2023年2月6日、滋賀県愛荘町のアパートで同居していた男性に暴行し、十分な食事を与えずに衰弱死させたとして、傷害致死罪などに問われた同町の無職・小林久美子被告(57)の裁判員裁判初公判が大津地裁(畑山靖裁判長)であった。
小林被告は髪を結って腰まで伸ばし、前髪はほとんど白髪。髪の先端部分だけが金色で、かつての“はじけていた”時代の面影を残していた。
起訴状によると、小林被告は同居する息子X(21歳。傷害致死罪などで一審で懲役11年の判決、控訴中)と共謀。2019年6月から10月にかけて、無職の岡田達也さん(当時25歳)に暴行を加えたほか、食事制限して衰弱させ、敗血症性ショックで死亡させたなどとされる。
同じような虐待を繰り返していた
小林被告は今年1月、別の時期に同居していた男性3人への傷害罪でも起訴され、有罪の部分判決が出ている。裁判員裁判では、部分判決の結果も踏まえた量刑が言い渡される。
小林被告は、これまでにも何人もの人間を同じ方法で衰弱させ、刑事事件に発展しかねない虐待を繰り返していたと関係者らがXの公判ですでに証言している。
小林被告は広島県で生まれ、中学卒業後、飲食店店員などの職を転々とした。1989年に最初の結婚をしてからは離婚と結婚を繰り返し、結果的に3男2女をもうけた。
長男は20歳のときに精神を病んで自殺した。小林被告に金をたかられたためという。長女と次女と次男は、生後まもなく児童養護施設に預けられた。
2000年の夏、滋賀県守山市のスナックで知り合った男性には「吉川あいり」と名乗り、意気投合して男性が住む一軒家で同棲。2001年7月4日、男性との間にできた三男を出産した。これがのちに事件の共犯者となるXである。小林被告はXだけは児童養護施設に預けず、自分の手元に置いて可愛がった。
客に16歳の長女を100万円で身売り
長女が中学を卒業した頃、小林被告は児童養護施設から自宅に連れてきて、最初は普通に接していたものの、やがてパチンコで負けた憂さ晴らしのために殴ったり、蹴ったりするようになった。わずか16歳の長女に「生活費を入れろ。タダ飯ちゃうぞ」と怒鳴り、援助交際をさせたという。
小林被告は自分の借金をチャラにするため、その最初の客に長女を100万円で身売りした。入籍させて、好きなときにセックスさせるという関係を容認したのだ。
長女は相変わらず小林被告の家で生活を続け、「今まで育ててやったんやから金払え」「出ていくなら500万円払え」などと迫られた。食事は腐った味噌汁をかけた冷や飯が1杯だけ。長女は耐えられなくなり、逃げ出して飲食店で住み込みで働いた。
長女は最初の夫とは離婚して、別の男性と再婚した。その男性との間に男児をもうけた。だが、その男性とも離婚すると、噂を聞きつけた小林被告たちが迎えにきた。XとXの父、それにガリガリに痩せ細った男性Aも一緒だった。
計10人での不思議な同居生活
Aは顔にマジックで落書きされ、男性器を結束バンドで縛られていた。長女が知る限り、それが虐待されていた最初の男性だった。Aは暴行と食事制限で虐待されていたが、最終的には親が迎えにきたという。
それから2年後、小林被告は長女名義でアパートを借りた。そこに児童養護施設を退所した次男や次女、血縁関係のない3人の男たちが住み着くようになり、計10人での不思議な同居生活が始まった。
やがて次の虐待のターゲットは仕事を辞めた男性Bに絞られるようになった。小林被告は同居人たちにBとタイマンを張るように命じ、その様子を笑いながら見ていた。Bをはじめ、誰も逃げ出さなかったのは、小林被告が「私の父親はヤクザや。知り合いにもヤクザが大勢いて、すぐに飛んでくる。逃げたらヤクザを使って追い詰めるぞ!」と口癖のように脅していたからだ。
歯をペンチで抜かれそうに…信じ難い次女の供述
こうした状況に嫌気がさし、2011年夏頃、まずXの父親が出て行った。続いて長女と次男も相次いで出て行った。Bも虐待に耐えかねて逃げ出し、病院に運ばれたが、全治6カ月の重傷と診断されながらも、警察には被害申告をしなかった。
Bと長女がいなくなってからは、次女が家事全般を担当させられた。小林被告の次女に対する虐待は子どもたちの中でももっともひどく、事件後に捜査当局に事情聴取された次女の供述は信じ難いものだった。
「もうやられた順番は分かりませんが、殴る蹴るはもちろん、金属バットや木刀でも殴られ、髪の毛をつかんで壁にぶち当てられ、スタンガンを押しつけられたこともあった。寝ていたら顔を踏みつけられ、階段の上から突き落とされ、背中にカカト落としをされて、息ができなくなったこともありました」
気絶するまで殴られ続け、全身がアザだらけになった。小林被告は次女が痛がっている様子を見て、大笑いしていたという。暴力を受け始めてから食事制限され、食事は茶碗1杯の冷や飯が1食だけだった。理由は「働いてへんのやから、食わんでもええやろ」というものだった。
〈水は1日3杯に限定され、お風呂は何日も入れない。1人で外出するのも禁止。トイレに行くのも許可が必要でした。Xの父が家から出て行ってからは、一気にエスカレートしました。長かった髪を切られて丸坊主にされ、まつげも切られました。あつあつのヘアアイロンに手を挟まれたり、熱い油を飲まされたり、根性焼きも何度もされました。風邪薬を一気に60錠も飲まされて、トイレから出られなくなったり、歯をペンチで抜かれそうになって、血だらけになったこともありました。母の命令で、高級化粧品を万引きさせられたこともありました〉(次女の供述調書より)
家には小林被告が出会い系サイトで知り合った男たちが次から次へと出入りし、「こいつには何したってもええで」などと言われ、暴力を振るわれたり、エアガンで撃たれたりしていた。
〈それより辛かったのは母に援助交際をさせられていたことです。稼いだお金はすべて母に巻き上げられました〉(同前)
小林被告の鬼のような所業は、これだけではなかった――-。
「逃げたら殺してしまうぞ!」同居男性を虐待・衰弱死させた“稀代の悪女”がそれでも「殺人罪」に問われない理由 へ続く
(諸岡 宏樹)