※本稿は、森永卓郎『ザイム真理教』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
私が大蔵省の「奴隷」をしているなかで、大蔵省の役人から「財政再建元年」という言葉をしばしば聞くようになった。
じつは日本は戦後1964年までまったく国債を発行していなかった。
ところが、図表1のとおり1965年から少しずつ国債発行がなされるようになり、1973年の石油ショックに伴う不況に対応するための経済対策で、大きな額の国債発行が避けられなくなった。
国債はいろいろな償還期限があるのだが、大部分の国債は10年償還だ。
つまり、石油ショックの10年後、1980年代初めくらいから、国債の大量償還が始まる。
そのために償還の財源を確保しなければならない。だから、歳出カットと増税を考えていかなければならないというのが、財政再建元年という言葉の意味だったのだ。
大蔵省は、すでにこの時点から大きな過ちを犯していた。10年経って国債が償還期限を迎えたら、その元本を返済しないといけないと思い込んでいたのだ。
元本を返す余裕資金がなければ、借り換えをして、また10年後に先送りしてもよいし、日本銀行に国債を買わせてもよい。
そもそも日本銀行は、単純に紙幣を刷って、資金を供給しているのではない。何かを買って、その代金として日本銀行券を支払っているのだ。
日銀が資産として保有する商品でもっとも安全確実な商品は、国債だ。だから、日本経済への資金供給を確保するためにも、国債の発行は不可欠なのだ。
ただ、大蔵省の官僚にはそうした理解がなかった。
大蔵省(財務省)のキャリア官僚というのは、東大法学部出身者が多い。出世コースに乗っている人に限れば圧倒的に東大法学部だ。
法学部出身だから、あまり経済学を勉強していない。
だから、財政均衡、すなわち税収の範囲内に歳出を収めるという経済学的にはありえない話を「正しい」と思い込んでしまったのだ。
経済学には、一般常識とは異なることがいくつもある。
たとえば、銀行の貸出だ。
銀行は、国民から預金を集めて、企業に貸し出している。一般国民は、預金額の範囲内でしか融資ができないと思い込んでいる。
しかし、現実には、銀行は最初に集めた預金の何倍もの融資を実行することができる。なぜかというと、銀行は企業に対して、現金で融資をすることはほとんどなく、大部分が小切手で融資金を渡す。
融資を受けた企業は、その小切手を銀行口座に入金するから、貸出金は銀行の預金として戻ってくるのだ。
もちろん融資を受けた企業は、他社への支払いに口座の資金を使うが、融資を受けた企業から支払われた資金は、支払いを受けた企業の預金として、これも戻ってくるのだ。
だから、銀行は最初の預金の何倍も融資をすることができる。これを経済学では「信用創造」と呼んでいる。銀行はお金を創り出すことができるのだ。
これを「最初に集めた預金の範囲内でしか融資をしてはならない」という条件をつけて銀行を縛ったら、銀行経営は立ち行かなくなってしまう。
財政も同じで、自国通貨を持っている国は、財政均衡に縛られずに、より柔軟な財政政策をとることができる。財政赤字は、ある程度拡大させ続けて大丈夫なのだ。
最近、金融教育家の男性から興味深い話を聞いた。
彼は、財務省の若手官僚と交流があるそうなのだが、若手の財務官僚の半数は、財政均衡主義に疑問を持っているのだという。
ただ、そのことを省内で口に出すことはできない。もしそんなことを言ったら、出世コースから外されるか、最悪の場合、地の果てに飛ばされてしまうからだ。
だから中高年の上司の前では、財政均衡は大切だと言い続けないといけない。そうして、何度も財政均衡を口にするなかで、だんだん財政均衡主義が体中を蝕(むし)ばんでいく。そのマインドコントロールは強烈だ。
長い時間を大蔵省や財務省ですごした官僚は、退官しても、財政均衡主義を主張し続ける。古巣に気を使っているわけではなく、それが正しいと信じてしまっているからだ。
財務官僚の人との接し方は「呼びつける」のが基本だ。ところが、「布教活動」を行なうときだけは、自ら出向く。信者の獲得に異常なまでの執念をみせるのは、カルト教団と共通する点だ。
私が森友学園の問題で、最初に疑念を抱いたのは、財務省の職員が、森友学園が経営する塚本幼稚園を複数回訪問したことを知ったからだ。彼らは何かあれば人を呼びつける。財務官僚自ら足を運ぶというのは、何らかの魂胆があるに違いないと感じた。
ちなみに、私のところにもザイム真理教は布教活動にやってくる。
たとえば、「ファイナンス」という財務省の機関誌は、頼みもしないのに毎月送られてくる。
予算編成期になると、毎年、説明会への参加を呼び掛けるファックスが届く(最近はメールになった)。たとえば2022年にきた案内状は、次のような感じだ。
ザイム真理教による布教活動は、もちろん政治家にも向けられる。その格好のターゲットとなったのが、野田佳彦元総理だ。
民主党が政権を奪取した2009年の衆議院選挙では、大阪16区から出馬した森山浩行氏への応援演説で、野田氏はこう言った。
「書いてあったことは4年間何にもやらないで、書いてないことは平気でやる。それではマニフェストを語る資格がないというふうにぜひみなさん思っていただきたいと思います」と自公政権を批判し、「消費税5%は12兆6000億円。消費税5%分のみなさんの税金に、天下り法人がぶら下がってる。シロアリがたかってるんです。それなのにシロアリ退治をしないで、今度は消費税を引き上げるんですか?」
「シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしい。徹底して税金の無駄遣いをなくすのが民主党の考え方です」と述べている。
ところが、その後、2009年9月に民主党政権が誕生し、鳩山由紀夫内閣が成立すると、野田氏は藤井裕久財務相の推挙により財務副大臣に就任し、ほどなく消費税増税派に鞍(くら)替えした。
なぜ増税反対派の野田氏が、いきなり増税推進派に変わったのか。
財務官僚は「ご進講」あるいは「ご説明」と呼ぶザイム真理教の布教活動を熱心に行なっている。
対象はさまざまだが、特に強烈な布教の対象になるのが、権力の座についた政治家だ。
財務副大臣という地位になれば、財務省による布教活動は、朝から晩まで、連日行なわれる。
このマインドコントロールは、政治理念をも覆す力強さを持っている。
野田氏は、2010年6月に菅直人内閣が発足すると、財務副大臣から昇格する形で財務大臣に就任した。このころには、野田氏はザイム真理教の信者を通り越して、実質的な教団幹部に変貌(へんぼう)していた。
2011年8月に、菅直人首相の退陣表明を受けて行なわれた民主党代表選挙で野田氏は代表に選ばれ、内閣総理大臣に就任する。
総理の椅子を手に入れた野田氏は、いよいよザイム真理教の本領発揮に打って出る。
2012年6月15日に、民主党・自由民主党・公明党の実務者間での協議で、社会保障の抜本的改革とその財源としての消費税率の引き上げについての合意を成立させたのだ。
いわゆる三党合意だ。
6月21日には、三党の幹事長会談が行なわれ、「三党確認書」が作成された。
この三党合意によって、消費税率は、2014年4月から8%、15年10月から10%に引き上げられることになった。
現実には10%への引き上げは、2019年10月に4年間延期されたが、三党合意による消費税引き上げは、最終的に完全に遂行されたことになる。
財務省は笑いが止まらなかっただろう。
もともと自分たちに敵対する思想を持っていた政治家が、説教を積み重ねるなかで自分たちの信者になり、さらにそこから総理大臣にまで出世して、消費税増税というザイム真理教にとってもっとも重要な教義を実現したからだ。
ちなみに、消費税の増税分は、社会保障の改革に充てられることになっていたが、社会保障の細かな手直しはあったものの、医療や福祉、公的年金制度が改善されることはなく、むしろ改悪が重ねられた。増税だけがタダ取りされた形だ。
野田氏の「入信」はとてつもない政治不信を招いた。
「消費税は上げません、シロアリ退治が先です」と言って政権を奪取した政党が、シロアリをますます太らせ、消費税率を2倍にしたのだから。
これでは政治を信じろと言われても、何も信じられなくなってしまう。
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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)