女子大生の冨永紗菜さん=当時(18)=を殺害したとして、元交際相手の伊藤龍稀被告(23)が殺人罪で起訴された事件をめぐっては、神奈川県警が交際トラブルで4回通報を受けて対応にあたっていたが、冨永さんから被害届が出されず立件などに向けた本格介入には至らなかった。恋人間の暴力「デートDV(ドメスティックバイオレンス)」は被害者が危険を認識できないまま被害がエスカレートする恐れがあるとされ、命を守るためにリスクの周知や保護対策の充実が必要になる。
冨永さんの友人らによると、約2年に及んだとされる交際期間でトラブルは絶えず、冨永さんは「馬乗りになって殴られた」などと漏らしていた。県警によると、令和3年10月から今年6月22日までに冨永さんや友人、言い争う声を聞いた人から計4回通報が寄せられ、対応にあたった。
昨年12月のケースでは冨永さんが「別れるなら殺すと言われた。首を絞められた」と説明。ただ、いずれも冨永さんに被害届提出の意思はなかったといい、県警は双方の親に監督、保護といった「監護」を依頼するなどして対応。交際中だったためストーカー事案に該当しないと判断し、ストーカー規制法に基づく禁止命令は行わなかった。
デートDVは同居の場合はDV防止法に基づき加害者の接近禁止など保護命令が可能だが、今回の事件のようなケースは対象外。県警人身安全対策課は一連の対応について「被害者の意向を踏まえて措置を講じていた」とする。
だが伊藤被告が県警の最後の対応以降の1週間で、冨永さんのアルバイト先に押しかけるなど行動をエスカレートさせ、事件に発展。千葉大学の後藤弘子教授(刑事法)は被害届が出ていない状況では警察の対応は限定的になるとする一方、被害者が交際トラブルの危険性を判断することは難しく「他の事例に対応してきた警察が経験を踏まえ、危険性をしっかり説明すべきだ」と話す。
デートDVに関する内閣府の令和2年度の調査でも「自分にも悪いところがあると思った」などとして被害を相談しなかった人は男女ともに3~4割ほどに上り、当事者が相談に二の足を踏む心理がうかがえる。
デートDVの相談を受けるNPO法人「エンパワメントかながわ」の阿部真紀理事長は「暴力後に一転して優しくなることを繰り返してエスカレートする特徴がある」と指摘。被害者が関係を絶ちにくく、「周りに心配をかけたくない」と孤立する傾向があるとし、「こうした実態を社会の多くの人に伝え、被害者の周囲が気づくような環境を整える必要がある」と話す。
後藤教授は「警察がすべて対応できる問題ではないことがDVの難しいところ」とし、保護対策の充実に向けて支援団体など他機関との連携が必要だと訴える。(橋本愛)