12年ぶりの古里 入り交じる安堵と不安 復興拠点の避難指示解除 福島・浪江町

東電福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、福島県浪江町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が31日、解除された。解除されたのは室原、末森、津島の3地区などの計661ヘクタールで町の総面積の約3%にあたる。
解除時刻の午前10時、桜が満開の町内に避難指示解除を知らせる防災無線が流れた。この後、町内で開かれた避難指示解除式であいさつに臨んだ吉田栄光町長は、この日の解除を「非常に意味がある」としながらも「復興が登山ならば、まだ半分も登っていない。次の世代に素晴らしい古里を皆さんと一緒に残していきたい」と表情を引き締めた。
原発事故で全町避難になった浪江町では、平成29年に一部で避難指示が解除された。解除になった復興拠点内に住民登録しているのは、3月31日時点で328世帯879人。今回の復興拠点避難指示解除後も、浪江町では総面積の約8割が帰還困難区域となる。
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「12年ぶりの古里。何もなくてもいい。心が安心できる場所です」。福島市で避難生活を続ける石井絹江さん(71)は31日午前、避難指示が解除された津島地区の町営「津島住宅団地」に着くと、安堵(あんど)の表情を浮かべた。石井さんは、新たな生活に必要な物を福島市からマイカーで少しずつ運び準備を続けてきた。
だが、ここで落ち着くのが最終目標ではない。石井さんの自宅は、帰還困難区域の同町赤宇木(あこうぎ)地区にある。入居した町営住宅からは7キロほど離れている。浪江町への帰還は果たしたが、自宅へ帰れれるのはまだ先になる。今回はあくまでも通過点だ。
浪江町職員だった石井さんは定年退職の1年前、東日本大震災と原発事故に見舞われた。当時は夫の隆広さん(74)と、その両親、長男夫婦と孫2人の8人暮らし。だが、原発事故で避難を余儀なくされた一家は、石井さん夫妻、両親、長男家族の3世帯に別れ、離れ離れになった。
震災発生時、町の診療所職員だった石井さんは、泊まり込みで患者の受け入れや転院手続きなどに追われた。定年退職後は福島市と浪江町でエゴマなどの栽培に乗り出した。「震災で食料がない状況を経験し、食と農が一番大事だと痛感した」(石井さん)のが、農業を始めたきっかけだ。
「マイナスからの出発になる」と話す石井さんは今後、自分の土地で農業を営む。昨年まで借りていた浪江町内の農地は返納した。当面は隆広さんと避難生活が続く福島市と2拠点生活をしながら、帰還困難区域にある7ヘクタールの所有地でエゴマなどを育てようと考えている。
所有地に震災後、立ち入ったことはなく、石井さんは「今は除染を依頼している段階」という。最初はエゴマを試験栽培し、放射線量などを細かく調べる予定だ。除染を行い自分で納得できる安全確認ができ次第、本格的な栽培に乗り出すという。
「不安はいっぱいある。放射能との戦いも始まる」と話す石井さんだが「これからが正念場。腰を据えてやりたい」(同)と前を向く。(芹沢伸生)