「早くしないと先生の呼吸が止まっちゃう」雪に埋まった顧問教師(24)が死亡…山岳部の雪山研修会で“雪崩事故”が起きた瞬間

雪崩の原因について「気温が高くなり雪がゆるんで起きる」など、自然に起きるものとして捉えている人は多い。しかし、長野県の五竜岳遠見尾根で起きた雪崩事故をめぐる裁判で「雪崩事故はほんとうに自然災害なのか」が問われたことを知っている人は、どれほどいるだろうか。
事故は1989年3月18日、長野県山岳総合センターが主催し、県立高校山岳部の生徒24名と顧問教師6名を対象にした雪山研修会で起きた。ワカン(雪上歩行具・輪カンジキの略)をつけての歩行訓練をする中、先導する宮本義彦講師と顧問教諭6名が、突如として雪崩に見舞われたのだ。
ここでは、山岳ルポルタージュ作家であり、自らも「のらくろ岳友会」として山行を続ける泉康子さんがまとめた『 天災か人災か? 松本雪崩裁判の真実 』(言視舎)から、一部加筆修正を行い抜粋。事故が起きた当時の混乱の様子と、被害者遺族が真相究明に立ち向かうことを決めた瞬間について紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
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「なんだろう」と思った瞬間、いきなり足元が動きはじめた
山岳部顧問の教員たちを率いる1班の宮本義彦講師は、一度選んだ雪面の雪が少なかったため移動して、訓練地を一番東側の急斜面に変えた。各校からの新人を含む6名の山岳部顧問が、幅10mほどの斜面に横一列に並び、宮本講師が先導した。5m後方から、今井、田中、関、福島、赤羽、酒井教諭が横一列に並び、ラッセル(雪を掻き分け踏み分けて、道を開きながら進む)をはじめた。
福島伸一は、これまでにワカン歩行の経験があったので、宮本講師の呼吸とほぼ同じ早さであとを追った。登りはじめて二息目ほどで、福島はちょっと立ちどまった。すると、上のほうからスノーボールが落ちてきた。2、3個ではない、野球の球とバレーボールの中間ぐらいの大きさだった。「なんだろう」と思った瞬間、いきなり足元が動きはじめた。のっているジュウタンを引っぱられるような感触の最中、宮本講師の「やばい!」という声を聞いた。それは「雪崩だ」などという認知の言葉ではなく、もっと本能的に口を突いて出た声だった。
地響きなどはなく、雪と雪が擦れる音だけ
全身が2回転する間、福島は、これは雪崩なんだということがチラっと頭をかすめた。雪がドンと止まった。足をひねった。しかし幸いにも、手と首が雪上に出ていた。周囲には何も見えなかった。「二度目の雪崩が来たら、僕も埋まる」と恐怖感が湧き上がった。谷側に固定された福島の眼に見えるのは、累々(るいるい)としたデブリ(雪崩で堆積した雪塊)だった。今まで一緒に歩いていたはずの誰もいなかった。雪崩によってき消された音。
その時、この雪崩斜面の右隣りの4班では、藤松講師が4名の男子生徒にワカンを用いたラッセルを指示し、1班よりも数m上の高みに登っていた。4班の受講生矢崎訓由は、藤松講師より1班に近い位置でラッセルをはじめていた。すると視界の左隅でなんの前ぶれもなくズルズルと雪が動きはじめた。雪と雪が擦れる音だけで、地響きなどはなかった。ほとんどの生徒が「雪崩とはこんなに静かなものか」とのちに述懐している。
4班に続いて2班、5班、3班が救出に加わる
4班の講師藤松太一は、となりの左上方で「ピシッ」というわずかな音がしたのを聞いた。見上げると、まるで巨大なノートの1頁をめくるように、雪がスローモーションでがれ落ちてくる。藤松は「ナダレだー!」と大声で叫んだ。藤松と4班の男子生徒は、転がるように駆け降りた。そこには1班の右端でラッセルしていた今井秀幸と田中延男が、雪崩に巻き込まれずに茫然として立っていた。一番手前に誰かの左足が雪面から突き出ている。その1mほど向こうに福島が胸まで埋まり片手を動かしている。あとは累々とした雪の固まり。
4班に続いて、2班、5班、3班が飛んできて救出に加わった。まず、顔を出していた福島が、手掘りとピッケル掘りの生徒により掘り出された。同時に片足が出ていた個所が掘りおこされた。出てきた男は口がガタガタ震え、顔は蒼白だった。関賢司だった。チアノーゼが出はじめていた。雪崩発生後5分が経過していた。
「埋まっていそうな場所」を勘で突いたり、掘ったりを繰り返す
藤松講師は「ほかの先生はどの辺にいると思う?」と、最初に掘り出された福島に問いかけた。しかしその時点では、まだ福島のショックはおさまっておらず、返事は要領を得なかった。4班の生徒たちも「何人で登っていたんですか」と口々に問いながら手を動かしていた。
雪崩た雪の量は予想よりはるかに多く、どこに誰が埋まっているかの痕跡は定かでない。何人が巻き込まれたのかもわからない。しかし、あと10分が勝負だゾという声を聞きながら、生徒や講師は「埋まっていそうな場所」を勘で突いたり、掘ったりをくり返した。時間が勝負だゾと口々に叫ぶ声が谷を制していたが、この時点で、この谷にスコップはなかった。生徒の述懐によれば、雪は重いので掘るのに精一杯だった。掘った雪をどこへ出すかなど考える間もなく放り出していた。意識がしっかりもどってきた福島、関が口を開きはじめ、福島の隣りに赤羽、前方に宮本講師、それに「もう一人、酒井先生が一緒に歩いていたはずだ」ということになった。
この時点で、藤松講師は、テント場にスコップをとりに行けと指示を出している。また思いおもいの場所を探していた生徒や教諭たちに、「固まらずに散らばって探せ」とも声をかけた。
16時20分、古幡講師が警察に第1報を入れる
テント場から持ってきたスコップは、生徒証言によると5、6本だったという。生徒が見つけたワカンをたよりにそのスコップで掘り下げて行き、赤羽康定が発見された。雪崩発生後25分が経過していた。赤羽は意識を失い、ぐったりとしている。矢崎の証言によれば、ややあってガタガタ震えはじめ、生きているのだナと思った。唇の下を切っていたが、低温で血流がにぶっているせいか、しばらく血は出なかった。黄色い顔をして、ずっとデブリの上に座りこんだ姿勢のまま動かなかった。
最初に救出された福島伸一は、完全に回復してスコップを握った。自分の掘り出された左手を掘り進んだ。3mほど離れたところに達した時、デブリのなかにワカンを発見した。「ワカン発見!」の声をかけ、みんなのスコップで集中して掘り出されたのは、宮本主任講師であった。1m半ほどの深さで山側に頭を向け、俯せになっていた。藤松講師がを平手で打って刺激を与えた。すると次第に動きはじめた。顔は赤むらさき色だった。雪崩30分後の発掘であった。掘り出されて30分ほどした頃、宮本は、自分が主任講師であり、雪崩に遭ったことを認識できる程度に回復した。
藤松講師の指示により古幡講師が警察に第1報を入れたのは、16時20分であった。
「15時45分、五竜遠見の支尾根で雪崩発生、1名がいまだ行方不明。人手とスコップを早く上げてほしい」というものだった。
雪崩現場では「酒井先生を見つけよう、早くしないと先生の呼吸が止まっちゃう」と懸命の捜索が続いていた。
◆◆◆
やがてデブリの先端から発見された酒井教諭が息を吹き返すことはなかった。自宅で息子の帰りを待っていた酒井三重は、電話で「死」の知らせを受けて失神してしまう。
山岳総合センターの責任者たちは、事故を「自然災害」として処理しようとするが、三重や関係者たちは疑念を持ち始める。ワカンをつけて横一列になって急な斜面を登ったことが、今回の雪崩を引き起こしたのではないか……。
弁護士の中島嘉尚に相談した上で、知事に陳情するために長野県庁へ出向いた三重は、教育長の樋口に事故から今日までの経過を話し、事故原因追及に着手してもらうよう、知事に直接会って話したいと強く要請したが……。
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樋口教育長から自筆の手紙が届く
樋口はじっと聞いていたが、おだやかに口を開いた。
「息子さんを亡くされたあとのお気持ちは痛いほどわかります。ただ、知事に会わせてくれとおっしゃっても、結局は教育長の私のところに話はまわってくるんです。知事は最高責任者だが直接責任者ではない。そこのところをぜひ理解していただきたいと思います」
三重は再び口を開いた。
「お役所の世界では決して事故原因に向かわないと聞きました。事故にかかわった人を担当からはずすというやり方で対応なさろうとしていらっしゃるのではありませんか。息子はちゃんと講師の指示に従っていた。しかし一瞬のうちに雪に埋まって死んでしまいました。その事故の原因を、真正面から検討していただかなくては、息子は浮かばれません」
「どうでしょう。いろいろ考えて、私の精一杯の気持ちを手紙に書いて送らせてもらいますから」
と樋口が約束し、その日の会見は終わった。
12月初旬、樋口教育長自筆の手紙が三重あてに届いた。県庁を訪ねてから1週間後のことであった。原因は自然災害だからどうにもならないと結論されていた。今後の対策として約束できるのは、当時の講師を当分の間使わないこととしたためられていた。誠実な言葉遣いではあったが、三重が奇しくも会見の日に口にした「官僚世界は事故があっても原因の検討に向かわず、人を代えることで幕」の構図が穏便な言葉に包まれて並んでいた。
泣き暮らすことをお終しまいにするための“山の勉強”
12月25日、弁護士事務所を訪ねた三重と西牧岳哉(編注:亡くなった酒井教諭の友人)に向かって、中島は身を乗り出し、開口一番言った。
「この際、考えを変えて、訴訟に持っていったらどうでしょう。あのあとずっと考えて、教育長からの手紙も読みました。この分だと、知事への公開質問状を出しても、ただ申しわけなかったで済んでしまう懸念がある。やっぱり訴訟でキッチリと責任を問わなければ、彼らの体質は崩せない」
そこで茶を一口すすり、中島は続けた。
「僕は、山はズブの素人だ。訴訟、たしかに大変なことだ。だがそうなったら、みんなで山の勉強をしましょう」
三重の頭のなかで、“山の勉強”が残響した。信州に育ちながら、自宅を出た道から朝夕ながめている常念岳にさえ登ったことがなかった。泣き暮らすことをお終しまいにするために“山の勉強”。一瞬「私に出来るかナ」と不安がよぎったが、そこにしか道が残されていないならばやり抜こうという心が、まっすぐに立ってきた。
「狭い雪面に6人を横一列に並べて…」雪山研修中に山岳部の顧問教師(24)が死亡…その日、雪崩が起こった“本当の原因”とは へ続く
(泉 康子/Webオリジナル(外部転載))