「核の脅威が薄まっていくよう」 退けられた被爆2世、失望あらわ

「被爆2世」の願いはまたも届かなかった。広島原爆の被爆者を親に持つ原告28人が、被爆者援護法に基づく援護を受けられないのは違憲だとして国家賠償を求めた訴訟の判決。広島地裁は7日、長崎地裁の同種訴訟に続き、訴えを退けた。
「結論ありきだ」。2世らは失望をあらわにした。 「心が沈んだ。核兵器の脅威が薄まっていくように感じた」。原告の一人で広島県被爆二世団体連絡協議会の上野勢以子(せいこ)さん(65)=広島県三次市=は判決後の集会で浮かない表情を見せた。
母和子さんは、12歳だった1945年8月6日、爆心地から約1キロ北西にある広瀬北町(現広島市中区)の自宅で被爆した。結婚して上野さんらが生まれた後も、家族に被爆体験を詳細には語らなかった。
上野さんは高校1年生の時、日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研)の前身、原爆傷害調査委員会(ABCC)から呼び出しを受けた。被爆2世に関する調査で、血液検査を受けるよう求められた。山口県の大学に通っていた時には「うつらんのか?」と同級生から心ない言葉を掛けられたこともある。こうした経験から、自分が被爆2世であることを強く意識してきた。
和子さんは糖尿病や心筋梗塞(こうそく)などの病に苦しみ、96年に63歳で亡くなった。
上野さんも体の不調を感じると、母が病に苦しんだ姿が脳裏によみがえり、「ひやっとする」という。「国に健康診断の項目数を増やしてもらい、被爆2世が抱える不安な気持ちが救われることにつながってほしい」と訴訟参加を決めた。
今も放影研の被爆2世調査を受ける。そして、子を育ててきた同じ親の立場として、自身と和子さんを重ね合わせる。「母も生前、私への影響を気にして自らを責めていたのではないか。母は何も悪いことをしていないのに」
上野さんは2022年8月、米ニューヨークの国連本部で開催された、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の関連イベントで、核兵器廃絶を訴えた。「人類は、77年たっても調査をしなければならないような核兵器をなぜ手放せないのでしょうか」。広島市の平和記念公園で、修学旅行生らに慰霊碑などの意義を伝えるガイドもしている上野さん。「スタートラインに立つような思い」でこの日を迎えた。
被爆2世の願いは届かなかったが、上野さんらの闘いは続く。「核兵器は世代を超えて体だけではなく心にも影響を与える。私たちが感じている体調面や心の不安に寄り添う道筋を、国は提示してほしい」【根本佳奈】