静岡県熱海市 伊豆山 (いずさん)地区を襲った土石流災害は3日で発生2年を迎え、追悼式では遺族らが犠牲者28人の 冥福 (めいふく)を祈った。警戒区域に指定されたままの被災地では復旧作業が進まず、帰還を諦め、新たな場所で生活を始めた人もいる。
「伊豆山で最期を迎えると思っていたので、今も涙が出てくる」。同市に隣接する神奈川県湯河原町に住む山田千恵子さん(75)は寂しそうに語る。
土石流災害が起きるまでの73年間を、伊豆山で生きてきた。夫の勝さん(78)との結婚後も暮らしてきた実家2階のベランダからは、相模湾を一望できる。その眺めが特に気に入っていた。「坂道が多く不便なところはあったけれど、伊豆山を出ようと思ったことは一度もなかった」と振り返る。
高齢になり、長男家族を迎えて一緒に暮らすことが決まっていた。2世帯用にリフォームも終え、新生活を楽しみにしていた矢先、状況が一変した。
2021年7月3日、大雨の中、消防車のサイレンが鳴り響き、近所の友人から「すぐに逃げて」と言われた。何が起きているのか分からないまま、携帯電話だけを手に勝さんと家を出た。真横を流れる 逢初 (あいぞめ)川を土石流が下り、バリバリと音を立てて電柱が倒れる中、必死で公民館にたどり着いた。
実家の1階部分は柱が残るだけで、全壊だった。「もう年だし、何年先になるか分からない復旧を待つ気持ちは続かなかった」。勝さんは脚の調子が悪く、坂道の多い土地に戻っての生活は厳しいという事情もあった。
長男夫婦が湯河原町に新居を建ててくれ、昨年11月、2世帯6人での生活が始まった。伊豆山からは車で10分ほど。買い物で訪れることもあったため、湯河原はなじみのある土地だった。
坂道は少なく、駅やスーパー、銀行も近くて生活には便利だが、山田さんは「友人たちと離れて暮らすのはさみしい」と言う。伊豆山とのつながりを持ち続けたいと、実家から持ってきたオレンジ色の瓦を、花壇の仕切りに使っている。
3日は勝さんと伊豆山の寺院を訪れ、亡くなった住民らを思い、手を合わせた。