オバマ氏に抱き寄せられ「世界は核廃絶に向かう」と感じた被爆者…「首脳ら行動に移して」

危機の中で G7広島サミット<中>

2016年5月27日、広島市の平和記念公園。オバマ米大統領(当時)が被爆者と抱擁を交わした光景は、核兵器廃絶への一歩を示す象徴として世界中に伝えられた。
被爆者の森重昭さん(86)(広島市)は、あの瞬間を思い出すと胸が熱くなる。
〈核兵器を持つ国々は恐怖の論理から逃れ、核のない世界を追求する勇気を持たなければならない〉
現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏による歴史的な演説。被爆死した米兵捕虜を長年調査してきたことが認められて招かれた森さんは、感極まって涙ぐみ、オバマ氏に優しく抱き寄せられた。
その時確かに感じた。
「核廃絶に向かうはずだ」
あれから7年。森さんの目に、世界はむしろ逆の道をたどったように映る。
ストックホルム国際平和研究所が昨年発表した報告書は、冷戦後続いてきた核兵器削減の流れが終わった兆候があると指摘し、今後10年で冷戦後初めて核弾頭数が増加に転じると予測した。
ロシアは今年2月、米露間の核軍縮枠組み「新戦略兵器削減条約(新START)」の履行停止を表明。中国は30年に現在の350発から1000発に増やすとの見方も出ている。
「期待した分、無念さが大きい」と森さんはもどかしさを明かす。被爆者の平均年齢は84歳。先進7か国首脳会議(G7サミット)を前に「私たちに残された時間は少ない。世界に核廃絶を訴える最後の機会になるかもしれない」と言う。
長崎原爆の被爆者、田中 煕巳 (てるみ)さん(91)も当時、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)事務局長として演説会場にいた。
13歳の時、長崎市で被爆し、親戚5人を亡くした。国連の軍縮会議などで体験を語り、17年には被団協代表委員になり、先頭で訴えてきた。しかし、世界は動かず、被爆者の願いは届いていないと感じてきた。
実は、オバマ氏の演説には共感しながらも、わだかまりを抱えてきた。
〈空から死が降ってきて、世界は変わってしまった〉
この一文に疑問を感じた。「原爆は降ってきたのではない。米国は落とした事実を曖昧にしている。被爆者の思いに本当に向き合おうとしているのか」
現在、G7は核保有国の米英仏と、米国の「核の傘」に守られる同盟国で構成される。各国の間には、核兵器の力で相手国からの攻撃を抑止することができるとの考え方がある。
この現実を前に田中さんはサミットでも核廃絶に向けた大きな進展は期待していない。「核の抑止力で安全を保つ必要性を確認するだけで終わってしまうのではないか」と懸念する。

多くの被爆者は複雑な思いを抱きながらも、希望を見いだそうとしている。オバマ氏の演説を招待席で聴いた米ユタ州在住の加納俊治さん(77)もその一人だ。

ハワイ州出身の父親を持つ加納さんは爆心地から800メートルの自宅にいた母親の胎内で被爆。母は1歳の兄、俊男さんを腕に抱えながら吹き飛ばされ、俊男さんは2か月後に亡くなった。
15歳の時、一家で米国に移り住み、1990年代から証言活動を始め、家族の被爆体験を話してきた。妻リタさんは会場となる大学や集会を探してきては「あなたの体験が世界の平和につながる。だから話して」と背中を押してくれた。
リタさんは昨年7月に他界し、活動は中断した。しかし、核兵器の脅威が増す現状に「証言をやめるわけにはいかない」と4月、大学の研究者らにオンラインで語り、再び歩み出した。
オバマ氏の演説を今も思い出す。「被爆者の思いを代弁してくれた」。一方で、足りなかったのは「行動」だったと強く思う。
オバマ氏は広島訪問後、自国の「核兵器の先制不使用」を検討したが、米国の核の傘に守られる同盟国の反対もあり、断念した。具体的な成果を残せないまま8か月後に退任した。
困難な道だとわかっているが、広島でこそ進む議論があると考える。「首脳たちは核廃絶への道筋を示し、行動に移してほしい。その一歩を進められるかどうか、未来への分岐点となる」
焦り、失望、そして理想へと進む期待。被爆者は様々な思いを胸にサミットを迎える。