の着工から10年。沢田さんは「地元の悲願だった。これで住民も安心できる」と

安堵
(あんど)し、岡野さんも「住民のためになるやりがいある仕事だった」と話す。
加山さんは10年に踏切事故の遺族が集う「紡ぎの会」をつくって代表に就任。国に対策強化を求めた結果、踏切事故の調査対象拡大に結びついた。
踏切事故ゼロを願って講演活動も続ける加山さんは、「母のような犠牲者を二度と出さないためにも、これからも踏切の安全強化を訴え続けたい」と決意を新たにしている。
「開かず」288か所…都内に全国の半数

ピーク時には1時間あたり40分間以上、遮断機が下りた状態になる「開かずの踏切」。国土交通省によると、全国に3万か所以上ある踏切のうち、開かずの踏切は2021年9月末時点で539か所あり、半数超の288か所が都内だ。
一方で、04年度に410件あった踏切事故は、20年度には165件と減少傾向にある。ただ、05~20年度には計1729人が踏切での事故で死亡しており、関西大学の安部誠治教授(交通政策論)は「歩行者を危険にさらし、交通渋滞も引き起こす『開かずの踏切』を減らすには、立体交差化が最適だ」と指摘する。その上で、「費用や時間がかかるため、国や自治体、鉄道会社の連携強化が求められる。特に自治体は、立体交差事業をまちづくりの中心課題と位置づけ、重要性を地域住民に伝えていく必要がある」としている。