知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた相模原殺傷事件から26日で7年となるのを前に、遺族の男性(64)が取材に応じ、犠牲となった姉・宏美さん(当時60歳)の名前を初めて明かした。何の落ち度もない姉の名を隠し続けるのは、事件にとらわれていることにならないか――。月日が流れ、心境の変化に気づいたという男性は、姉の命を奪った植松 聖 (さとし)死刑囚(33)への感情も変わってきたと語った。(小野寺経太)
宏美さんは脳性小児まひで知的障害も抱えていた。会話をしたり自由に動き回ったりはできなかったけれど、うれしいとか嫌だとか、時々の気持ちを、表情で家族に伝えてくれた。
28歳でやまゆり園に入った後も、正月には実家に戻り、みんなで新年を祝った。園で練習したのか、スプーンを上手に使えるようになっていたりして、そんな成長を両親は喜んでいた。
その姉が殺された。「生産性のない重度の知的障害者はいらない」。園の元職員だった植松死刑囚が語った犯行動機に怒りと 戦慄 (せんりつ)を覚えた。拘置所を訪ねて接見し、障害者への差別と憎悪にまみれた言動を正そうとしたが、植松死刑囚に思いが通じることはなかった。
遺族として参加した植松死刑囚の刑事裁判では、「死刑で当たり前」と強く極刑を求めた。
2020年3月の判決の少し後、足を痛めたことをきっかけに仕事を辞めた。息をつく時間ができ、忘れていた穏やかな日常に身を委ねるうち、子供の頃に聞いた祖母の言葉を思い出した。<宏美は神様なんだよ>。他人を憎んだり、争ったりもしない――そんな意味だったのだと思った。
裁判では、他の遺族と同じく匿名を希望し、法廷で姉は「甲E」と呼ばれた。「正直、宏美の存在を恥ずかしいと思ったこともあった」と男性は言う。
この3年、植松死刑囚のことも何度も考えた。目の前に死刑がある時間を、彼はどんな思いで過ごしているのか……。考えるうちに、「生きる意味と向き合い続ければ、10年、20年先、彼も考えを改めるかもしれない」と思うようになった。男性は「許すわけでは決してないが、刑の執行を求める気持ちが薄れてきた」と話す。
変わらない思いもある。植松死刑囚は事件前、園の襲撃を予告するような言動を見せていた。誰が悪いと言うつもりはない。ただ、事件を防げたのではないかという気持ちは消えない。
「裁判が終わるまでは、絶対に死刑だと叫び、自分の心を壊して、家族にも迷惑をかけた」。男性はそう振り返り、「この先は、人を恨むより、人の役に立つように生きて、事件のことも見つめながら前に進みたい。宏美が見守っていてくれると思う」と語った。
◆相模原殺傷事件=2016年7月26日未明、神奈川県相模原市緑区の津久井やまゆり園に元職員の植松聖死刑囚が刃物を持って侵入し、入所者19人を殺害、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせた。植松死刑囚は重度知的障害者への差別発言を繰り返し、20年3月に横浜地裁で死刑判決を受け、確定。22年4月の再審請求は今年4月に棄却されたが、弁護人が即時抗告した。