《数多い美智子さまスタイルの中でも傑作にあげられる》皇室ファッションを確立した「美しすぎた喪服」

気品溢れる装いの裏には、やんごとなき「皇族意識」がある。元朝日新聞記者でファッションジャーナリストの堀江瑠璃子氏による「美智子さま・雅子さま・愛子さま『華麗なるお召し物の系譜』」の一部を公開します(月刊「文藝春秋」2022年2月号より)。
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私が朝日新聞で仕事をしながらファッションを取材し始めたのは1970年代の後半だった。当時はファッションというと「女、子供のおしゃれの話」と敬遠されて、せいぜい家庭欄で「今年はスカート丈がもっと短くなる」などと紹介される程度。だが、世界的には米国でウーマンリブ活動が全盛となり、女性のライフスタイルや、経済・文化・社会風俗としてもファッションが盛り上がっていく面白い時代だった。あれから50年、ファッションは変容し、常識は覆され、タブーは取り払われ、ファッションはついに家庭欄を飛び出し一面を飾るようになった。
そんな時代のうねりの中で、常に格調高く、日本の美を世界に向けて表現してきたのが、「皇室ファッション」だ。多くの女性が憧れるこの日本独特のジャンルを確立したのが、上皇后・美智子さまであるのは論を俟たない。
「あのかたの感性は一種独特なので、予想がつかないので困るのよ。特に洋の喪服の場合は、帽子だけでなくヴェールのこともありますからね」
2004年に亡くなった高松宮妃喜久子殿下が私にこう話されたのは、1989年のことだった。それまで皇室ファッションを牽引してこられた妃殿下であり、徳川家の血を引くセレブ中のセレブ。昭和が終わり、皇族方がお召しになった喪服について私は喜久子さまに取材する機会を得たのだった。喜久子さまがおっしゃった「あのかた」とは、他ならぬ美智子さまのことだ。
死者に近い人ほど長いヴェールをかぶる
1989年1月9日、昭和天皇が亡くなられた翌々日、即位後朝見の儀で、美智子さまは黒のロングドレスにウエストまでの長いヴェールをつけられていた。ヴェールの縁とドレスの裾には、黒のサテンがあしらわれている。
日本の皇族のお召し物は明らかに英王室をお手本にしてきた。こうした黒い喪服のドレスがまさにそうで、女性の間に黒い喪服を流行らせるきっかけを作ったのはエリザベス女王の高祖母にあたるヴィクトリア女王(1819~1901)だ。夫君アルバート殿下の葬儀で黒ずくめのロングドレスをお召しになった。
だが、ウエストまで届くほどの長さのヴェールというのは英国でも一般的ではない。死者に近い人ほど長いヴェールをかぶるというのは、ヨーロッパの習慣だが、これは美智子さまが創り出されたスタイルなのだ。喜久子さまが「あのかたの感性は一種独特なので」とおっしゃった理由がここにある。
美智子さまのデザイナーを長く務めた植田いつ子さんに、この喪服について聞いたことがある。美智子さまのファッションについてのリクエストを具現化したデザイナーだ。
「絹のロングをお作りしましたが、サテンの幅やヴェールの長さは、全体のシルエットのバランスで考えさせていただきました」
昭和天皇のご葬儀「陵所の儀」でも、美智子さまの帽子のヴェールは、頭から腰までを透けるオーガンジーで覆う独特のスタイルだった。いま写真で拝見すると、ヴェールのすその広がりとドレスのすその広がりがシンクロしていて、美しい。喪服姿の女性は美しい――。よくいわれることではあるが、数多い美智子さまスタイルの中でも傑作にあげられる。
喜久子さまの説明によれば、皇族が勢揃いするこういった場では、すべては皇后さまが最優先。皇后さまが選ばれる服のスタイル、色などと「かぶり」がないように、女官から女官へ伝令が回る習慣だという。喜久子さまも美智子さまを尊重した上で、儀式では「ローブ・モンタント」と呼ばれる襟の詰まった袖の長いロングドレスをお召しになった。
「最高の慎みの気持ちを表したいので、いまのヨーロッパの習慣にとらわれず、サテンのついたローブ・モンタントを用意しました」
お目にかかったとき、喜久子さまはこうおっしゃっていた。
なぜ皇族は和の礼服をお召しにならないのか
そもそも、なぜ皇族は和の礼服をお召しにならないのか。国家の近代化、西洋化にあわせるかたちで明治以降、第一礼装は洋装とされてきたという理由もあるが、そこには宮中伝統の考え方もあるようだ。喜久子さまのお言葉を、私は今でも忘れることができない。
「いまのかたちの和服は、そもそも江戸時代の『下方(したかた)』の服装ですから」
これが皇族意識かとハッとさせられた。「下方」という表現を聞いたのも初めてだったが、つまり、身分の低い人たち、庶民を指す言葉である。もちろん皇后陛下を始め、各妃殿下も着物をお持ちになっている。だが、着物というのは着こなしのスタイルに大して差がないわりに帯をはじめとしていくらでもお金を掛けられる。つまりお金を持っている庶民であれば、皇族を超える着物を持つことができる。皇族が庶民と同じであってはいけない――これは喜久子さまに限ったお考えではなく、皇族に共通する意識だという。皇室ファッションは皇族としての強い自負の表れでもあるのだ。
それは美智子さまにも当てはまる。腰まで届くヴェールの喪服だけでなく、美智子さまのお召し物は、英王室をお手本にしながらも、美智子さまにしかないオリジナルの輝きを放っているからだ。
美智子さまの代名詞「小皿帽」
例えば、美智子さまファッションとして、触れずにはおけないことといえば――。それは「お帽子」と、だれもが異口同音に答え、さらにコメントを加えたがるかもしれない。ご結婚当初は、そのお帽子の制作をしていたのは、ベル・モードといわれるが、近年は「平田暁夫」が多い。
新調されるときの基本は、洋服とのアンサンブル。思い切りつばの広いものもあるが、最近は女性誌などが、「小皿帽」などと名づけている直径20センチぐらいの丸型の帽子で、花のコサージュが乗っていることもある。暁夫さんの妻で、同じく美智子さまの帽子制作を担当している恭子夫人は話す。
「果して帽子と呼べるかどうか。むしろヘア・アクセサリーの一種という言いかたのほうが、当たっているかもしれませんね」
この帽子とセットでよくお召しになるのが、ストールやマントのように肩を覆う美智子さまの「ケープ型スーツ」だ。これも美智子さまの帽子の被り方と同様、英王室には例がなく、ある意味、日本の皇室の存在感を内外にアピールしているファッションスタイルだろう。
ちなみに美智子さまのヘアスタイルも独特で、白髪の交じったウィッグをナチュラルに使いこなしていらっしゃるようだ。「老いを無理には隠さない」のが、美智子さまの流儀なのかもしれない。
美智子さまモードを演出してきたデザイナーは時代によって何人かいる。一番有名なのは、芦田淳さんだろう。仮縫いは、友子夫人も一緒に東宮御所へうかがったという。
「ファッションに関しては、抜群のセンスをお持ちで、ボタンの位置、そでの長さ、スカート丈などには、一切妥協のないかたですね」と生前の芦田淳さんは語っていた。

ジャーナリスト・堀江瑠璃子氏による「 美智子さま・雅子さま・愛子さま『華麗なるお召し物の系譜』 」は、月刊「文藝春秋」2023年2月号、および「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
(堀江 瑠璃子/文藝春秋 2023年2月号)