父は南方で戦死 大本営発表知る87歳、大学生に「批判の目持って」

第二次大戦中に出征した父を太平洋のマーシャル諸島で亡くした愛媛県宇和島市出身の山村一郎さん(87)が7日、愛媛大学で講演した。戦時中は人々が大本営発表をうのみにし、正しい判断ができなかったことから「常に批判の目を持ってほしい」と呼びかけ、約30人の学生が熱心に耳を傾けた。
当時の海軍航空隊に所属していた山村さんの父武雄さんは1944年2月6日、36歳で戦死した。大本営発表を掲載した同月26日の毎日新聞紙面では「クエゼリン島並にルオット島を守備せし約四千五百名の帝国陸海軍部隊は(中略)二月六日最後の突撃を敢行全員壮烈なる戦死を遂げたり」とある。
当時9歳だった山村さんには父の記憶があまりなく、家族は半月ほど遅れて武雄さんの死を知らされたという。戦時中には米軍の爆撃機が田舎町である吉田町(現宇和島市)上空を飛ぶこともあり、小学校では警戒警報が鳴る度に授業を中断して避難した。当時を「ろくに勉強もできなかった」と山村さんは振り返る。
1945年8月15日、敗戦を告げる玉音放送は近所の人と聞き、周りの大人の言葉で戦争が終わったことを理解した。ある青年が「自分は絶対に降伏しない。最後まで一人でも戦う」と息巻いていた様子は、今でも忘れられないという。大学時代には英語やロシア語を学び、その後貿易会社に勤めた。
山村さんは2003年、他の遺族らとマーシャル諸島を訪れた。父たちが命を落としたのは逃げ場のない小さな島で、「ここでどれだけ、日本に残した妻や子に会いたかったか」と改めて強く感じた。
武雄さんの遺骨や遺品は家族の元に返ってこなかった。山村さんは、収集された戦没者の遺骨と照合するために採取したDNAを厚生労働省に申請して返還を待つが「生きている間には(遺骨は)返ってこないかもしれない」とも考えている。
島を訪れた際に住民から渡され、当時の製品だと分かったキリンビールの瓶は現在も自宅で大切に保管している。それほどに、遠い地で戦死した日本兵の手がかりは貴重だという。
受講した法文学部1年の辻花都咲(かづさ)さん(19)は「山村さんはお父さんの記憶が少ないからこそ、どういう生き方をしていたか知りたいと思うのだと感じた。家族から戦争の話を聞いたことはないが、『自分の親族はどうだったのだろう』と考えるきっかけになった」と話した。【斉藤朋恵】