複雑化する岸田首相の政局対応 時間が止まり、その瞬間からすべてが変わる――。そんな大事件が参院選投開票(7月10日)目前の8日に起こった。安倍晋三元首相が選挙応援での街頭演説中に銃撃され、死去した事件だ。 今年最大の政治決戦で、岸田文雄政権の命運が懸かる参院選だが、岸田首相以上の存在感を示し、「選挙戦の隠れた主役」(自民長老)とも呼ばれていた安倍氏の非業の突然死。選挙結果だけでなく、その政治的影響は選挙後の岸田首相の政局運営も左右しかねない。 そもそも、年明け以降の政権運営をめぐっては、岸田首相と安倍氏のあつれきが目立ち、最近では「選挙後をにらんでの自民権力者たちの闇試合」(同)も取りざたされていた。 その安倍氏が死去したことで、最大派閥・安倍派の今後の動向も含め、選挙勝利が予測される岸田首相の政局対応もより複雑化し、自民党内の権力闘争の構図も一変する可能性が高いからだ。 安倍元首相が凶弾に倒れたのは8日昼前で、場所は奈良市の近鉄大和西大寺駅前。至近距離からの狙撃によって心肺停止となり、その時点で岸田政権は激震に見舞われた。 歴代最長の首相在任期間を誇り、しかも、退陣後は圧倒的党内最大派閥・安倍派の領袖となった安倍氏。その存在感と党内影響力は岸田首相をはるかにしのぎ、しかも、ロシアの軍事侵攻によるウクライナ危機という「戦後最大の国難」(岸田首相)への対応でも発言力が際立っていた。 もともと、安倍氏は岸田首相と当選同期で選挙区も近く、年齢も4歳違い。「初当選以来の親しい友人として互いに助け合ってきた」(岸田首相)間柄だ。 ただ、党内有数の保守派論客の安倍氏に対し、岸田氏は、リベラルの牙城とされる宏池会(岸田派)の領袖だけに、憲法改正や安保防衛政策での意見対立は隠せず、岸田政権発足後は政権運営や政策決定を巡る双方のあつれきが「政局の波乱要因」となってきた。 遊説打ち切りを決めて自衛隊機で帰京した岸田首相 そうした状況下での安倍氏の突然の死去。遊説先の山形県で事件の一報を受けた岸田首相は、すぐさま遊説打ち切りを決め、自衛隊機で帰京。首相官邸で待ち構えていた記者団から政局への影響を聞かれた岸田首相は「今、懸命の救急救命措置が行われている最中なので、今後の政局に与える影響には触れるべきではない」と語ったが、その目は潤んでいた。 官邸筋によると、安倍氏が頸部に銃弾が命中して倒れ、心肺停止となった時点で「事実上の即死」とみられ、その旨は岸田首相にも伝えられていたとされる。だからこそ、岸田首相は閣僚全員に即時帰京を指示し、遊説続行を模索していた茂木敏充幹事長ら党役員にも党本部に戻るよう要請したのだ。
複雑化する岸田首相の政局対応
時間が止まり、その瞬間からすべてが変わる――。そんな大事件が参院選投開票(7月10日)目前の8日に起こった。安倍晋三元首相が選挙応援での街頭演説中に銃撃され、死去した事件だ。
今年最大の政治決戦で、岸田文雄政権の命運が懸かる参院選だが、岸田首相以上の存在感を示し、「選挙戦の隠れた主役」(自民長老)とも呼ばれていた安倍氏の非業の突然死。選挙結果だけでなく、その政治的影響は選挙後の岸田首相の政局運営も左右しかねない。
そもそも、年明け以降の政権運営をめぐっては、岸田首相と安倍氏のあつれきが目立ち、最近では「選挙後をにらんでの自民権力者たちの闇試合」(同)も取りざたされていた。
その安倍氏が死去したことで、最大派閥・安倍派の今後の動向も含め、選挙勝利が予測される岸田首相の政局対応もより複雑化し、自民党内の権力闘争の構図も一変する可能性が高いからだ。
安倍元首相が凶弾に倒れたのは8日昼前で、場所は奈良市の近鉄大和西大寺駅前。至近距離からの狙撃によって心肺停止となり、その時点で岸田政権は激震に見舞われた。
歴代最長の首相在任期間を誇り、しかも、退陣後は圧倒的党内最大派閥・安倍派の領袖となった安倍氏。その存在感と党内影響力は岸田首相をはるかにしのぎ、しかも、ロシアの軍事侵攻によるウクライナ危機という「戦後最大の国難」(岸田首相)への対応でも発言力が際立っていた。
もともと、安倍氏は岸田首相と当選同期で選挙区も近く、年齢も4歳違い。「初当選以来の親しい友人として互いに助け合ってきた」(岸田首相)間柄だ。
ただ、党内有数の保守派論客の安倍氏に対し、岸田氏は、リベラルの牙城とされる宏池会(岸田派)の領袖だけに、憲法改正や安保防衛政策での意見対立は隠せず、岸田政権発足後は政権運営や政策決定を巡る双方のあつれきが「政局の波乱要因」となってきた。
遊説打ち切りを決めて自衛隊機で帰京した岸田首相
そうした状況下での安倍氏の突然の死去。遊説先の山形県で事件の一報を受けた岸田首相は、すぐさま遊説打ち切りを決め、自衛隊機で帰京。首相官邸で待ち構えていた記者団から政局への影響を聞かれた岸田首相は「今、懸命の救急救命措置が行われている最中なので、今後の政局に与える影響には触れるべきではない」と語ったが、その目は潤んでいた。
官邸筋によると、安倍氏が頸部に銃弾が命中して倒れ、心肺停止となった時点で「事実上の即死」とみられ、その旨は岸田首相にも伝えられていたとされる。だからこそ、岸田首相は閣僚全員に即時帰京を指示し、遊説続行を模索していた茂木敏充幹事長ら党役員にも党本部に戻るよう要請したのだ。