攘夷の激論戦わせた? 徳川斉昭が藤田東湖に宛てた書簡新発見

岡山県倉敷市の国指定重要文化財「旧野崎家住宅」は20日、幕末の水戸藩主、徳川斉昭(1800~60年)が、斉昭の側用人で熱烈な尊王攘夷論を展開したことで知られる藤田東湖(1806~55年)に意見を求めるなどした書簡類16点が見つかったと発表した。いずれも新発見の史料という。
同住宅や、史料調査にあたった岡山県立博物館の横山定・副館長(日本近世史)によると、東湖の子孫から野崎家当主で貴族院議員も務めた武吉郎(1848~1925年)に直接、譲渡されたものとみられる。
注目は、強引に開国を迫った米国にどう対応するかについて斉昭が自らの率直な思いを述べ、東湖に意見を求めた書簡。攘夷論者だった斉昭は1853年のペリー来航後、老中の阿部正弘の求めで幕政に関わるようになっていた。日米和親条約締結後の55年(安政2年)の書簡では、米国船に「精兵の者」を入れ、一気に「船中の夷(米国人)切殺」と主張している。
安政元年の書簡でも、同様の主張を展開した上で、英国やフランスなど他国が米国船への仕打ちについて聞いてきたら「おちつきはらつて、強訴(米国が長崎ではなく、強引に浦賀に来たこと)の上不礼」をしたので、「国法通り」にしたと言えば、威嚇になる、とも述べている。
斉昭の主張は、歴史上は実行されなかった。書簡を受け取った東湖がどう応えたのか、などは「今後の研究課題」としている。
この日はほかに、野崎家文書(約10万点)の中から、大久保利通や勝海舟、木戸孝允、三条実美らが岩倉具視に宛てた書簡類なども初めて公開した。計約100点の書簡類は2月に資料集として発刊するほか、一部は2023年1月7日~2月19日に県立博物館(岡山市北区)で公開する。問い合わせは旧野崎家住宅(086・472・2001)。
【小林一彦】