ガダルカナル島撤退80年、沈没した日本軍3隻確認…食糧輸送した潜水艦や輸送船か

太平洋戦争の激戦地で沈没船を捜索している東京都の非営利組織(NPO)が、ガダルカナル島沖で日本軍の潜水艦や輸送船とみられる沈没船を確認したと発表した。戦時中、日米両軍は同島を巡って激戦を繰り広げ、周辺海域には今も多数の艦船が眠っている。同NPOは今後も捜索を続ける。
調査はNPO「アジア太平洋英霊顕彰会」が4月11~17日に実施した。同島の北西の海域に水中音波探知機(ソナー)を持ち込んで海底を探索。ボートの上から沈没船の可能性がある物体を探知した場合には、ダイバーが潜って確認した。
同NPOが戦闘記録を調べ、島の住民らに聞き取り調査をしたところ、現場の海域には1942年以降に撃沈された「伊号第1潜水艦」と輸送船「山浦丸」「山月丸」などが沈んでいる可能性があった。
このうち同潜水艦とみられる沈没船は、海岸から約1キロ離れた水深2~15メートルの海底に沈んでいた。船体の上部は激しく損傷していたが、艦内につながるハッチやプロペラシャフトとみられる構造物が確認できた。
山浦丸とみられる船体は、海岸から100~150メートル沖の海中で見つかった。船首部では、機関砲のものとみられる薬きょうも発見された。山月丸の可能性がある沈没船は、海岸から約150メートルの水深4~7メートルの場所で大きく破損した状態で見つかった。「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)によると、2隻の船員の戦死者は計88人に上るという。
これら3隻は、同島の日本軍に食糧を輸送する任務に就いていたという。
一方で、今回力を入れて捜索した「伊号第3潜水艦」は発見に至らなかった。現場の水深300~600メートル付近をソナーで集中的に捜したが、潜水艦とみられる反応は探知できなかった。
日本軍は同島を攻略するため約3万人の兵力を逐次投入したが、圧倒的な物量を持ち、制空権を握る米軍の前に壊滅。43年2月に撤退するまでに、多くの兵士が飢えと病気に倒れ、上陸した約3万人のうち2万人以上が死亡。同島を巡る戦闘は太平洋戦争の転換点となった。
同NPOが同島周辺海域で調査をするのは4回目となる。2017年には、1942年の第3次ソロモン海戦で沈んだ戦艦「比叡」を捜索。前回2019年の調査では、輸送船5隻の沈没状況を確認し、水深70メートルの海底に沈む船体の3D画像を製作した。
NPO理事長の池田克彦さん(77)は「ガダルカナル島から日本軍が撤退して今年で80年となり、手がかりはどんどん減っているが、船が沈んだ位置を正確に特定することは、後世に慰霊の機会を提供することにもつながる。これからも捜索と慰霊を続けたい」と話している。
◆ガダルカナル島=日本から南に約5000キロ離れたソロモン諸島の島。日本軍は1942年8月、米国と豪州を分断する拠点として飛行場を建設し、これを奪おうとする米軍との間で激しい戦闘が起きた。おびただしい餓死者のゆえに、同島は「餓島」とも呼ばれた。