「隣から火が…」 爆発音に叫び声 旦過市場火災 その時何が

「北九州の台所」はその時、災禍に見舞われた。北九州市小倉北区の旦過(たんが)市場一帯で19日未明に起きた火災。一体何が起きたのか、関係者の証言などから追った。
「旦過市場の隣から煙が上がっている」。市消防局の通信指令室に19日午前2時38分、1本の119番が入った。通報してきたのは旦過市場に隣接し、老舗の居酒屋やバーなどが並ぶ「新旦過横丁」にある飲食店の従業員。電話口から緊迫感が伝わる中、時を置かずに近隣の住民などから同様の通報が何本も入り、指令室の空気は一気に張り詰めた。
出動指令を受け、市場から800メートルほど離れた小倉北消防署の行徳泰男・警防課長(58)は隊員と現場へ急行した。5分ほどで到着したが、北側入り口近くの店舗から黒煙が上がり、横丁の一角は真っ赤な炎に包まれていた。「既に火災が拡大しており、早い段階で延焼を防ぐ手立てを考えた」。行徳課長が明かす。
火元とみられる新旦過横丁の事態は深刻だった。
横丁でバーを経営する男性は午前2時半ごろ、店を閉めて本を読んでいると「パタパタ、バタバタ」と音がして焦げ臭いにおいに気付いた。外に出ようと思ったら「火事よ、隣から火が出てる」と2軒隣にある店のマスターが叫んでいた。外に出ると「隣の店の2階から火が出ていた」。火は延焼し、電線がバチバチと音を鳴らしながら燃えていた。
同じ頃、近くにあるカレー店の60代スタッフは早朝からの仕込みのため、店の2階に泊まっていた。「外でバチバチと音がし『花火でもしているのかな』と思って外を見たら、炎で赤く染まっていた」。慌てて表に出た後、貴重品を取りに戻ろうとすると、消防隊員から「危ない」と止められるほど、店へと延焼する危険性は高まっていた。
店を閉めて帰宅していた別のバー経営の山内貴史さん(51)も、消防車のサイレンで火災に気付いた。午前2時40分ごろに店へ駆け付け、貴重品を手に外へ出ると近くの飲食店2階の窓から火が見えた。「ドカーンという爆発音や何かが崩れ落ちる音が聞こえた。放水で消えたと思っても別の場所から火の手が上がり、終わりがなかった」と語る。
横丁周辺へと広がった火は市場一帯の約2割に当たる約1600平方メートルを焼損し、40店超が焼け落ちた。被害拡大の背景には、横丁の店舗特有の建築構造がある。各店舗は連なって長屋のようになり、トタン屋根で覆われていた。トタンは老朽化のたびに新しく上から張られ、多重構造になっていた。市消防局などによると、トタンで閉じ込められた火が、店舗同士つながっていた屋根裏から横に伝わった可能性がある。
加えて、消火活動が困難な条件もそろっていた。焼けて倒壊した木造の柱や天井などが路地を塞いで消防隊員の行く手を阻み、積み重なったトタン屋根は放水を妨げた。火は発生から約9時間後の19日正午ごろにほぼ消し止められたが、完全に消えたと確認されたのは21日午後7時半と約65時間を要することになった。
福岡県警と市消防局による実況見分の結果、火元は横丁の飲食店内とほぼ特定されたが、現場で陣頭指揮をした行徳課長は「火の回りが早い、古い木造の建物が多く、隊員がすぐに火元にたどり着けなかった」と振り返る。東京理科大火災科学研究所の小林恭一教授(消防防災行政)は、今回のような場所での火災について「通報から消防が駆け付けるまでの7、8分の間に燃えてしまうと、手が付けられない」と説明。「延焼を防ぐには、早く発見して早く消すしか方法はない。夜に店に人がおらず対応できなければ、密集地で延焼を防ぐのは容易ではない」と指摘する。
発災から初の週末となった23日朝、横丁には状況確認に訪れた山内さんの姿があった。店は焼失を免れたが周りは大半が全焼し、知り合いを見つけては声を掛けて片付けを手伝った。「この場所で店を再開するのは厳しいと思うけれど、どこかで店をまた続けたい」。変わり果てた横丁を見つめながら、山内さんは声を絞り出した。【林大樹、河慧琳、山田宏太郎】
旦過(たんが)市場
北九州市小倉北区魚町4の繁華街の一角に青果店や鮮魚店、飲食店など約110店が軒を連ねる。100年以上の歴史があり、市民から「北九州の台所」として親しまれてきた。近年は観光地としても人気を集めている。木造店舗が密集し、一部は西側にある神嶽(かんたけ)川にせり出しているため、火災や水害時に被害が拡大するリスクを抱えてきた。1999年には市場北側入り口の「丸和小倉店」(現ゆめマート小倉)から出火して周辺に延焼。2009、10年には豪雨による浸水被害を受けた。このため、市と地元による再整備計画が21年度に始動し、27年度の完了を目指していた。