第二次世界大戦中に県内の軍需工場で働いた「台湾少年工」の一員だった東俊賢(とうしゅんけん)さん(92)が29日、神奈川県横須賀市の記念艦「三笠」の講堂で講演した。東さんは同市にあった海軍航空技術廠(空技廠)で特攻機「桜花」の試作などに関わった体験を日本語で回想し、「何のために戦ったのか分からない。戦争に本当に嫌な思いがした」と語った。
日本は労働力不足を補うため、植民地としていた台湾で12~20歳の少年を募集した。1943~45年に約8400人が海を渡り、座間市と海老名市にまたがる高座海軍工廠などで働いた。講演会は、元少年工と交流を続けている「日台高座友の会」が主催し、約150人が集まった。
桜花は機首に爆弾を搭載し、敵艦船の近くまで母機につり下げて運び、火薬ロケットの推進力で体当たりする特攻兵器。東さんは溶接工として試作に携わり、工場を訪れた特攻隊員を目にすることもあった。生産は急ピッチで進められて残業に次ぐ残業の日々だったが、「日本の国土を守りたいという大きな気持ちで、お国のために頑張った」と振り返った。あえなく敗戦を迎えると、「結局、神風は吹かなかった」と感じたという。
東さんは台湾に帰った後、小学校の教員などを経て、電子部品会社を創業し、従業員計600人が働く規模に成長させた。今後の日台関係について「お互いによく助け合っていくことが非常に大事だ。戦中に受けた私の思いをみなさんの心の糧として、日台の良き絆になってほしいと願ってやみません」と述べ、講演を結んだ。
会場には、空技廠で桜花を設計した三木忠直(1909~2005年)の次女の棚沢直子さん(79)も駆け付けた。東さんは生前の三木と面会を重ねていた。戦後の三木は東海道新幹線や小田急電鉄の特急ロマンスカーなどの車両開発を手掛けており、講演会で発言に立った棚沢さんは亡き父の歩みについて「平和に貢献しようと(鉄道車両を)作った」と説明した。【木村健二】