沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦などの犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。77年前の1945年、日米両軍の激しい地上戦で、戦闘に巻き込まれた住民を含め約20万人が命を落とした。ウクライナではロシアの侵攻で市民にも犠牲が出ている。最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、参列者約330人が武力によらない紛争の解決を願った。
玉城(たまき)デニー知事は「平和宣言」でウクライナ侵攻に触れ、「沖縄における住民を巻き込んだ地上戦の記憶を呼び起こすものであり、筆舌に尽くしがたい衝撃を受けている。今こそ平和と命の尊さを大切にする『沖縄のこころ(チムグクル)』を世界に発信していくことが重要だ」と呼びかけた。
沖縄は今年、沖縄戦以降27年続いた米国統治から日本に復帰して50年を迎えた。玉城知事は平和宣言で、沖縄の人々が復帰前に願った「基地のない平和の島」がいまだにかなわず、「県民は過重な米軍基地負担を強いられ続けている」と強調。政府が進める米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設断念を求めた。復帰50年に合わせ、今回の平和宣言では初めて県民から意見を募集し、反映させた。
2020、21年の追悼式は新型コロナウイルスの感染拡大で県外からの招待を見送ったが、今年は3年ぶりに首相らを招待した。21年10月の就任後、初めて参列した岸田文雄首相はあいさつで「今日私たちが享受している平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ苦難の歴史の上にある。そのことを深く胸に刻みながら、静かにこうべを垂れたい」と述べた。
全国の米軍専用施設の7割が沖縄に集中していることについては、「沖縄の皆様には今もなお大きな負担を担っていただいている。このことを重く受け止め、負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げる」とした。辺野古移設には言及しなかった。
移設に伴う名護市辺野古沿岸部の埋め立てには19年2月の県民投票で反対が7割を占めており、会場周辺の一部の市民からは「帰れ」「沖縄の声を聞いて」などと抗議の声が飛んだ。
中国の軍事力強化を背景に、政府は沖縄県内の台湾に近い島々への自衛隊配備を進める。島が戦場になった77年前の体験から、県民には台湾有事など沖縄周辺での軍事的緊張の高まりを懸念する声も上がる。追悼式後、岸田首相は報道陣の取材に「首脳外交を含む外交努力が求められている。しっかり進め、沖縄における平和を守っていく努力をしたい」と語った。
式には衆参両院議長や各遺族会の代表らが参列。正午に1分間の黙とうをささげた。国籍や民間人、軍人の区別なく沖縄戦の戦没者らの名前を刻んだ公園内の「平和の礎(いしじ)」には、今年新たに55人の名前が刻まれた。総刻銘者数は24万1686人となった。【比嘉洋】
沖縄戦
太平洋戦争末期、米軍は日本本土を攻略する拠点とするため沖縄に侵攻。1945年3月26日、沖縄本島西側に浮かぶ慶良間(けらま)諸島に、4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。日本軍は本土決戦の時間稼ぎのため持久戦を展開し、6月23日に司令官が自決するまで約3カ月にわたる地上戦となった。犠牲者は日米で約20万人。住民約9万4000人(推計)が戦闘に巻き込まれるなどして命を落とした。沖縄出身の軍人・軍属2万8228人と合わせ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。住民同士を手にかけ合った「集団自決」や、日本軍による住民の壕(ごう)からの追い出し、殺害も起きた。