「歴史の空白埋める」占領下、関西の暮らし 本社秘蔵写真を出版

敗戦後の1945年8月から6年8カ月にわたり、日本は米軍を主体とする進駐軍に統治された。その占領期を中心に、関西の街と人々の暮らしを毎日新聞大阪本社の秘蔵写真で描き出す「写真図説 占領下の大阪・関西――昭和20年(1945)~昭和30年(1955)」(毎日新聞大阪本社編、橋爪紳也編著)が、創元社(大阪市)から刊行された。戦中から戦後の混乱の中で、記者やカメラマンは何をどう切り取ったのか。厳しい情報統制下でも記録し続け、大切に保管されてきた報道機関のアーカイブには「歴史の空白」を埋める役割も期待されている。
毎日新聞大阪本社には、明治時代から今日に至るまでに撮影された膨大な紙焼き写真がある。項目別に整理し、一部はデジタル化して外部販売もしているが、精査が追いつかず保存庫に眠ったままの写真も少なくない。それらの利活用を考える中、新聞社のアーカイブに関心を持っていた大阪公立大研究推進機構の橋爪紳也特別教授、創元社の松浦利彦・出版企画部長と出会い、占領下の大阪・関西をテーマに2年がかりの資料発掘が始まった。
戦中戦後を題材にした写真集は、すでに数多く出版されている。しかし松浦さんによると、進駐したGHQ(連合国軍総司令部)や関連の事象に焦点を当てた写真集は決して多くなかったという。また、米軍撮影による写真は多数残されているが、情報統制下ということもあって日本人の目で被占領を捉えた写真は少なく、特に東京以外の各地の写真記録は貴重だ。「保存庫で、接収された(大阪府、兵庫県にまたがる)伊丹空港周辺の写真を見た時に『勝負できる』と思いました。沖縄の米軍基地みたいな街並みの写真がまとまって出てきて驚きました」と話す。
進駐軍の関西駐留は、神奈川・厚木に先遣隊が入った約1カ月後の45年9月25日、和歌山市上陸から始まった。大阪府下には同10月20日までに約2万8000人の米兵が駐留したとされる。接収で伊丹飛行場は「伊丹エアベース」となり、各都市の主要ビルも占領拠点とされた。デパートはPX(売店)になり、軍の将校と家族のための住まいとしてホテルや民間の邸宅も押さえられた。
臨場感のある白黒の写真は、時系列で刻々と移り変わる街や人の様子を伝える。焼け跡が広がる街頭に立てられた英語の道標。大阪近郊の駐留地を行き来する進駐軍の装甲車。車体に英語の注意書きのある市電。一方、毎日新聞社主催の選抜高校野球で始球式に臨む米軍の大佐や、決勝を観戦する兵士の姿もある。
本書はこれらを収めた「第2章 占領下の街」を柱に「第1章 大空襲と焼け野原」「第3章 戦後復興の人と暮らし」を前後に置き、全3章で構成。終戦間際の空襲被害から占領を経て立ち上がる関西の人々の生活や表情、街並みの変化を約400枚の写真を通じて浮き彫りにする。
「時代を映す資料は毎日新聞の財産であると同時に、戦中から戦後の大阪・関西を貫く歴史を語るうえで重要な資料だ」と橋爪さん。松浦さんは「歴史の空白を埋め、将来に伝え残す意義を第一に考えた。占領期特有の風物を見せる写真は希少で、資料性の高さにも着目してほしい」と語る。B5判208ページ、2970円。【長谷川容子】