JR福知山線脱線事故の記憶の風化を防ごうと、遺族らが続けている「追悼のあかり」は24日、9年目を迎えた。主催者の上田誠さん(56)=大阪府八尾市=は「ここで106人もの人が亡くなった事実は忘れてはならない。『追悼のあかり』はできる限り長く続けたい」と語った。
上田さんは、事故で義理の弟、中西聡さん=当時(34)=を亡くした。普段はバイクを使っているのに、その日はたまたま1両目に乗り合わせ、惨事に巻き込まれた。奈良県内での仕事に向かう途中だった。
義母からの電話を受け、上田さんが病院に駆けつけたときには、全身を包帯でくるまれ意識はなかった。会話を交わすことなく、まもなく息を引き取った。
妻の弟である中西さんとは年齢が近く、気が合った。親類の集まりで酒を酌み交わし、夜を明かしたこともある。本当の弟のような存在だった。イベント企画会社でコンサートなどの照明や音響を担当し、小さい会社ながら生き生きとした表情で仕事について語る中西さんの姿は、今も目に焼きついている。「あんなに元気だったのに突然命が奪われた。事故の凄惨(せいさん)な光景と義弟の姿。自分のなかで衝撃が大きかった」
上田さんは当時、大手出版社に勤務し、就職情報誌の編集長を経て、キャリアコンサルタントの資格を取得。就職相談業務に携わっていた。だが、学生らを相手に「何をやりたいか」と問う自分自身は本当は何がやりたいのか。事故を機に自問自答した。そして「人はいつか死ぬ。生きているうちに好きなことをしよう」と出版社を辞めた。
家族のためJR西日本との補償交渉を引き受けていた事情もある。時間の自由がきく新たな職を探し、見つけたのが、売りに出されていたゴルフショップ。ゴルフ経験はなかったが、経験者に話を聞いたり、専門雑誌を読んだりし、なんとか開業にこぎつけた。
就職相談の経験からか、「誠さんに話を聞いてもらうと気持ちが楽になる」と別の遺族らから相談や悩みを打ち明けられることが多かった。「ゴルフをする人は話し好きが多い。お客の横について何時間でも話を聞いていられる」。事故は上田さんに深い悲しみとともに気付きを与えた。
今もショップの店頭に立つ。店内にはクラブ工房を構える。客の話をじっくり聞いてそれぞれに最適な1本を提案する。ゴルフショップの接客スタイルは自分の性に合った。出版社を辞めた決断が正解かどうかは分からない。ただ形に残る仕事はできていると自負している。
追悼行事を思いついたのは遺族らの声に耳を傾けていたときだ。事故後10年の節目を前に、「事故が風化するのは寂しい」という相談を受けていた。「何かできることはないか」。賛同してくれる人たちとともに計画を練った。当初は事故現場で風船を飛ばしたり、コンサートを開いたりする案も出たが、派手な演出よりも長く続けられることが重要と考え、始まったのが「追悼のあかり」だ。
この日、事故現場で静かに手を合わせた上田さんは「生きていたらどうなっていたかなあ」と思いをはせ、義弟にそっと語りかけた。「いつも見守ってくれてありがとう」(吉国在)