終戦から78年となった15日、各地で慰霊式典が行われ、戦没者の霊をなぐさめるとともに、平和への誓いを新たにした。
秋田県護国神社(秋田市)では終戦記念祭で、ご祭神の県出身戦没者3万7841柱に面山浩康宮司が祝詞を奏上。「戦没者や遺族を思い『五内為ニ裂ク(五臓が裂かれる)』という昭和天皇の終戦の詔勅を引き、78年たった今も私たちは祖国を護(まも)った英霊への感謝と、国の平和のために祈り続けることを申し上げた」という。正午には参拝者が一斉に黙(もくとう)した。
中学生の娘と訪れた40代男性は「今の秋田がある感謝を英霊方に申し上げた」。70代の夫婦は「自分たちが今こうして暮らせる感謝をお伝えした」。初の出産を控える30代夫婦は「世界では戦乱が続く中、生まれてくる子のために平和をお祈りした」と話す。
境内には約400個の吊灯籠(つりどうろう)が掲げられ、16日も午後9時まで点灯される。
栃木県護国神社(宇都宮市)では「栃木県戦没者追悼式」が開かれ、県内各地から訪れた戦没者の遺族ら約230人が参列し、慰霊の思いをささげた。
父親が硫黄島で戦死した佐野市遺族連合会の津久井重光会長(79)は「父のことは覚えていないが、思いが今も、こみあげてくる。遺族会の会員も毎年減り昔の半分になってしまったが、ちゃんと伝えていかないと忘れられてしまう」と、戦争の記憶を継承する大切さを訴えた。
戦死した義父の慰霊に訪れた矢板市の高野芳子さん(76)は「私の両親も満州からの引き揚げ者で子供の頃から大変な思いを聞かされ育ったので、平和の尊さを感じる」と語り、「靖国参拝をめぐり政治家が翻弄されてほしくない。心の問題であり参拝してほしい」と語った。
新潟市南区で開かれた戦没者追悼式には、戦争で肉親を亡くした遺族ら約50人が参列した。
式では、参列者全員による黙の後、五十嵐雅樹区長が「平和と繁栄の礎となった戦没者たちを忘れることはできない。戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に継承していく責務を果たすことを誓います」と追悼の言葉を述べた。
その後、参列者一人一人が祭壇に花を手向け、平和への誓いを新たにした。
祖父が終戦約5カ月前に中国・山西省で戦死したという南区遺族連合会の真保慶一会長(69)は「終戦から78年、平和を祈って花を手向けた。戦争を知らない世代も、戦争は二度とやってはいけないという思いを持ってもらえれば」と話した。