立憲民主党の小沢一郎衆院議員らが設立した「野党候補の一本化で政権交代を実現する有志の会」が7月24日、国会内で初会合を開いた。
この中で小沢氏は「野党が候補者を統一しさえすれば、自公の候補に負けないのが現実であり、国民の願いだ」と述べ、野党の共闘態勢を整える必要性を強調した。
小沢氏は「政権交代可能な二大政党制」が持論だ。そのために、選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変え、自らも自民党を飛び出し、自民党に代わる政権の受け皿づくりに奔走してきた。
政治改革が議論されていた当時、小選挙区中心の選挙制度になれば、二大政党制に向かうのは必然だと思われた。
しかし、現実は違った。二大政党制どころか、中選挙区制時代にも増して「自民党一強」体制が強まり、野党は小党に分立して「多弱」状態となってしまった。
筆者は選挙制度改革によって「政権交代可能な二大政党制」を実現する試みは、最初から間違っていたと考える。
小選挙区制は、二大政党制の政治風土のなかではじめて機能する選挙制度であって、小選挙区制によって二大政党制を実現しようとするのは本末転倒と言わざるを得ない。
政権交代の受け皿がなければ「政権選択を」と言われても、国民は選択のしようがない。それが行き先のない不満となって政治的分断を加速させているように思える。
それに、「政権交代可能な政党」というからには、政権を獲得して何をするかが明確でなければならない。
ところが、「自民党政治に反対」という点で一致できても、自民党の何を、どのように変えるかには、野党各党でバラバラだ。それを放置して単に選挙協力をしても、「統一候補」として共通して訴える内容がないではないか。
小沢氏は2回にわたって、自民党から政権を奪取した実績を持つ。
1回目は、選挙制度改革前だったが、細川護熙氏を首班に連立政権を成立させた。しかし、政権運営をめぐって連立内の対立が先鋭化し、わずか10カ月で終わった。
2回目は2009年に成立した民主党政権だ。しかし、外交・安全保障政策や財政政策をめぐって連立離脱や離党者が相次ぎ、3年余で野党に転落した。
自民党政治への不満をあおるところまでは成功しても、その先が続かないのである。
小沢氏もすでに81歳。このままでは、「死んでも死にきれない」との思いなのかもしれない。その執念には正直、頭が下がる。
しかし、仮に野党選挙協力が実現したとしても、これまで同様、何も生み出すことなく瓦解(がかい)するのではないか。そろそろ「政治改革」と称する選挙制度改革の誤りを自覚すべきだろう。 (政治評論家・伊藤達美)