八木秀次 突破する日本 安倍元首相、皇位継承への影響も憂慮していた 原理自体が崩れる LGBT法案めぐり「保守層」は岸田内閣と自民党に失望、見限り

「人は得意分野で失敗する」という。
長く外相を務めた岸田文雄首相は「外交」を得意分野と自任し、開催中のG7(先進7カ国)首脳会議で議長として指導力を発揮し、実績を上げようと考えてきた。
しかし、地元・広島であえてG7サミットを開催し、議長を務めることとの引き換えで失ったものも大きい。
1つは、被爆地から「核兵器のない世界」実現のメッセージを世界に発することで、逆に日本の「米国との核共有」や「日本独自の核兵器保有」という選択肢を閉ざしてしまったことだ。今後、日本の安全保障の足かせとなった。
もう1つは、ラーム・エマニュエル駐日米国大使らの「外圧」に呼応し、「G7に顔向けできない」として、LGBTなど性的少数者への理解増進法案の国会提出を自ら急がせたことだ。
2年前の4月、超党派議連が「LGBT差別禁止法案」をまとめているとの情報を得て、安倍晋三元首相らに「問題の所在」を最初に説明したのは私だった。
例えば、安倍氏は、「性自認」での差別禁止で「性別」の概念が崩れることを懸念した。肉体は男性だが、性自認が女性の「トランス女性」が女性用の風呂やトイレなどに入ってくることの問題は指摘されている。
安倍氏は、肉体は女性だが、性自認が男性の「トランス男性」を男性と扱うことになれば、皇位継承権者を「皇統に属する男系の男子」とする皇位継承の原理自体が崩れることまで憂慮した。
今、欧米ではLGBTや多様性、ジェンダー、環境、SDGsなどの新奇で観念的なテーマばかりを重視する政治の在り方を「アイデンティティ・ポリティックス」と呼んでいる。
高学歴のグローバル・エリートの政治家や活動家たちが行うもので、彼らは都市の裕福な家庭の出身者でもある。その中で、労働者などの庶民の生活上の課題が置き去りにされ、見捨てられた庶民はポピュリストを支持するようになっている。
米国の政治学者、マイケル・リンド氏が「新しい階級闘争」と呼ぶものだ(『新しい階級闘争』東洋経済新報社)。米国の民主党の変質が指摘されるが、岸田首相や安倍氏不在の自民党もその方向に向かっている。市井の人たちの声が聞こえなくなっている。
岸田首相は「首相として、やりたいことをやるのではなく、やらなければならないことをやる」姿勢でいるらしい(朝日新聞5月4日付)。
だが、それは「やりたいことがない」ことであるとともに、信念なく変幻自在で「空気」に流されやすいことでもある。
今回の対応で、安倍氏を支持していたような「保守層」は、岸田内閣と自民党に大きく失望し、見限りはじめている。G7サミット後にも想定しているとされる岸田首相の衆院解散戦略にも影響を与えよう。 =おわり
■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 1962年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業、同大学院政治学研究科博士後期課程研究指導認定退学。専攻は憲法学。第2回正論新風賞受賞。高崎経済大学教授などを経て現在、麗澤大学教授。山本七平賞選考委員など。安倍・菅内閣で首相諮問機関・教育再生実行会議の有識者委員を務めた。法務省・法制審議会民法(相続関係)部会委員、フジテレビジョン番組審議委員も歴任。著書に『憲法改正がなぜ必要か』(PHPパブリッシング)など多数。