今回、最初に紹介したい記事はこちらです。
『安倍氏「国葬」待望論』(産経新聞7月13日)
先週水曜、産経新聞が一面トップで大きく書いた。銃撃されて亡くなった安倍晋三元首相の国葬を「待望」とあるので主張がアツい内容かと思いきや、読んでみると印象が違った。
小見出しには「法整備や国費投入課題」とある。記事の序盤では《元首相の葬儀に国費を投じることには批判的な意見も根強い。》と早々に書いている。
さらに《過去の例に照らせば、国葬となる可能性は高くない。法的根拠となる国葬令は昭和22年に失効している。》とも。
そして《最近では内閣と自民による「合同葬」が主流で、安倍氏もこの形式となる可能性が有力視される。》という一文すら。
戦後の首相経験者の「追悼」
つまりこの記事の味わい方としては、自民党内や保守層から「国葬」を求める声が上がっているけど「うーん、でも難しいのかなぁ……」という産経師匠の思いを感じたのです。だから期待を込めて待望論と大きく書いたように読める。
この記事では「戦後の主な首相経験者の追悼」をまとめていた。わかりやすいので引用します。
〈・「国葬」 吉田茂氏(昭和42年) 特徴 国の儀式として全額国費で実施。国葬の根拠となる国葬令は戦後廃止されていたが、生前の功績を鑑みた
・「国民葬」 佐藤栄作氏(昭和50年) 特徴 内閣と自民党、国民有志が共同で実施。費用はそれぞれが支出した
・「合同葬」 大平正芳氏(昭和55年)、岸信介氏(昭和62年)、中曽根康弘氏(令和2年)ら 特徴 内閣と自民党が実施。経費の一部を国費から支出する。現職首相のまま死去した大平氏以来の慣例〉
こうしてみると昭和55年(1980年)以降は合同葬という流れがよくわかる。吉田茂氏の国葬もかなり異例であったことがわかる。
産経は最後に《国際社会で日本の存在感を高めた功労者の葬儀をどう執り行うのか、政府の対応を国民や国際社会が注視している。》と締めています。
これを読んで、どんな形式になるにせよ、これから様々な議論が出て、検討されていくと予想したのです。
すると2日後。
『安倍元首相の「国葬」 ことし秋に行う方針 岸田首相が表明』(NHK NEWS WEB7月15日)
岸田首相にしてはとてつもなく早い決断。さらに気になったのは「民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく」という岸田首相の言葉でした。
「民主主義への挑戦」という紋切型フレーズの危うさ
ふりかえってみると今回は「民主主義」を含んだ表現があちこちで使われた。たとえば銃撃事件直後に「民主主義の危機」「民主主義への挑戦」という言葉が新聞の社説などで多く言われた。
それに対し、容疑者はどうやら政治テロではなく個人的な恨みで犯行に及んだらしいので、民主主義の危機とは違うのでは? という声も出た。これは新聞による「これさえ言っとけばいいだろ」という紋切型フレーズ、「何か言ってるようで言ってない」という伝統的な所作に対する批判の意味も含まれていたと思う。ちなみに私はいろんな人や意見を見聞きできる街頭演説はフェスだと考えるので、容疑者があの場を狙ったことや、私たちからフェスの楽しみを奪ったことは民主主義の破壊だと感じました。
民主主義に対するいろんな論議がありましたが、むしろヤバいのはこれからではないでしょうか。
民主主義に必要な態度の一つは、意見が割れ、賛否がある議題ほど丁寧に多角的に議論を重ねていくこと。しかし岸田首相は国葬論議でそのようなプロセスをすっ飛ばした。「民主主義を断固として守り抜く」との言葉と相反する。国葬をいち早く表明することで保守コア層に見放されないよう自分を「守り抜いた」だけでは?
国葬の場合は「2億円以上はかかるとみられる」
産経も指摘したように議論があるのは税金投入の件が大きいからです。最近の中曽根氏の合同葬では政府は約9600万円を支出。これをもとにすると国葬の場合「2億円以上はかかるとみられる」(東京新聞7月16日)との試算もある。やはりまだ様々な議論が必要な気がする。しかしタブロイド紙によっては国葬に慎重な官邸内の意見を「抵抗勢力」と見出しに書いていた(夕刊フジ7月15日付)。もっと冷静になったほうが……。
岸田首相の発表の前、毎日新聞のコラムではこんなくだりがあった。
《例えば憲法改正では岸田氏も含めて「改憲が宿願だった安倍さんの遺志を継ごう」という声が強まっていくのではないだろうか。ムードに流されない議論が必要だ。》(7月13日・与良正男専門編集委員)
最近の風潮にも触れている。
《批判なき政治は独裁を生む。ところが最近、批判は「悪口」だと見なされて、いけないことだという風潮がある――と私は再三、書いてきた。事件を機に権力批判を封じる(あるいは控える)空気がさらに広がるのを危惧する。》
今回は批判どころか議論すらあっという間に封鎖された。岸田首相の決断は民主主義を守り抜くどころか「民主主義への挑戦」にみえてしまう。これをきっかけに今後も次々に挑戦がおこなわれるのだろうか。
注目したい追悼方式は…
国葬か国民葬か合同葬か。冒頭にあげた産経新聞の記事にある解説をもとに考えると、私が注目したいのは「国民葬」です。
「国葬」は吉田茂氏のときも異例であったことがわかるし、「合同葬」だと「安倍さんの首相としての任期は過去の合同葬で見送られた誰よりも長い」という声も出るだろう。その点「国民葬」(過去では佐藤栄作)だと安倍氏の首相在任期間はまさに佐藤栄作氏と双璧だし、ポイントは「内閣と自民党、国民有志が共同で実施。費用はそれぞれが支出した」という点です。これだと税金投入は一番少なそうだし(かからない?)、すでにニュースで伝えられるように安倍氏を悼む人々の多さを考えると国民有志からかなり費用が集まりそう。むしろ国葬より盛大な式ができる予感もする。
様々な意見が出れば、各形式に対するメリット・デメリットなどもっと細かい議論も出てくるはずだ。そしてまた考えることができる。
岸田さん、もう少し議論したらどうでしょうか。
(プチ鹿島)