被爆証言誌を発行する市民団体「長崎の証言の会」事務局長の森口貢さんが13日、間質性肺炎のため86歳で死去した。「被爆者の証言は原爆の恐ろしさを告発し、忘却を戒めてきた」。最期までそう語り、被爆証言の記録に尽力した。共に活動した被爆者や市民らは突然の別れを惜しんだ。【高橋広之、樋口岳大】
米軍が長崎に原爆を投下した1945年8月9日、8歳だった森口さんは父の故郷の佐賀県白石町に疎開していた。爆心地から約48キロ離れていたが、原爆の衝撃波と思われる強風を感じ、長崎市の方角の西の空に立ち上るきのこ雲が見えたという。
10日ほどして自宅がある長崎市内に戻った。焼け野原のあちこちで遺体を焼く煙が上がる異常な光景を見たが、ショックで感覚がまひし、何も感じなくなっていた。当時19歳だった姉は爆心地から約3キロの軍需工場で被爆し、多重がんに苦しんだ末、41歳で亡くなった。
森口さんは戦後、小学校教諭を約40年務めた。退職後に被爆証言誌を発行する「長崎の証言の会」に入会し、19年前から事務局長を務めた。証言誌は1969年の創刊から延べ2000人超の被爆体験を収録し、現在も発行が続く。新たな証言者が見つかる度に森口さんたちは聞き取りをし、記録していった。
自らも修学旅行生らに体験を語った。14年には、被爆遺構を案内した横浜市の中学生から「死に損ない」などと暴言を吐かれてショックを受けたが、全国から励ましの手紙や、生徒から謝罪の手紙が届いたことで立ち直った。22年5月まで被爆遺構巡りの案内を続けた。
ロシアがウクライナを侵攻して核兵器の使用を示唆していることに強い憤りを持ち、毎日新聞の記録報道「ヒバクシャ」では「原爆はその場にいる者を皆殺しにする兵器だ。核兵器を使ったらどうなるのか。世界に伝わっていない」と訴えた。
遺志受け継ぎ活動を
長崎の証言の会会員の被爆者、山川剛さん(86)は「森口さんは正義感が強く、(戦争や核兵器使用に向かう)世の中の動きを厳しく批判する姿が印象的だった」と語った。同じ1936年生まれの森口さんとの別れに「私も『これが最後』という思いで講話をしているが、『必ず遺志を継ぐ人はいる。平和への思いが途絶えることはない』と確信している」と語った。
同会運営委員の城臺(じょうだい)美弥子さん(83)は「小学校教諭時代から50年近く共に歩いてきた。証言の会が続いてきたのは引っ張ってこられた森口さんのおかげ。悲しくて言葉が出ない」と語った。同会顧問で被爆者の医師、朝長万左男さん(81)は「活発で、国内外の核を巡る情勢に詳しく、鋭い発言をする人だった。残念だ」と肩を落とした。
高校生平和大使派遣委員会共同代表の平野伸人さん(75)は「98年に平和大使を初めて米ニューヨークに派遣した際に、森口さんが団長を務めてくれた。平和への強い思いを持った人だった」と惜しんだ。
森口さんらが聞き取った証言が収録された2022年版の証言誌は月内に発行予定で、編集長の山口響さん(46)は「森口さんは、核兵器の非人道性が国内にも世界にも十分伝わっていないと感じながら、証言の記録運動を続けていた。その思いを受け継いで活動を続けていきたい」と語った。