石川県能登地方を震源とし、珠洲市で震度6強を観測した地震から5日で1カ月を迎えた。地震発生時、私(記者)は観光で珠洲市狼煙(のろし)町にいた。印象深かったのが、迅速に被害状況の確認や観光客の対応に動く地域住民の姿だ。私自身は初めて経験する大きな揺れに困惑し、思っていた以上に動けなかったことに、悔しい思いが残っている。自然災害の発生という不測の事態にどう備えるのか――。現地を再訪し、考えた。【深尾昭寛】
地震が起きたのは5月5日午後2時42分。能登半島沖が震源地で、地震の規模はマグニチュード(M)6・5だった。同日午後9時58分にもM5・9の地震があり、珠洲市内で震度5強を観測。5日午後1時現在、人的被害は死者1人を含む48人を数え、多数の建物などに被害が出た。
地震発生の瞬間、私は道の駅「狼煙」近くの飲食店の小上がりに座っていた。視界がぶれ、建物のきしむ音、食器や調理器具がぶつかり、物が壊れる音で耳がいっぱいになる。まるで自分が洗濯機の中で脱水にかけられているような激しい揺れだ。何が起きているのか理解できなかった。
冷静な住民、慌てる私
揺れが収まり屋外に逃れると、道の駅駐車場には大勢の観光客がいて、道の駅スタッフが人々に道路状況の説明などをしていた。また、地元住民らしき男性たちが手短に言葉を交わした後、地区内へと駆けていった。被害状況や安否の確認に行くのだろう。地域全体の対応の早さが鮮烈に記憶に残った。
5月下旬、狼煙町を再訪した。屋根にブルーシートのある建物が目立つが、道の駅や飲食店の一部は営業を再開していた。一方、建物を修理する作業の音が響き、営業できていない店も見られた。
「(住民は)みんな揺れることは分かって住んでいる。『あ、来たな』とすぐに分かった」。道の駅のスタッフ、小寺美和さん(40)は、そう振り返る。気象庁によると、能登地方では地震活動が活発化しており、2020年12月以降、震度1以上を今年5月12日までに400回以上観測。22年6月19日に震度6弱、翌20日に震度5強の地震が起きたことは記憶に新しい。
1カ月前の地震は大型連休中に起き、施設内には大勢の観光客らがいた。小寺さんたちスタッフは「窓から離れて、外に出てください」と呼びかけて誘導。地震が続く可能性も考え、人が施設内に立ち入らないようカーテンを下ろした。何年も地震が続く中で「揺れた時にどうしたらいいかは染みついている」という。
狼煙地区の防災のとりまとめ役をつとめたのが、糸矢敏夫区長(68)だ。自宅で孫たちの面倒を見ていたが、1歳の孫に危険が及ばないよう抱きかかえ、別の年長の孫がこたつの下に潜り込むの確認しながら、揺れが収まるのを待った。その後、自衛消防隊のメンバーに高齢者の安否確認を手分けしてもらうなど対応に追われた。住民の連絡先をまとめ、更新しておくなど防災関連の蓄積があったそうで、糸矢区長は「地震や台風などの際には自衛消防隊で安否確認などをしようと合意形成ができていた。連休中で隊を構成する現役世代の多くが家にいたのも大きかった」と振り返る。
ただ、地区には高齢者も多い。糸矢区長は「(強い揺れに)お年寄りなどショックを受けて呆然(ぼうぜん)としていた住人は多かったんじゃないかな」と話した。
専門家「起震車などで体験を」
「もう少し、動けたのでは……」。あの日の私自身の行動を振り返ると残念な気持ちになる。これまで防災に少なからず関心を持ってきたはずなのだが、揺れの間は危険から身を守る行動も取れず、ただ体をこわ張らせていた。屋外に避難してからも、地震に遭った人間として次にどう行動するべきか、なかなか頭が回らなかった。
緊急時にどう備えるべきなのか。京都大防災研究所の矢守克也教授(防災心理学)は「『思った以上に動けなかった』という体験がとても重要だ。大地が動くということには、経験した者でないと分からない不安、身の置きどころのなさがある」と指摘。その上で「実際の地震は揺れだけでなく、音やにおいなどからも不安を感じるものだ。それでも、起震車などを通じて揺れをあらかじめ体験しておくことは大事だ」と力を込めた。