全国唯一の特定危険指定暴力団「工藤会」(北九州市)が起こしたとされる市民襲撃など6事件に関わったとして組織犯罪処罰法違反などの罪に問われ、26日の福岡地裁判決で無期懲役を言い渡された、工藤会理事長でナンバー3の菊地敬吾被告(50)。公判では無罪を主張していたが、判決は工藤会が起こしたとされる市民襲撃など6事件への関わりを認定した。
工藤会は現在、トップで総裁の野村悟被告(76)=殺人罪などで1審死刑判決、控訴中=と、会長でナンバー2の田上不美夫(たのうえ・ふみお)被告(66)=同罪などで1審無期懲役判決、控訴中=を欠く中、ナンバー3の菊地被告に下された実刑判決。福岡県警の捜査関係者は「菊地被告が無罪を主張していた以上、組員は言うことを信じないといけない。今回の判決を『ケジメ』として組員の離脱も進むだろう」と見立てる。
公判資料や捜査関係者などによると、菊地被告は21歳だった1990年代前半、田上被告の組織に入った。柔道経験者だった菊地被告はけんかに強く、組織内で頭角を現していった。2011年6月に工藤会最大の2次団体「田中組」組長となり、11年7月に現在の五代目工藤会が発足するとナンバー3の理事長に就任。会の運営を担う実務の最高責任者となった。
菊地被告は14年に逮捕されるまで、工藤会が年末に開いて次の年の方針を示す「事始め式」で、田上被告から「軍配」を組員の前で授かる儀式をしていた。検察側は公判で「会運営の実務を任せるという趣旨があった」と指摘した。
公判では常に上下黒色のスーツを着て、黒髪をオールバックで固めて出廷した菊地被告。「朝には計300万~400万円が入った長財布二つを持って出かけていた。運転手役と秘書役の組員が付き、道中でその財布から現金を使っていった」と自らの権勢を語った。検察官の質問には「どういう意味ですか」などと語気を強める場面もあった。
当時配下だった元組員は公判で、菊地被告が2000万円など多額の現金を運ぶこともあり「建設会社からのみかじめ(用心棒代)だと思った」と証言。法廷と別室で音声をつなぐ「ビデオリンク」方式だったが、元組員は「証言することで家族に何かあるのではと思い、怖い。被害者には正直に話したいと思った」とすすり泣いた。
福岡県警によると、22年末の県内の工藤会構成員は180人で、うち逮捕・勾留や懲役刑などで6割の約100人が活動していないという。一方、有力2次団体が関東地方で「半グレ」の若者を引き入れ、ヤミ金融など違法な資金獲得活動を繰り返しているとの見方もある。ある捜査関係者は「あくまで通過点。弱体化したとはいえ、工藤会は依然残っている。引き続き警戒しながら、壊滅を目指す」と強調した。