被爆後の長崎をとらえた「原爆写真」の収集・分析の第一人者で、被爆者の深堀好敏(ふかほり・よしとし)さんが亡くなった。94歳だった。
長崎市の浦上天主堂そばのカトリック信者の家に生まれ、16歳の時、爆心地から3・6キロの学徒動員先で被爆し、姉らを亡くした。
戦後は同市の浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)で事務員として働き、1979年に被爆者5人とともに「長崎の被爆写真調査会」を結成。米国戦略爆撃調査団や新聞社のカメラマンなどが撮影した写真を集め、被写体の建物や風景と被爆者の証言を照合して場所を特定し、キャプションをつける作業を続けた。分析した写真は4000枚を超え、長崎原爆資料館の展示写真のキャプションの多くも担当した。
調査会が83年に発足した長崎平和推進協会の写真資料調査部会に移行後、部会長を16年間務めた。2013~15年には長崎市から米国立公文書館に派遣され、新たな原爆写真を発掘。15年に米・ワシントンで広島、長崎両市などが開いた原爆展の写真解説を担った。
17年の平和祈念式典では被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げ、「写真の力を信じ、被爆の実相を伝える」と述べた。