坂本龍一さんが訴えた脱原発 福島事故前から活動、各地の抗議に参加

3月28日に死去した作曲家の坂本龍一さんは長年、脱原発活動に取り組んできたことで知られている。2011年の東京電力福島第1原発事故後も、精力的に発信を続けていた。
青森県六ケ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場は、原発で使い終わった核燃料から再利用できるプルトニウムなどを取り出す施設だ。坂本さんは06年、この施設が抱える危険性を訴えようと「ストップ・ロッカショ」というプロジェクトを立ち上げ、インターネット上を中心に反対運動を始めた。
それ以降は、07年の新潟県中越沖地震による東電柏崎刈羽原発の火災や山口県上関(かみのせき)町の原発建設計画などにも抗議してきた。
福島第1原発事故後の12年、25年度までに全原発を廃止する「脱原発基本法」の制定を目指すため、ノーベル賞作家の故大江健三郎さんらと共に「脱原発法制定全国ネットワーク」を設立した。同じ年には、東京・渋谷の代々木公園で開かれた脱原発を訴える「さようなら原発10万人集会」に参加し、「電気のために子どもの未来を危険にさらすべきではない」などと訴えた。
関西の市民団体「ストップ・ザ・もんじゅ」代表の池島芙紀子(ふきこ)さん(83)は、1990年に高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市、16年に廃炉決定)の運転凍結を求める署名活動を始めたところ、前触れなく坂本さんからメールによる署名が届いたことを振り返った。「まさかあの坂本さんだとは思わず、スタッフ全員で驚いた。大変励まされた」
団体が反原発を訴え、自主製作する映画で使う音楽の提供を坂本さんに依頼したところ、二つ返事で快諾したという。のちには映画のナレーションも引き受けてくれた。
池島さんは「世界的な作曲家という立場から発信してくださる、大変けうな方だった。大きな心の支えが外されてしまいショック。応援していただいた意思に添うよう、今後も活動していきたい」と話した。【土谷純一】
熊本地震の被災地にも心寄せ、ピアノ演奏
坂本龍一さんは、2016年4月に起きた熊本地震の被災者にも心を寄せた。
19年12月には全面開業した熊本城ホール(熊本市)で、自ら音楽監督を務める復興支援コンサートを開催。熊本県内の若者によるオーケストラのほか、坂本さんがかねて支援活動を続けていた東日本大震災の被災地とも音楽で結ぼうと、東北3県(岩手、宮城、福島)の子供たちによるオーケストラも参加した。
コンサート当日はクリスマスだったこともあり、坂本さんが作曲した「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲などのピアノ演奏も披露した。
公演後に坂本さんと食事をしたという大西一史・熊本市長は「非常に穏やかな方で、偉大な音楽家なのに全く気取らず、優しさにあふれていた」と振り返り「被災した熊本のために力を尽くしたいとコンサートを開いてくれた。悲しみでいっぱいだが、坂本さんの功績をしのび、これからも前向きに復興を進めていきたい」と語った。【栗栖由喜】