荒天予報の海、社長と船長「行ける」「荒れたら戻ればいい」…漁師の忠告に耳貸さず

目の前に広がる海はまだ穏やかで、波は低かったという。4月23日午前8時。知床遊覧船の桂田精一社長(58)は北海道斜里町内でオホーツク海を眺めながら、観光船「KAZU I(カズワン)」の豊田徳幸船長(54)と向かい合っていた。
今季初の営業運航まで2時間。強風注意報が出ていたが、豊田船長は「出航は可能」と伝え、桂田社長は「これなら行ける」と判断した。カズワンは20人以上の乗客が見込まれていた。午後の荒天予報を受けて漁船が軒並み出航を見合わせる中、「もし荒れたら戻ればいい」。2人は往復3時間コースの運航を決めた。
「事務所の無線が故障していて使えない」。午前8時半頃、桂田社長に連絡があった。海上のカズワンと事務所の間で無線のやりとりができないことが判明した。「同業他社の無線を使えるから問題ない」。桂田社長は出航を指示した。

カズワンが発着するウトロ漁港から200メートルほど離れた知床遊覧船の事務所前では午前9時半頃、乗客への点呼が始まった。幼い女児が「パパ、ママ」と言いながら走り回り、若い男女が自動販売機の前で「楽しみだね」と語り合う光景を漁師の男性は覚えている。
「天気悪くなるけど、行くのか」。午前9時42分に波浪注意報が発表された。気になった男性が豊田船長に声をかけると、船長は「客がいるからね。ダメなら途中で帰ってくる」と答えた。知床遊覧船のもう一つの観光船「KAZU 3(カズスリー)」の甲板員を務めた60歳代の男性は「事務所の無線が壊れているから気をつけてな」と注意を促したが、返答は「おれの携帯は海上ではつながらないだろうな」だった。

24人の乗客と2人の乗員を乗せたカズワンは午前10時に港をたった。約10分後。断崖の上で自然ツアーのガイドをしていた綾野雄次さん(62)は白波を立てて走る観光船に目をとめ、「運転練習かな。まだ大型連休前だし」と思った。
後続のカズスリーは往復1時間コースで午前10時30分に出航した。同11時10分頃、カズワンから「カムイワッカの滝の上でクマが横になっている」と無線で連絡があった。風でカズスリーに波しぶきが降りかかった。
カズスリーが約30分後に港に戻った後、風は次第に強まった。正午頃、知床遊覧船の事務所では、荒天予報のため午後の3時間コースの欠航を決定。従業員は十数人の予約客への電話連絡に追われた。

帰港予定時刻の午後1時を過ぎてもカズワンは戻らない。「まだかな」。事務所内で従業員たちが心配し始めた。無線は故障していたため、隣にある同業他社の事務所から他社の従業員が「どこにいる?」とカズワンの船長に無線で尋ねた。「カシュニの滝にいる。波が高くて時間がかかる」。それを聞いたカズスリーの甲板員は「ひどく遅れているな」と胸騒ぎがした。
その数分後だった。「大変だ。ライフジャケットを着せろ」。同業他社の事務所の無線に、豊田船長の慌てた声が流れた。午後1時18分、海上保安庁に「エンジンが止まり、自力航行できない」と118番があった。船長の携帯電話ではなく、乗客の携帯からだった。午後2時頃、「船首が30度傾いている」と連絡したのを最後に消息を絶った。
乗客乗員26人のうち14人が死亡、12人が行方不明となったカズワンの沈没事故から23日で1か月。多数の乗客が巻き込まれる海難事故はなぜ起きたのか。関係者の証言などから悲劇の深層を追った。
船首側から水が流れ込んだか

カズワンの沈没原因については船体の引き揚げ後に詳細な調査が行われるが、船舶事故に詳しい神戸大海事科学部の若林伸和教授は「座礁して船体に穴が開いたり船首のハッチが開いたりして、船首の方から大量の水が流れ込んだ可能性がある」と指摘する。
事故時、カズワンからは「船首が浸水している」との連絡があったことが分かっている。いかりなどを収納できるハッチは小型船では船首付近に設置されていることが多く、蓋の閉め忘れなどのミスのほか、閉じていても大量の波をかぶって開いてしまうことがあるという。座礁については、必要以上に陸地に近づいたり波風の影響で流されたりする中で起こりうるとした。
また若林教授は、荒天予報の中で出航したり事務所の無線が故障していたりしたことを挙げ、「ずさんな会社の体質が一番の問題だ」と指摘した。