安倍晋三元首相の「国葬(国葬儀)」の日を迎えた。
沖縄県・尖閣諸島や、北朝鮮による日本人拉致の問題に関わってきた者として、首相在任中だった安倍氏に対し、私は厳しい意見を述べることが多かった。某民放番組にゲスト出演された安倍氏に、「拉致被害者救出に自衛隊の活用を!」と直談判したこともある。
「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍氏が目指していたところは、戦後体制によって失われた日本の尊厳を取り戻し、世界平和に資するという私のそれと同じであったと思う。
教育基本法を改正し、戦後軽んじられてきた「伝統と文化」を尊重し、危険視されてきた「国を愛すること」を堂々とうたうなど、確かな足跡を残しながらも、日本はまだ真の意味での独立国には程遠く、志半ばで凶弾に倒れたというのが実情であったろう。
恥ずかしながら告白すれば、その後の諸外国からの反応の大きさは、私の予想をはるかに上回るものであった。世界において、ここまで存在感を発揮し、敬愛されていたのかと感じ入った。
対照的に、国内においては死者にむち打つかのような「国葬反対」の声が大々的に報じられ、また連日、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と自民党議員の「ズブズブの関係」ばかりを扱う地上波テレビの報道に、強い違和感を覚えざるを得ない。
本来、安倍氏は理不尽な殺人事件の被害者である。そして、彼の命を守る責任があった警察は「世紀の大失態」を犯した。だが、そこに国民の関心が集まらないように、意図的な報道が行われているように思えてならないのだ。
私にとって、これには既視感がある。
今から12年前の9月、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件が起きた。当時の民主党政権は、当初、現場映像の公開を渋っていた。そこに義憤を覚えた海上保安官・一色正春氏がユーチューブに映像を投稿したことによって、「尖閣の海で何が起きたのか」を国民は知ることができた。事実を知った国民からは、政府の「事なかれ対応」への怒りの声がわき上がった。
だが、映像の投稿者が判明するまでの間、テレビを付ければどのチャンネルも「犯人捜し」をしていた。つまり、公務員なのに秘密を漏洩(ろうえい)したのは、どこのどいつだということにばかりスポットライトを当て、その背後にあった巨悪(=国の尊厳を売るような民主党政権の対応)を隠すという、「目くらまし」報道を行っていたのだ。
かくもメディアはいまだに「戦後体制」下にある。
その現実を肝に銘じ、そこから脱却することを目指した安倍氏の遺志を継ぐ決意を新たにし、謹んで「安倍さん」を見送りたい。
■葛城奈海(かつらぎ・なみ) 防人と歩む会会長、皇統を守る国民連合の会会長、ジャーナリスト、俳優。1970年、東京都生まれ。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会幹事長。著書・共著に『国防女子が行く』(ビジネス社)、『大東亜戦争 失われた真実』(ハート出版)、『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社)。