いまも行方不明の息子を“囲む会” 家族の決断と思い「泣きながら前を向く…」【知床沖観光船沈没事故】

事故から1年余りが経ち、前に進み始めた知床観光ですが、乗客6人は行方不明のままです。そのうちの1人、小柳宝大さんの家族が友人らを招いて「囲む会」を開きました。家族の決断と思いとは。
楽しい思い出や、感謝の気持ちを伝える言葉の数々。今も行方不明の小柳宝大さんに宛てたメッセージです。
先週末、小柳さんの家族が開いた宝大さんを「囲む会」。地元、福岡県久留米市の会場には、友人や同僚などおよそ60人が集まりました。
小柳宝大さんの父:「皆さんに助けられて1年が経ちました。宝大もこの辺で『あとは自分たちの人生を歩いていってよ』と言っているのではないかと」。
去年4月、知床沖で乗客乗員26人を乗せた小型観光船「KAZUI」が沈没。これまでに20人の死亡が確認されましたが、6人は今も見つかっていません。
宝大さんは、駐在先のカンボジアから一時帰国をして北海道旅行を楽しんでいました。会場には、沈没した船の中から見つかった宝大さんのカメラも置かれていました。写真を撮るのが大好きで、事故当日も100枚以上撮影していました。
父:「宝大が行ったところの写真は持ってきています」。
事故から1年を迎えたおよそ1カ月前、家族は知床に向かっていました。宝大さんが写真に収めた景色をたどります。
父(網走市内のホテルで):「朝早くから窓の外のカモメを撮ったり、よっぽど楽しんでいたんでしょう」。
父(斜里町内で):「今から喜んでウトロに行って、遊覧船に乗って楽しんで来ようと、心を弾ませていたはず」。
息子の帰りを待ち続けた1年。悲しみや苦しみを抱えながらも、家族は前を向くことを決めました。
父:「1年を節目にして同級生や職場の方に集まっていただいて、お別れ会をということで。『早く乗り越えて自分の生活を楽しんで、人生を楽しんで』と、宝大なら言っていると家族で話し合っています」。
あれから1カ月。家族が開いたのは「お別れ会」ではなく「宝大さんを囲む会」。同じ空間に息子にもいてほしい。そう思ったからです。
父:「こちらが宝大がいつも使っていたキャリーケースです。色んな行った所のステッカーを貼っています」。
母:「カンボジアに行っていても、帰ってきた時はよく食べていたアイスです。皆さん食べてください」。
宝大さんが小さいころから好きだったアイスキャンディーも配られました。囲む会が行われたおよそ2時間、家族は友人や同僚から宝大さんの話を聞いて回りました。
会社の同僚:「自分がタイランドを担当していた時に、小柳君がカンボジアを担当していた。隣の国同士で仲良くしていた。基本的に面白い人で明るい人、仕事を一生懸命やるイメージ」。
高校の担任教師:「非常に明るくて、たまに元気が良すぎて羽目を外しすぎて私から叱られることも非常に元気でムードメーカー。ふらっと戻ってきて声を掛けてくれるのではというのを、どこかでまだ期待している」。
会場には、宝大さんが愛用していた物も並べられました。2歳年上の姉・宝子さん(37)とその娘が懐かしんでいたのは、家族にもよく弾いてくれたアコースティックギターです。宝子さんは弟のことをもっと知ってもらいたいと、VTRを作り会場で流しました。
宝子さん:「これを作っている間、正直悔しさでいっぱいになりました。悲しさでいっぱいになりました。もう一度会いたい、そんな気持ちでいっぱいになりました。宝大は今の私を見てどう思うだろう。『お姉ちゃん泣かんでいいよ』と言って、ほほ笑む宝大の姿が浮かびました。宝大が望んでいたのは周りの笑顔です。泣きながらも前を向くのです」。
悲しみや苦しみが消えることはありません。それでも、前を向いて精一杯生きていく。家族の決断です。
父:「宝大が生きられなかった人生を、一日一日有意義に、家族も周りのみんなも一緒に過ごしていきたいと思います」。