※本稿は、田原総一朗、前野雅弥共著『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
東京はもともと軟弱な地盤を深く掘り込み過ぎている。コンクリートで固めているが、経年劣化は加速度的に進み、老朽化が著しい。直下型地震、東日本大震災クラスの巨大地震が発生すれば、東京は間違いなく壊滅だ。それほど東京は限界に達している。
にもかかわらず、政治、経済、司法、行政――。すべての機能が東京に集中している。
たとえば、丸の内は面積としては東京駅前のわずかなエリアだが、その中に日本を代表する一流企業が集結し、30万人近くのビジネスパーソンが働いている。
丸の内の再開発を手がけた三菱地所が「丸の内にオフィスを構えれば、午前中だけで3件の大きな商談がこなせる」と言うとおり、まさに日本のエリートビジネスパーソンの集積地である。丸の内に拠点を構える企業の売上高を合算してみると約100兆円に上り、国家予算に匹敵する。仮に丸の内が直下型地震に見舞われれば、日本の経済は瞬時に止まる。
行政も政治も、構造は同じだ。すべてを集中させ、それぞれに機能性を極限にまで高めている。だから東京は強い。世界のなかでもトップレベルだ。森記念財団の都市戦略研究所の調査「世界の都市総合力ランキング2021」によると、東京の「都市力」はロンドン、ニューヨークについで世界第3位である。パリ(4位)やシンガポール(5位)をしのぐ評価だ。
ただし、これは平時の話である。東京の場合、密集していることが利便性、快適性の高さにつながっている面が強いぶん、リスクは高い。しかも内に向けた集約化は加速度的に進む。しかも、セーフティネットがない。直下型地震が発生すれば、ひとたまりもない。一瞬で崩れる東京は危うい。
では、どうするか。結論は遷都だ。
「アフター・コロナは遷都で明けろ」田中角栄なら、そう言うだろう。
「もう東京一極集中の時代は終わった」と。
都市というのは、発展段階においては西へ西へと開発が進む。そして極限まで西に伸びると、今度は凝縮が始まる。中心地点に向け、様々な機能が凝集されていく。
現在、東京は西への発展段階が完了し、凝集の時代に突入している。しかし、これだけのリスクを抱えつつ老朽化が進んだ東京で、国家運営を続けるのはもはや無理だ。新しい時代は新しい都で開くのが自然の摂理だ。それを政治の力で実現させる。
日本はもともと時代が切り替わるタイミングで遷都を繰り返してきた国だ。「災害に備えたリスク管理」という意味だけではなく、新しい時代を迎え入れるタイミングで新しい時代の器をつくってきた。
国際都市・東京に存在の意味がなくなったと言っているわけではない。経済都市として東京はそのまま発展させ機能させていけばよい。いわゆる「商都」だ。そして、政治の中心としての機能は切り出して、岩盤が強固な場所に移し、新しい首都を形成する。
そもそも首都移転は国会で決議済みである。1990年に衆参両院で「国会等の移転に関する決議」を議決し、「首都機能移転を検討する」という基本方針はすでに決まっている。
移転先候補地についても「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」、移転先候補地となる可能性がある地域として「三重・畿央地域」と選定作業も進んでおり、世論の盛り上がりとは裏腹に、水面下で準備は着実に整いつつある。角栄なら「それを実行せよ」と言うはずだ。
アメリカのワシントンとニューヨーク、カナダのオタワとトロント、オーストラリアのキャンベラとシドニーなど、首都と最大都市が異なる国は多い。
ドイツも、東西統一後にベルリンとボンに分けて行政機関を設置している。両者は直線で約450キロメートル、鉄道・高速道路では約600キロメートルの距離だが、連邦議会はベルリンに完全に移転し、連邦政府の省庁の中核部分もベルリンに移転させている。
隣国の韓国もまた遷都を実施している。最近では、2022年1月にインドネシアが交通渋滞の激しいジャカルタからボルネオ(カリマンタン)島の東部に移す法案を可決した。残ったジャカルタは経済拠点として発展させる計画だ。
このように、首都移転は世界的に見ても決して珍しいことではない。日本も逡巡しているときではない。今がそのタイミングなのだ。
遷都は、それ自体が巨大な公共工事であり、経済を活性化させる。最も大きいのは首都移転に伴う経済波及効果だ。仮に56万人の都市形成を実現させたとすると、直接の経済効果だけに限定して試算しても、民間と公的部門の合計で約32兆円。今後のITやAI(人工知能)の波及効果も含めて考えると、全体では200兆円から300兆円にも達するという。
この三菱総研の試算は、首都機能分散を進めたマレーシアの事例を参考に算出しているものだ。1991年、当時のマハティール首相は情報化構想「マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)」実現のために首都クアラルンプールが持つ情報通信機能を引き継ぎ、さらに発展させた電脳都市「サイバージャヤ」と首相の執務室を置く新行政都市「プトラジャヤ」を建設する方針を打ち出した。
新首都の建設は2010年代から始まり、現在も続いているが、この首都機能分散がコロナ前のマレーシアの経済発展を下支えしたひとつの要因であることは間違いない。
首都移転の効用で最も大きいのは、投資効率の高さだ。同じ資金を投じるにしても、地価が高騰した成熟化した都市と、未開発の原野とでは、同じお金でできる仕事の量がまったく違う。新首都の建設に振り向けたほうが、投資資金は圧倒的に効率的に動く。
たとえば、日本でも、AIや6G(第6世代移動通信システム)など最先端を駆使した「スーパーシティ」構想が掲げられているが、「東京を最新鋭都市に造り替える」という発想は捨てたほうがいい。新しい街づくりは新しい場所で進めるべきだ。
仮に同じ資金を地方に投入すれば、東京の10倍以上の費用対効果を生む。建設スピードも速い。とりわけアフター・コロナの「ニューノーマル(新常態)」がリモートワーク、在宅勤務、ダブル・トリプルワークなどこれまでになかった形になるのであれば、従来型の発想では駄目だ。まったくの白地から新しい首都を建設したほうがいい。
首都移転により東京の負担が軽減されることも大きい。なぜならその分、東京の成長率が高まるからだ。たとえば、国土交通省によると、東京の首都機能が移転すると霞が関・永田町付近のピーク時における地下鉄の混雑率は10%程度緩和される見通しだ。首都高速道路の都心環状線を利用する車の交通量も3%程度減少する。
首都が移転することで生まれる土地も大きい。国家公務員宿舎の跡地などは東京都区部だけでも約130ヘクタールである。これは同区で供給されるマンションの2~3年分にあたる。庁舎跡地(東京都区部)も80ヘクタールで東京ドームの17個分だ。
遷都の地盤をつくったのは、ある意味、角栄だった。1972年6月11日に発表した『日本列島改造論』はその起点だったと言っていい。
ただ、角栄は権力に固執するタイプの政治家ではなかった。首相の座に恋々としたわけではない。首相として『日本列島改造論』を形にしたかった。『日本列島改造論』は角栄の政治家としての原点そのものだったからだ。
角栄の秘書官だった小長啓一に聞いたことがある。
1971年、当時通産官僚だった小長啓一が秘書官になって2週間くらいたったときのことだ。角栄が突然出身地を尋ねてきたという。
これに対し、小長が「岡山です」と返すと、角栄は「そうか、岡山か」と言った後、「岡山生まれの君にとって、雪はロマンの世界だよな」と続けたのだという。
いったい角栄が何を言いたかったのか。角栄はこの後、小長にこう言ったという。
「君にとって、雪はトンネルを抜けたら銀世界が広がっていて、それを愛でながら酒を酌み交わす川端康成の『雪国』みたいなイメージだろう。だがな、俺にとって雪は生活との戦いなんだ」
角栄の政治家としての原点はここにあると言っていい。角栄の生まれは新潟県の二田村(現在は柏崎市)という寒村である。同じ日本にありながら、冬になると雪によって大都会から遮断されてしまう寂しい村だった。「クリスマスだ、正月だ」と華やぐ都会に比べ、寒村の冬はわびしい。東京だけが栄え、地方は寂れていく。
「そんな不平等をなくさなければならない」
だから角栄は政治家になった。そして『日本列島改造論』を書いたのだった。『日本列島改造論』は角栄が理想とする日本のかたちなのだ。
東京を頂点とする歪なヒエラルキーを突き崩し、日本の国土の均衡のとれた発展を目指す。首都移転も辞さない。これこそが角栄が『日本列島改造論』に込めた思いであり、角栄にしか描けない理想の国家観だった。
日本国民がみな平等に行政・医療サービスを受け、健康に働き、天寿を全うする。当たり前の幸福を当たり前に国民みんなが享受する姿そのものだった。これは角栄にしか持ちえない庶民の視点だった。
日本の戦後政治は、吉田茂以降、角栄の前の首相だった佐藤栄作まで、出自と学閥、血脈をテコとしたエスタブリッシュメント(支配階級)が独占してきた。角栄が登場したことの最大の意味は、その流れを断ち切ったことにある。庶民階級を含めた国富の平等な再配分――。角栄はそれを目指した。
「君にとって雪はロマンの世界だよな」という角栄の言葉に、小長は「さすが田中さんは天才だった。自分は大臣秘書官になる前の2年間、立地指導課長を務め、国土開発についてはある程度の知識と経験があるとの思いがあったが、その一言で『はっ』とし、『恐れ入りました』という気持ちになった」という。
角栄は「東京という日本の中心から取り残された地方の貧しい農民の生活を救うことこそが自分が目指す政治なんだ」という自分の思いを「雪はロマンではなく、戦いなんだ」と表現することで気づかせたのだった。
『日本列島改造論』には、首都機能を分散させるアイデアや具体的な方法が詰まっている。
角栄は通産省の大臣室で4日間、朝から夕方まで6時間、ぶっ通しで『日本列島改造論』の骨子をしゃべり続けた。「まるで速射砲のようだった」と小長は言う。
「君らが東京の丸の内で酔っ払って倒れても、救急車で病院に運ばれて一晩休めば、命に別状はない。でも、同じことを北海道でやったらどうなるか。そういう格差をなくす。それが日本列島改造論だ」
角栄の話は比喩やたとえを交え、わかりやすかったが、日本列島改造論の骨格は「工場の再配置」と「交通網の整備」だった。開発から取り残された地域への工場の再配置、都市機能の分散と、農村を経由しながら中核都市をつなぐ交通網の整備だった。
9000キロメートルの新幹線鉄道網の整備によって「東京と日本列島の主要地域を1日行動圏にする」ことも盛り込んだが、基本は日本各地に25万人規模の中核都市を形成し、これを高速道路または鉄道で結ぶ発想だった。
ただ、「天才」と言われる角栄だ。1972年発刊の著書ですでに、リニアモーターカーについて言及している点はさすがだ。「車輪とレールに頼るいまの鉄道では、時速300キロメートル程度のスピードが物理的な限界である」としたうえで、超電導技術を使ったリニアモーターカー方式で第二東海道新幹線を整備すべきとしているのだ。
高速鉄道網や道路を駆使しながら日本各地に新たに形成した中核都市と連携、首都機能を分散させていく。首都移転の原点が角栄の『日本列島改造論』には込められているのだ。
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(ジャーナリスト 田原 総一朗、日本経済新聞記者 前野 雅弥)