JR脱線事故17年 遺族や負傷者「何年たっても傷は癒えない」

乗客106人の命が奪われたJR福知山線脱線事故は、25日で発生から丸17年を迎えた。兵庫県尼崎市の事故現場に整備された「祈りの杜(もり)」では、新型コロナウイルスの影響で中止が続いていた追悼慰霊式が3年ぶりに営まれた。「何年たっても傷は癒えない」。悲痛な思いを抱えた遺族や負傷者らが訪れ、静かに手を合わせた。
「娘は17年間、いまもここで迷い続けている」
長女の中村道子さん=当時(40)=を亡くした藤崎光子さん(82)=大阪市城東区=は、現場付近で発生時刻の午前9時18分を迎えた。道子さんが愛用していた赤いかばんを「一緒にいるつもり」と身につけてきた。
二度と自身と同じ思いをする人が出ないよう、「求めるのは安全それだけです」。しかし、JR西日本の安全意識は、当時から何も改善されていないと感じている。不信感から追悼慰霊式には参列しなかった。
道子さんのかばんにそっと触れながら、「いつか娘に『安全な会社になったよ』と声をかけたい。そんな日が来ることを願っている」とうなずいた。
次男の昌毅(まさき)さん=当時(18)=を亡くした上田弘志さん(67)=神戸市北区=も現場に足を運んだ。これまでを振り返り、「年を重ね身体もしんどくなり、この17年を返してくれよという気持ち」と訴える。事故が風化していくことを懸念しつつ、「自分はしっかり事故と向き合い続ける」と昌毅さんに改めて誓った。
JR西は新型コロナの影響で厳しい経営状況が続いているが、「安全投資を削ることなく、事故を起こさない会社になってほしい」と強く求めた。
負傷者にとっても、この17年間は、痛みに耐え続けてきた日々だ。
3両目に乗車し、顔や足に重傷を負った玉置富美子さん(72)=兵庫県伊丹市=は何十回もの手術を受け、今も後遺症に苦しむ。「事故は多くの人の人生を一瞬で変えた。今も痛みを感じるたびに事故の記憶が思い出される。ずっと苦しんでいる人がいることを忘れないでほしい」とつぶやいた。