京橋大空襲から77年 「2度と繰り返してはいけない」遺族らが追悼

米軍による終戦前日の「京橋大空襲」から77年となる14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口で被災者慰霊祭が営まれた。遺族ら約200人が参列し、読経の響くなか祭壇前で手を合わせて犠牲者を追悼した。
京橋大空襲は、1945年3月に始まった大阪大空襲の8回目で、最後のものになった。爆撃機B29の編隊が、大阪城近くにあった旧陸軍の兵器工場「大阪砲兵工廠(こうしょう)」を集中爆撃した際、近くの旧国鉄京橋駅にも数発の1トン爆弾が落下した。身元が判明しただけで二百数十人が死亡し、遺体が見つからなかった人も含めると500人以上が犠牲になったとされる。
慰霊祭は世話人会が55年に始め、今夏で68回目。この日初めて参列した兵庫県西宮市の直川時雄さん(93)は当時16歳で、鉄道で和歌山県の実家に帰省する道中だった。京橋駅から約20キロ離れた旧国鉄上野芝駅(堺市西区)付近でも「ドドドーン」という遠雷のような爆音が腹に響いたという。空襲直前には直川さんも京橋駅にいたため「1時間違えば影も形もなかったと思う」。
ロシアによるウクライナ侵攻など、世界では市民の平和が脅かされる事態も起きている。直川さんは「当時は道ばたで人が亡くなっているのを見ても何とも思わなかった。悲惨なものを悲惨と思わせなくする戦争は2度と繰り返してはいけない」と話した。【清水晃平】