2016年4月の熊本地震で2回目の震度7を観測した本震から16日で6年。熊本県南阿蘇村で土砂崩れに巻き込まれたとみられる同県阿蘇市の大学生、大和晃(ひかる)さん(当時22歳)の兄翔吾さん(29)は本震が起きた時刻と同じ16日午前1時25分、両親と現場近くで花を手向けた。「安心して。こっちは大丈夫だから」。一つ上の兄として気丈に振る舞いながら、まだ気持ちの整理はつかない。
既読がつかないメッセージ
6年前の4月16日未明、熊本学園大4年だった晃さんは本震が起きた際、崩落した旧阿蘇大橋付近で車ごと土砂崩れにのまれたとみられる。14日夜に震度7を観測した前震で被災した熊本市内の友人に水を届け、車で阿蘇市の自宅に帰る道中だった。
「優しいやつだったから」。翔吾さんは友達思いだった晃さんの気持ちをくみ取る。熊本市内の高校に進学して下宿住まいになって以降、晃さんと顔を合わせるのは盆、正月ぐらいだった。「男同士、たまに会っても気恥ずかしくて」。深い話をする機会は少なかったが、帰省を終えて実家を出る際はいつも玄関先で見送ってくれた。
16年4月、広島大大学院2年だった翔吾さんは、就職活動で上京していた東京都内のホテルのテレビ速報で本震を知った。すぐ無料通信アプリ「LINE(ライン)」で晃さんにメッセージを送ったが、いつまでも既読がつかない。当初は「地震直後でバタバタしているのだろう」ぐらいにしか考えていなかった。
翌日、母忍さん(54)から「晃と連絡がつかない」と電話があり、不安に襲われた。居ても立ってもいられず、数日後、熊本への空の便が再開するとすぐ実家に向かった。両親と村役場や警察署を回り、少しでも手掛かりをつかもうと情報提供を求めるビラを配った。約1カ月後、就職活動や卒業研究のため広島に戻った後も、懸命に捜索する両親のそばにいられないもどかしさが募った。
本震4カ月後、最後に見つかる
余震による2次災害の恐れから県が地上での捜索を打ち切った後も、両親は自力で晃さんを捜し続けた。7月下旬に車体の一部を発見し、本震から約4カ月の8月11日、ようやく遺体が収容された。地震による直接死50人のうち、最後に見つかったのが晃さんだった。「葬儀の時も晃の顔は見ていない。だからなのか、まだ正直、亡くなった実感がない」と翔吾さん。晃さんの仏前にはいまも手を合わせられないという。
翔吾さんは晃さんの死をきっかけに熊本に戻り、17年に県内の化粧品・医薬品会社に就職した。19年には大学時代に出会った女性と結婚。結婚式には晃さんの席を用意し、遺影を置いた。「お互いの結婚式に出たり、子供が生まれて盆や正月に家族で集まったり。そんな当たり前にあると思っていたことができなくなってしまった」と悔やむ。
旧阿蘇大橋に代わる新阿蘇大橋が21年3月に開通し、土砂崩れで寸断された国道も復旧した。復興が進み、変わりゆく景色を見ても「晃の時間は止まったままだ」と複雑な思いは消えない。だからこそ前に進まなければ、と思う。「何気ない日々を大切にしたい。それが自分にできることだから」【栗栖由喜】