京アニ放火4年、亡き息子へ「代われるものなら代わりたかった」…癒えぬ悲しみつづった手紙

「代われるものなら代わりたい」――。36人が犠牲になった京都アニメーション放火殺人事件で、最愛の息子を失った武本千恵子さん(74)(兵庫県赤穂市)は、事件後に自身の思いをつづった手紙を読み返しては、幸せだった日々の思い出に浸る。事件は18日で発生から4年がたつが、遺族の悲しみが癒えることはない。

<いなくなってからの方が 貴方 (あなた)の事をずっと思っているのかもしれない>
千恵子さんは事件の1年後、亡くなった息子の康弘さん(当時47歳)への思いを手紙にしたためた。それから3年、文面を読み返しては、気持ちを整理しようと努めてきた。
康弘さんは専門学校卒業後の1993年に京アニに入社。「らき☆すた」や「氷菓」など10作品以上で監督を務め、演出面で京アニを支える存在で、若手の指導役も担ってきた。
4年前、千恵子さんは、ガソリンをまかれて燃えるスタジオの映像をテレビのニュースで見て、夫と京都に向かった。康弘さんとは連絡が取れず、数日後、警察から死亡が確認されたと知らされた。
葬儀場で、ひつぎの中で全身に白い布団をかぶせられた我が子。「顔を見たい」と申し出たが、「損傷が激しいのでやめた方が良い」と周囲に止められ、布団の上から体をなでた。顔か足かもわからなかった。
<顔を見て、触れて最後のお別れが出来なかった。それが寂しいし、悔しい>

事件から1年が過ぎた夏。康弘さんが10年以上前の母の日に贈ってくれたバラが枯れた。ベランダで大切に育てたのに、息子とのつながりをまた一つ失ったように思え、心も体も壊れそうになった。「前を向くためにも気持ちを整理したい」と康弘さんに宛てて手紙を書くことにした。
<貴方は突然いなくなった。私の前から消えてしまった>
夫婦で営んでいた中華料理店が忙しく、康弘さんが子どもの頃はかまってあげる余裕がなかった。絵を描くのが好きで、高校卒業前、「アニメの世界に行く」と打ち明けられた時は驚いたが、背中を押した。
正社員に登用されたり、責任のある仕事を任されたりする度、うれしそうに報告してくれた。15年ほど前に結婚し、子どもにも恵まれ、子煩悩な姿を見せるようになった。そんな時、事件が起きた。
<貴方は家庭を持ち、これから仕事もバリバリ出来たでしょうに、代われるものなら代わりたかった>

手紙に気持ちを吐き出すと、少し楽になった気がしたが、突然悲しみに襲われることがある。康弘さんが若手に講義する姿を収めたDVDがある。今春、初めて再生した。生前の元気な康弘さんの声が聞こえそうになると、涙があふれて停止ボタンを押した。
手紙は押し入れにしまい、時折手に取って、つらかった記憶に涙する。同時にいとおしい康弘さんとの思い出も浮かび、「私が下を向いていたら康弘くんも喜ばない」と前を向く力にもしてきた。
「あなたを思い、毎日を一生懸命に生きています」。18日は現場に出向き、康弘さんにそう報告する。
◆京都アニメーション放火殺人事件=2019年7月18日午前、京都市伏見区の京アニ第1スタジオが放火され、社員ら36人が死亡、32人が重軽傷を負った。京都地検は20年12月、青葉真司被告(45)を殺人や殺人未遂など五つの罪で起訴。初公判は9月5日、判決は来年1月25日に予定されている。
社員数 事件前より多く

京アニは、当時176人いた社員の約4割が事件に巻き込まれた。負傷者の復帰や新規採用で、今月時点の社員数は約190人と事件前を上回っている。今春にも4人が採用された。制作も順調に進めており、8月には映画「特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~」が公開される。
京アニや遺族らでつくる「志を 繋 (つな)ぐ会」は、事件を伝える碑を来年7月までに京都府宇治市に設置することを目指している。事件から4年となる18日には第1スタジオの跡地で追悼式が行われる。