11日午前3時15分ごろ、東京都世田谷区成城9の元プロ野球選手、村田兆治さん(72)方から出火し、木造2階建て住宅の2階部分約40平方メートルが燃えた。2階の一室から心肺停止状態の村田さんが見つかり、搬送された病院で午前6時ごろ死亡が確認された。警視庁成城署によると、死因は一酸化炭素中毒とみられる。
成城署や東京消防庁によると、出火当時、住宅内には村田さんしかいなかった。2階リビングが激しく燃えていることから火元はリビングとみられる。消防隊員が駆けつけた際、村田さんは2階の別の部屋で、何かにもたれかかるようにして床に座った状態で発見された。パジャマのようなものを着ており、やけどなど目立った外傷はなかったという。成城署などが詳しい出火原因を調べている。
近所に住む70代男性は「午前3時ごろにガラスの壊れる音がして外に出ると、民家の2階から2~3メートルほど炎が上がっていたので119番した。本当に気の毒だ」と話した。
現場は小田急線成城学園前駅から北に約1キロの住宅街。
村田さんは今年9月23日、羽田空港(東京都大田区)の保安検査場で検査員に暴行したとして暴行容疑で逮捕され、2日後に釈放されていた。
村田さんは1949年、広島県生まれ。福山電波工高(現近大福山高)から68年にドラフト1位で東京オリオンズ(現ロッテ)に入団した。マサカリ投法と呼ばれた足を高く上げる独特のダイナミックなフォームで、速球とフォークを武器に先発、救援投手として活躍。83年に肘の手術を受けて84年終盤に復帰し、85年は日曜日に先発するローテーションで「サンデー兆治」と呼ばれ、17勝を挙げて完全復活した。
89年には39歳で最優秀防御率に輝くなど、最多勝1回、最優秀防御率3回、最多奪三振4回、最多セーブ1回のタイトルを獲得した。通算成績は604試合登板で215勝177敗33セーブ、防御率3・24。90年を最後に現役を退き、95~97年はダイエー(現ソフトバンク)で1軍のコーチを務めた。
2005年に野球殿堂入りを果たし、08年からは最も活躍した先発完投型の投手を表彰する「沢村賞」の選考委員を務めた。「離島甲子園」として知られる全国離島交流中学生野球大会の開催を提唱し、離島振興にも力を注いだ。【木原真希、浅妻博之】